異形の襲撃(1)
王子様たちが来る朝、お姉ちゃんは私に何度も聞いた。
「本当にいいの? 行かなくて。主な視察先は詰所だって聞いているけど、学校や作業所にも来るって話だし、直接会える機会なんて、もう一生ないかもしれないんだよ?」
「うん……今日は、やっぱり……体調もよくないし」
「そう。じゃあ、私ももう、出かけるね」
玄関先でお姉ちゃんを見送った。家に残るのは私一人になった。
「さて……一日、どうしようかな」
さっきはそう言ったけど、本当は体調がいい。ただのズル休みだ。
今日はどうしても行く気になれなかった。
明日から衛士に戻るか、それともこのまま機織りの仕事を続けるかもまだ決めていない。
「家の掃除でもしようかな」
少しは気持ちがさっぱりするかもしれない。
私は納屋へ掃除道具を取りに行った。
夕方、掃除も終わってしまい、いよいよ何もやることがなくなってしまったあとは、約束の場所に向かった。ウィルと再会の約束をした場所だ。
「ここは全然変わってない」
草っ原の上に座り、太陽が沈むところを眺めた。
ゆっくりと、しかし確実に日が沈んでいく。
心が決まっていく。
「ねえ、ウィル。私、衛士辞めることにしたよ……そのほうがいいみたい。私もヴァルナに行けたらいいなって思っていたけど、ホロスコープは変えられない。今更気づくなんてね。ちょっと遅すぎるよね」
緩く円を描く地平線が金色に輝く。それと引き換えに、金色に染まっていた草原は色を無くし、黒く沈んでいく。
「鍛錬は続けるよ。だって、約束は守りたいから。我流でも強くなってみせる」
地平線からも輝きは失せ、空の色が茜色から紫色へと変化してゆく。
「だから、ここで待ってるよ」
太陽は去った。濃紺の夜空に星が輝く。
その中に太陽神スーリヤと同じく、ヴァルナの目と言われる月神ウシャスの輝きはない。
今日はウシャスが夜明け前になるまで登らない日だ。そういう日は異形が出やすい。夜間哨戒も夜になったと同時に始まる。
「早く帰ろう。見つかったら面倒だし」
腰を上げたその時だった。
ざらり、とした嫌な感じのする空気が圧となって体内を通り過ぎていった。異形の気配だ。
周囲を見渡すが、それらしい影はない。
しかし、気配がした以上、どこかで異形が力をふるっているはずだ。
遠くで破裂音が聞こえた。街灯でぼんやりと照らされた空に薄く煙が上がっている。
「村が襲われてる?!」
煙の方を目指して駆け出した。
村では怒号が飛び交っていた。
衛士が街角に立ち、詰所に避難するよう村人を誘導している。村人がバラバラに詰所へ向かって逃げている。煙が上がっているのはちょうど民家が多いあたりだ。襲われて、そのまま逃げてきたのだろう。夕食時だからか、身軽な服装の人が多かった。
ガレオンが建物の屋根に登り、襲撃があった方に目を向けたまま、他の衛士に指示を出しているのを見つけた。
手早くヴァーユの術式を組み、筋力強化をする。ガレオンのいる屋根の上へ飛び乗った。
「状況は?」
「キラナ、来たのか。哨戒していた奴が異形を見つけたまではよかったんだが、足止めできなかったみたいだ。すでに家が一つ体当たりされて崩れている。住人の生死は不明。喰われた奴はまだいないから、生きてると思いたいところだ」
「討伐には誰が行っているの?」
「近くに奴らがなんとか引き止めているが、いつまで持つか。詰所から団長が向かっている」
煙が出ている位置を確認した。詰所からはかなり距離がある。
これではまだまだ被害が増えるだろう。潰された家の住人がどうしているのかも心配だ。
私は屋根から飛び降りた。
走り出そうとしたとき、後ろから腕を掴まれた。
「どうする気だ?!」
屋根の上にいたはずのガレオンがいた。
「助けに行く」
ガレオンが厳しい表情で言った。
「行くな!」
「なんで」
「危険だ。団長から聞いたぞ。お前、衛士辞めるんだろ? 行くべきじゃない」
私が辞めると伝える前から、もう辞めることになっていたらしい。腹立たしかった。
「それ今関係あるの?」
「ある! お前が自分の身を危険に晒しても、正当に評価されることはないんだぞ。今回のことでわかったじゃねーか。わざわざ行くこたぁない。他の奴に任せておけ」
「……」
評価されることなんてない、その通りだった。だけど。
「星の祝福がなかったのに、衛士をしたいって言ったのは私だから。団長たちは危険を承知で私の希望を聞いてくれていただけ」
腹立たしくても、それが事実だった。私が望んだことだからお情けでやらせてくれていた、そういう面もあるのだ。
ガレオンが私の腕を握る力が強くなった。
「俺から言わせれば、ていよく使っていただけだ。大事なところで、保身ありきで、お前だけ外すなんてよ」
「そうだとしても!」
私はガレオンの手を強引に振りはらった。
「放っておくなんてできないよ。私は戦えるんだから」
私は異形がいる方へと踵を返した。
ガレオンはもう追ってこなかった。