第10話 『初めての臨死体験』
「どうしよう。まるで歯ごたえがない」
――誰にも聞こえない小さなポツリ声でストラが独りごちた。
ストラがいま立っているのは、新たなるエクセア海の『ヌシ』――エマヌエル。
外の世界からやってきて、すぐさまエクセア海の生態を破壊し、ゲミニに悪影響を及ぼした怪物。元々、ゲミニ自体に問題があった以上、全ての元凶と揶揄することはできない。
そういった点で語るのなら、このエマヌエルもまたゲミニ――ひいてはアナーキアに住まう『市民』の一員と呼んでも差し支えないだろう。
だが、ゲミニに新たな風を吹かせるために、ストラはこの怪物を倒さなくてはならない。
この怪物の存在と行動は、明らかに『都市』の『規律』を乱しているからだ。
どんなものでも全てを受け入れるアナーキアといえど、『規律』を乱す者は弾劾される。
寂れた田舎のような州の『上院議員』と揶揄されようと、セントラルとやることは変わらない。中央が都市全体を統治しているように、この身にはゲミニを統制する役目があるのだ。
しかし―――、
(いや、いまはいい。目の前のことに集中しないと…………)
正直な気持ちを吐露するなら、この怪物に勝てるビジョンが全く見えない。
刀を突き刺してみたが、豆腐を切るように柔らかく裂ける肉体。
痛みの表現方法である悲鳴や絶叫を轟かせることもなく、弾力のあるものを踏むことでおかしくなったストラの足音のみが鼓膜を揺らすだけだった。
いっそのこと先程の超音波を出して、鼓膜を潰してくれればよかったとさえ思えてしまう。
「そろそろお腹辺りか……」
ちょうどエマヌエルの体内にある赤い球体の真上辺りだ。
ストラはそこで究極の二択を迫られることとなる。
(柔らかい皮膚を突き破って赤い球を狙うか、このまま頭に向かって一直線に進むか……)
後ろを確認すると、ストラの作った切り傷がなくなっている。
おそらく……というか、そうであってほしいという願望に近いが、エマヌエルは弱点を直接叩くことでしかダメージが通らない生物なのだろう。
そしてこれ見よがしに「どうぞ、弱点です」と晒されている頭と体内にある黄色と赤の球体。
考えられる可能性は四つある。
ひとつ、頭の黄色い小球体が弱点。
ふたつ、体内の赤い球体が弱点。
みっつ、昔にゲミニ市民みたいにそもそもエマヌエルが不死か不死身。
そして、よっつめ――、
「――っ⁉」
それは唐突な攻撃だった。
左頬にじんわり染みる熱い感覚。なにかが頬をかすめ、傷を負ったことがわかった。
頭がある前方、エマヌエルの体面から水の雫がこぼれ落ちたように肉体の一部が幾つも分離し、やがてそれは球体を持たない小さなクリオネの形を成していった。
産み落とされた幼体達は小さな身体に眩い輝きを纏わせ、母体のエマヌエル同様、《理性の光》を解き放った。
「‼」
己を焼き殺さんと襲いかかる無数の光線。絶え間なく表現される理不尽。
ストラは身体が空に放りだされないよう注意を払いながら、あらゆる手段を以て、抗った。
右手に持った刀で光を弾き、幼体を切り裂き、身体をうねらせ逃れ続ける。
それは『ミルキー*ストリンド』製の刀だからこそできる芸当。
己の脚力のみを頼りに前へ前へとがむしゃらに突き進む。
まともに当たれば確実に穴が開いて、死という抗えない末路がストラに訪れる。
単純明快な命のやりとりのみが、そこにはあった。
(宝宮があったころなら、もっと考えなしに突っ込めたのになあ……)
ストラの脳裏にふと、そんな思考がよぎる。
こんなこと、もう思っちゃいけないのはわかっている。
でも、やっぱりこんな命がけの戦いに赴けば、そう思わずにはいられなかった。
「――――っ⁉」
そうして身体の四分の三を超えた瞬間、唐突にそれは訪れた。
エマヌエルが幼体の生成だけに留まらず、肉体を弄って壁を作ったり、当たれば即、お陀仏になりそうな鋭利な突起物を生み出し、それを射出してくる。
前方への視界と行く手を阻まれ、ストラは強制的に立ち止まることを余儀なくされた。
刀を振り回して突起物を叩き落し、肉の壁を横一線に切り伏せたところで、壁に隠されていた前方の姿が解き明かされる。
「うそ⁉」
そこには肉壁に隠される前とは比べ物にならない量のエマヌエルの幼体の姿があった。
空間を埋め尽くすように辺り一面にぷかぷかとその弾力のある肌をさらし、幼体達は幾本もの《理性の光》をストラへ放った。
「――があっ⁉」
とっさの判断で光をなぞるよう身体を左右にそらして躱したり、前に刀を振って光を斬り伏せるなど、懸命に抵抗するが、それだけで数の暴力にいつまでも太刀打ちできる道理はない。
やがて一本の《理性の光》がストラの右腕に到達。与えられた苦痛と喪われた右腕の感覚。
ストラの脳に生じたのは、もう右腕を使うことは二度とできない事実と腕が即座に元に戻らないことに対しての違和感。
(あ……そっかぁ……………)
続けて二本の光が左足と脇腹に被弾したところで、そういえば、とストラは思った。
腕がちぎれたのは、とても久しぶりの出来事だった。
ゲミニの市民として登録されているこの身は、元々不死だったのだ。
ストラはこのアナーキアで生まれた所謂、都市産の人間だ。
産声を上げた瞬間から、双児像の【賜物】を受け、今まで『死』なんて恐れた試しがなかった。ネレのために木に実っていたりんごを取ろうとして、頭から思いっきり落ちたのが始まりだった。かち割れた頭は痛みを感じる前に修復された。
木から落ちたという過程が削除され、りんごを手にしたという結果だけがその場に残る。
そんなことを繰り返すのがストラにとって、当たり前の日常だった。
身近な誰かが怪我をしても、ゲミニの市民全員が気にもとめず、「おいおい気をつけろよ」と笑うくらいで済んでいた。
(わたし……………しんじゃうんだぁ)
今更ながら、ようやくそれが恵まれていたことなのだと自覚させられた。
当たり前だった“日常(不死)”が覆され、新しい“日常(死)”が適応される。
ストラは今から身をもって、それを受け入れなければならない。
焼けた自分の肉の匂いを肴に、調理される己の姿を受け入れる。
それが自然界の掟であり、漁師を生業としている癖に、ズルして掟を破っていたストラに対してこれ以上ない因果応報――――お似合いの末路だった。
(こわいよ……ねれ……ゆう、ねえさん………)
全身の力が抜け、よろめくように身体を揺らしながらその場を転げ落ちる。
そんなストラに追撃が行われることはない。
幼体達は親元に立っていた異物が消え、これか海に還るだろう光景をじっと眺めていた。
中には仕事を終えたといわんばかりに、エマヌエルと再び一体になった個体もいる。
捕食する価値もないと思われたのか、そもそも食事ができないのかはわからない。
――理解できるのは、単に適当に処理されたという事実だけだ。
「――――――――――」
薄れゆく意識の中、最後にストラの視界に写ったのは――――、
「――なんとかキャッチした。アウトサイダー、今すぐ戻る」
今現在、このアナーキアで最も有名な『英雄』の姿だった。




