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異形の襲撃(2)

 人気のない道を行くと、あと少しで現場に辿り着くというところで、同僚の一人が倒れてるのを見つけた。ミアだ。

 私は彼女の上体を助け起こした。


「大丈夫?」

「ああ……キラナ。来てくれたのね」


 これを、とミアが地面に落ちていた剣を差し出した。


「何も持ってきてないんでしょ? 使って。私はもう戦えないから」


 同僚の視線を辿ると、足があり得ない方向に曲がっていた。


「わかった。すぐに戦いを終わらせて、お医者さんが来てくれるようにするね」


 ミアは力無く笑った。


「期待してる。大蛇に憑依した幽鬼よ。今はジャーンとメリルが二人で足止めしているはず」

「了解!」


 なるべく建物の下敷きになることがないよう、ミアを道の真ん中のように寝かせた。

 最後の角を曲がると、間近で爆発音がした。

 砂埃が舞う。砂つぶが肌に当たって痛い。遮られた視界の向こう側から同僚たちの悲鳴が聞こえた。砂埃の隙間にチラチラと紫色の鱗が蠢いている。


「アイシャ ソワカ ヴァーユ!」


 砂埃を抜け、屋根の上へと飛んだ。

 民家が二つ、いや、三つ、瓦礫となって、あたりはちょっとした広場になっていた。


「酷い……」


 大蛇の尾が大きく左右に触れて地面を叩くたびに、瓦礫がさらに砕け、砂埃が舞う。視界は最悪だ。

 倒すためには首を落とす必要があるのに、どこに大蛇の首があるのか、砂埃のせいでわからなかった。


「ジャーン、メリル!」


 砂埃の端に二人の姿を見つけた。二人とも、尾から胴体を辿ることで大蛇の首を見つけようとしているようだが、うまくいっていなかった。

 大蛇の方が先に二人の動きに気づいて尾で攻撃するのだ。しかも、二人より大蛇の方が動きが早い。あれではいくら尾の位置が見えたところでそれ以上攻撃できない。

 そして、尾が二人に向かって打ちつけられることでさらに砂埃が舞い、大蛇の位置がわからなくなる。悪循環だ。

 いったん、広場から大蛇を出した方がいい? だめ、そんなことをしたら被害が大きくなっちゃう。なんとか私の方に注意を引きつけたいんだけど……大蛇は今のところ、私の存在に気づいていない。

 そもそもなんで大蛇は二人の位置がわかるんだろう。私たちに大蛇の首が見えないように、大蛇からだって私たちが見えないはずだ。蛇ってどうやって相手の位置を見つけるんだっけ。

 目で見ているわけではないことは確かだ。目に頼っていたら、この状況に対応できない。

 だとしたら、音?

 私は大きく息を吸い込んだ。


「ジャーン! メリルー!」


 声が響き渡る。

 ふっと広場から一瞬音が消えた。

 私の声に反応して、全員動きを止めたのだ。そして。


「!!」


 成功だ。すぐに大蛇の尾が私に向かって振り下ろされた。

 ギリギリのところで避ける。


「アイシャ ソワカ インドラ!」


 足にある紋様が光る。加速の法術をかけて大蛇の尾に乗り、体の上を走った。

 もちろん大蛇はそれに気づいた。

 私を払い落とそうと、胴を大きくくねらせる。


「そうはさせないんだから。インドラ!」


 ここで振り落とされたら二人の二の舞だ。私はさらに加速をかける。

 大蛇の動きより早く、私は体の上を蹴り、大蛇の体を駆け上がる。

 追っていた剣にも法術をかけ、雷の力を宿らせる。刃が金色に光る。

 砂埃が途切れ、大蛇の首が現れた。


「もらった!」


 間髪与えず剣を大蛇の首に向かって大きく振った。

 インドラの雷で強化した剣は難なく首を切り落とした。

 大蛇の首が地面におち、続いて上に伸びていた胴体も横たわった。その横に着地する。

 砂埃がおさまっていく。開けつつある視界の中に人影が動いた。


「キラナ! 大丈夫か?」


 大蛇の脇からジャーンが顔を出した。

 私はピースサインを作る。


「もちろん、バッチリ!」


 ウインク付きだ。ジャーンの緊張で固まっていた表情が崩れた。


「声が聞こえた時はどうしようかと思ったぜ……無事でよかった」

「心配しすぎですよーう。詰所に行かなくても、鍛錬は続けていたんだから」


 瓦礫の間からメリルも姿を現した。


「メリルも怪我、なさそうだね」


 メリルが嬉しそうに目を細めた。


「キラナ、来てくれたんだね! やめるって聞いていたから心配してた……」

「あー……やめるのは本当。でも、今それはなし! まず、怪我している人がいないか探そう」


 ジャーンが手を打った。


「じゃあ、俺は最初にやられた民家の方探すから、二人は逆側に回ってくれ」

「はーい」


 ジャーンは私に背を向け、メリルが私の方へ歩き出した。

 そのとき、ふと、違和感に気がついた。大蛇の体がメリルの後ろに横たわったままだ。

 おかしかった。幽鬼に取り憑かれた生き物の体は首を落とすと塵となって消えてしまうはずだ。どうして、この大蛇は消えないのだろう。

 大蛇の生首がわずかにピクっと動いた。


「! 危ない!」


 私はメリルの方へ飛んだ。

 大蛇の首が限界まで顎を開き、大きく跳ね上がって、メリルへ襲いかかった。

 術をかける余裕もない。


「なあに? キラナ。きゃ!」


 メリルが私に両手で押されて、軽く宙を飛び、尻餅をついた。

 目前に大蛇の牙が迫る。避けるような時間は残されていない。

 やられる!

 思わず固く目を固くつぶった。

 しかし、来るはずの痛みは来ずに、ふわりと体が抱きしめられたような感覚があった。

 ああ、死ぬときって案外、痛みを感じないものなのかな。

 恐る恐る目を開けると、私はこの世にいたままだったし、大蛇に噛まれてもいなかった。

 誰かが私を庇うように肩を抱いている。

 頰にあたる服の生地は上質でツルツルとして、しなやかなのに、分厚くて丈夫そうだ。村長ですらこんなに仕立てのいいものを着ているところを見たことがない。

 顔を上げると、私を抱いているのが見知らぬ男だということがわかった。黒髪に健康的な白さの肌。鼻が高く、整った顔立ち。一番目を引いたのは長いまつ毛の奥にある瞳だった。夜になる直前の空を閉じ込めたような深く暗い紫色の瞳。眼光は鋭く、それだけで相手の息を止めてしまいそうな迫力がある。こんな人は私の村にいない。

 さらに、肩に回されている腕と逆の腕を視線でたどり、ギョッとした。

 大蛇の首が素手で止められている。手が大蛇の上顎をしっかりと掴んでいる。上顎に大きな牙が並んでいるのがとてもよく見える。その牙から黄色く濁った毒の汁が垂れているのも。


「ウソ、でしょ」


 状況がイカれていた。幽鬼を素手で止めるなんて有り得ない。蛇の牙をこんなに間近に見たのも初めてだった。

 心臓が高鳴る。恐怖が這い上がってくる。息もつけない。

 男は私の呟きに対して何も反応せず、大蛇の顎を持つ手を無造作に振った。男の指先から白く輝く炎が上がり、大蛇の首は跡形もなく燃え尽きた。次いで、大蛇の胴体も黒い塵になって消える。

 今度こそ完全に幽鬼は消滅した。

 男から伝わる腕の力が緩くなる。心臓のドキドキはまだ治らない。

 体を離すと、男が少し屈んで私に尋ねた。


「怪我はないか?」

「ひゃ! ひゃい!」


 やばい。緊張で声裏返っちゃった。

 今度は急に恥ずかしくなって、別の意味で動悸がしてきた。顔がほてるのがわかる。これじゃまるで、ナイトに助けてもらったしがない村娘だ……いや、そうなのかもしれないけど! でも、私、強いし!


「あ、あの。どこのどなたか存じませんが、助けていただき、ありがとうございました!」


 腰を九十度に曲げてお辞儀! よし、これでなんか色々誤魔化せた気がする。

 相手の様子を窺うために、少し顔を上げると、男は困ったような表情を浮かべていた。


「怪我がなくてよかった」


 そして、ふいっとそっぽを向いた。

 その態度がさっきまでの厳ついイメージと違って、なんだか少し幼く見える。最初は年上かと思ったけれど、案外、あまり変わらない年齢かもしれない。

 おかげで、私の緊張はようやく解けた。


「素手で大蛇の攻撃を止めるなんて凄いですね」

「……別に」


 別に、かあ。蛇の攻撃を素手で止めた彼の手のひらは少し爛れていた。


「手、怪我してますか?」


 彼は今気がついた、とばかりに自分の手を見た。


「あ? ああ……ちょっと毒がついただけだ。これくらいは放っておけば治る」

「貸してください。お礼に治します」


 私は彼の返事を待たず、手を取った。


「アイシャ ソワカ ナーサティア」


 私の手から緑色の淡い光が放たれる。光は爛れた部分を包み込んだ。


「戦闘だけかと思ったら、治癒もできるのか。詰所にはいなかったと思ったが」


 どうやら私が大蛇と戦っているところから彼は見ていたみたいだ。

 私は彼の質問にうなずいた。


「治癒は少しだけ。祝福があるわけじゃないから、本当に少しですけど。詰所にいなかったのには少し事情があって」


 私が詰所にいなかったって思っているってことは、この人は王子様と一緒に来た人の誰かなのだろう。騒ぎが起きたから加勢しに来てくれたってことか。ヴァルナから来た誰かだと思えば、さっきのよくわからない戦い方にも合点がいく。私の知らない法術をこの人は知っているのだ。

 私の言葉を怪訝に思ったのだろうか。男の眉間に皺が寄った。

 ちょっとまずったかもしれない。私、戦っているところをヴァルナの人に見つかっちゃいけなかったんじゃ……これって詰所にいなかった理由を聞かれる流れ?

 しかし、男の指摘は私が心配していたところとズレた内容だった。


「祝福があるわけじゃ、ない?」

「そうですけど」


 思っていたのと違うところへの指摘に、今度は私が首を傾げた。何かおかしいことを言っただろうか。

 治癒を続けていると、メリルとジャーンが、大蛇の攻撃の余韻からようやく覚めたのだろうか、私たちの方へ駆け寄った。

 ところが、二人は私の元に来るより前に足を止めた。サッと地面に膝をつく。私たちを見てやったわけじゃない。その目は私たちの背中側に向けられていた。


「殿下」


 男が口にした言葉に、私は驚いて彼が見ている方へと視線を向けた。

 通りの向こう側から、背の高い男が後ろにたくさんの人を引き連れて、こちらに向かって悠然と歩いていた。

 ひとけのない道に風が吹く。その風が男の金色の髪をあおる。日が落ちた後だというのに、後ろにいる人たちが持つ松明の明かりを跳ね返して、その金色は豪奢に輝いた。

 私は息を呑む。

 それはまるで、あの日見た、夕日に輝く金色のようで。

 こんなに美しい金色を私は他に知らない。

 男が近づくにつれ、その容姿がよく見えるようになった。

 金色の髪の下には優しげで明るい紫の瞳が光っている。まるでいつか都会の博物館で見たアメジストという宝石みたいだ。

 いつの間にか私は治癒のことも忘れて、殿下と呼ばれた男の容姿をただ見つめていた。

 傷ひとつ見当たらない白磁の肌、通った鼻梁、薄くも厚くもない唇。見るからに仕立てのいい服に身を包み、臙脂色の長いマントがその背を優雅に飾っている。歩くときの足の運び方一つすらも、育ちの良さが滲み出ていた。これではまるで絵本の中の王子様のようだ。

 記憶の中のウィルと比べると、あまりに印象が優しすぎる気がした。

 けれど、金色の髪と紫色の瞳はあの日のままだ。

 ウィルなの? と聞きたくなるのを私は必死でこらえた。

 殿下と呼ばれているということは、彼はヴァルナの王子であり、私が許しもなくこの場で直接話しかけていいような人物ではなかった。

 殿下は私たちの立つ二歩前くらいのところで立ち止まると、人懐っこい笑顔を浮かべた。


「討伐は終わったようだね」

「ああ。俺が来たときにはあらかた終わっていた」


 王子からの問いかけに、隣に立つ男はまるで友人に話しかけるように気安く返した。

 王子は小首をかしげる。


「へえ……流石、中央からの派遣もなしに、被害なしを続けていた村だけあるね。威圧が強かったから、大変なことになるんじゃないかと心配していたのだけれど。昼間、詰所を見学した限りでは……何か、隠し事があったのかな?」


 王子の言葉を聞いて、後ろに控えていた村長と団長の顔色が悪くなる。

 隣に立つ男が目で私の方を指した。


「彼女が大蛇の首を落とした」

「なるほど。詰所にはいなかった顔だ」


 とうとう突っ込まれた。隣に立つ男といい、どうしてこうヴァルナの人たちは記憶力がいいの? 背中に冷や汗が流れる。

 王子の視線が私に注がれた。それだけじゃない。王子の後ろにいる村長や団長の視線も私に集まった。


「えっと、あの、体調不良で今日は休んでいて……でも、強そうな幽鬼の気配がしたから加勢に来ました」


 王子の目が笑みの形に細くなった。


「そうなんだ。お手柄だったね。ご苦労様」

「滅相もございません」

「ところで……」


 なんとか誤魔化せた……話が変わる気配に思わずほっと息をついた。村長たちも見るからに安堵の表情を浮かべている。

 ところが、私にとって本当に問題だったのは、この後に出てきた話題だった。

 王子は隣に立つ男に、少し厳しげな表情を浮かべて言った。


「気づいていたかい? 彼女が回復術を使っているあいだ、君の剣が光っていた」


 男が息を呑む気配がした。


「光っていた? そんなこと、あるのか?」


 王子は深刻そうに頷いだ。


「これは大変なことになるかもしれない」


 男の顔が曇る。

 理由はわからない。でも、その表情に大きな不安が湧いてくるのを感じた。

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