王子殿下の視察(3)
次の日学校に行くと、話題は王子様とその護衛である将校の話題で持ちきりだった。
特に色めき立っていたのは女の子たちだ。みんなして二人のことを噂している。
金髪がどうとか、背が高いとか……私だって全く興味がないわけじゃない、かっこいい人は好きだ。
けれど、どうしても一緒に楽しむことは出来なくて、ただ笑うふりをして聞いていることしかできなかった。
放課後になると、いつもと同じようにリバルが私の机の前に立った。
「キラナ! 詰所行こうぜ」
「あ……うん」
リバルはまだ知らないんだ。私が団長たちに言われたこと。
話をするために一緒に教室を出た。
リバルは一歩前を、私はその後ろについていくような形で、校庭を歩いた。
「なあ、知ってるか? 王子殿下は昔、この辺りに住んでいたことがあるらしいぜ」
「そうなんだ……」
「だから、ちょっと寄ってみたくなったのもあるんだとよ。なんにしてもチャンスだよな」
リバルもみんなと同じように楽しそうだ。私もそうやって一緒に楽しめたら良かった。昨日あの話を聞くまでは私だってワクワクしていたのに。
校門を出たところで、私は立ち止まった。
「リバル。ごめん。私、今日、一緒に行けるのはここまでなんだよね」
リバルが振り返る。
「どうした? なんかあったのか」
私の様子がいつもと違うことに気づいたのか、リバルが心配そうに顔を寄せてきた。
私は少し体を後ろに引いた。
「団長にね、王子様たちが帰るまでの間は、作業場で機織りをするように命じられたの。だから、今日からお姉ちゃんとここで待ち合わせになってて」
「機織りって……」
少し考えたのち、リバルはハッとした表情を浮かべた。
「まさか、祝福か? キラナにはサラスヴァティーの祝福があるし。そういやリシ様も王子一向にいるって聞いたな」
「うん。一緒に特訓しようって言ったのに、ごめん」
私はリバルに頭を下げた。
リバルはきっと、私の悔しさをわかってくれる、と思った。同じ衛士だから。一緒になって怒ってほしいと思った。
なんで、エースのキラナを外すんだって、祝福なんて関係ないだろ、って。今まで、幽鬼を一緒に討伐してきたじゃないかって。
でも、帰ってきた言葉は、私が思っていたものと違っていた。
「そっか。でも、まあ、よかったんじゃないか」
「……え?」
顔を上げると、リバルは穏やかな笑みを浮かべて言った。
「正直、ずっと心配だった。キラナのこと。祝福もないのに戦うから……確かにキラナは強いけど、いつか大怪我するんじゃないかって」
リバルの手が私の肩をポンと軽く叩く。
「俺たちももう十六だし。真面目に将来のこと考えないといけない年だ。これを機に職場を変えてみるのもいいのかもな」
「あ……」
そんな風に、私のこと、思っていたんだ。
唇が震えた。なんて言おうか、言葉に迷う。
リバルにはインドラの祝福がある。私にはない。インドラどころか一つもない。それは生まれた時からわかっていたことだ。
私は無理に笑顔を作った。
「そう、だね。むしろ、今まで戦えていたのが不思議なくらいだもんね」
「お? ……ああ、まあ、そうだな」
涙が出そうだ。こらえていられない。
咄嗟に私は踵を返した。
「ごめん、私忘れ物したみたい。じゃあ、またね!」
「あ……ああ、またな」
多分、リバルは手を振っていたと思う。けれども私は振り返ることができなかった。
なぜなら、もう泣いていたからだ。
校舎の影まで走って、壁に寄りかかりながらしゃがんだ。涙が次から次に溢れてくる。
影の中は少し肌寒くて、寂しさが募った。
誰も、私に期待してなどしていなかったのだ。
エースなんて言いながら、実力も認めていながら、それでも祝福がないから、いざというときには役に立たない。これ以上強くはなれない。そんな風に思われていたのかと思うと、祝福なんて関係ないと能天気に信じていた自分が馬鹿みたいだ。
私は膝を抱いて小さくうずくまった。
お姉ちゃんが迎えにくるまで、そうしていた。
夜、窓辺に座って、空に輝く星を眺めていた。
いつもならやっと家に帰ってくるか、夜間哨戒を始める時間だ。夕食は詰所の仲間と一緒に食堂で食べる。
でも、それがない今日は夕食は家で家族と一緒に食べたし、今はこうして呑気に空を見上げている。平和なものだ。
もし、衛士を辞めて、作業所で仕事するようになれば、こういう生活パターンになっていく。
部屋にノックの音が響いた。
返事をする前にお姉ちゃんがドアの隙間から顔を出した。
「キラナ、入るよ。明かりもつけちゃうね」
お姉ちゃんがドアの横にあるパネルを叩いた。
蝋燭に火が灯ったような柔らかい光が部屋いっぱいに広がる。
何か話があるらしい。お姉ちゃんは部屋の中まで入ってきた。そして、ベッドに腰掛けるとお姉ちゃんは大きく伸びをした。
「うーん、今日も働いたわねえ。どう? 一日やってみて。機織りって一口で言っても色々な作業工程があるのよ。どれに一番惹かれた?」
「どれって……どれも、よくわかんないよ。今までほとんどやったことないし、どれも上手にできなかったし。ニア婆だって言ってたよ。これは育てるのに時間かかりそうだって。私、不器用だから」
本当に祝福があるのか疑わしい。祝福がある人とない人を比べると、最初からある程度うまくこなせるはず、なんだけど。だったらもう少し上手にできても良さそうなのに。
「私は向いてないとは思わなかったけどな。キラナ、刺繍のデザイン画書いてたでしょ? ニア婆は模様がシンカー村の工芸らしくないって言っていたけど、私は素敵だと思ったよ。デザインを任されるようになるには、かなり修行が必要だけどね」
「……」
私が返事をせずにいると、お姉ちゃんが話題を変えた。
「さっきリバルがうちに来てたよ。明日学校で話せってお父さんが追い返しちゃったけど」
「知ってる。上から見てたから。あれだけ見てたのに、視線に気づきもしないんだから。鈍感すぎでしょ。それで本当に衛士なのって感じ」
お姉ちゃんが嫌味を言った私を静かな声でたしなめた。
「そういう言い方はよくないよ。リバルは心配してキラナに会いに来たんでしょ」
けれども、すぐに穏やかな笑みを取り戻すと、優しい声で問いかけた。
「何かあったの? 放課後、校舎の影にいたことと関係ある?」
「……」
話そうかどうか迷った。これ以上、傷つきたくない。でも、話したら私の気持ちをわかってくれるかもしれない。迷った挙句、結局話すことにした。
「リバルに、ちょうどいい機会だから仕事変えたら? って言われたの。それがとても悲しくて。私の今までの努力とか実績ってなんだったんだろうって。がんばってきたのに、祝福なんて自分ではどうにもできないことで全部なしにされちゃうんだって」
気の毒だと言いたげにお姉ちゃんは私を見た。
私は話を続けた。
「しかも、隊ではエースなんて言われてたんだよ? みんな、私に期待してくれてるって思ってた。私がこの村を幽鬼から守るんだって。やりがいもあった。だけど、結局は祝福がないとダメなんだなって……だから、リバルと話した後、泣いちゃって。リバルには気づかれないようにしたつもりだけど、ちょっと変には感じたと思う」
お姉ちゃんがベッドから離れ私の隣に立った。
「そうだったの。辛かったね」
そして、私の頭を撫でた。
「やめて。もう子どもじゃないんだから」
「ふふふ。そうね。でも、キラナの銀色の髪が夜空を映して、とても綺麗だったから、触りたくなっちゃったの」
なんて恥ずかしい褒め言葉をこの人は言うんだ。むずむずする。
お姉ちゃんは指先で私の髪をすきはじめた。
「私は、キラナみたいに、これがやりたいって強い気持ちがなかったから、祝福どおりに仕事を選んだ。だから、あなたの気持ちを全部わかってあげることはできないと思うんだけど」
お姉ちゃんの髪をなぞる手が気持ちいい。
夜の風のように柔らかいお姉ちゃんの声がスッと耳の中に入ってくる。
「幽鬼から守ることだけがこの町で必要とされている仕事じゃない。機織りの仕事だってとても大切な仕事よ。こんなに小さいシンカー村がある程度裕福なのは、この工芸のおかげなんだから。生まれたとき、星が輝いていたんだもの。キラナにもその才能がある。だから、王子様たちが帰っても、一緒にがんばってくれると私は嬉しいよ」
ポンと私の頭を軽く叩いて、お姉ちゃんは私の髪をすくのをやめた。ドアに向かう。
「明かりは消した方がいい?」
「うん……もう少し、星を眺めていたいから」
「そう。おやすみ、キラナ」
「おやすみ、お姉ちゃん」
お姉ちゃんは明かりを消すとドアを閉めた。
私は夜空に視線を戻した。
色とりどりの星たちの中に一際強く輝く星がいくつか散らばっている。ウシャスとカーマ、そしてインドラだ。特に月であるウシャスの光は強い。月が光る夜は少し明るい。幽鬼が出ることも滅多にない。今日の哨戒は月が見えなくなる深夜から朝方だけになっているはずだ。
「そろそろ限界、なのかな……ウィル」
窓枠の横に立てかけたままの木刀を手に取り、軽く振った。
別れの日、ウィルが私に残していった木刀。これを使って一緒にいつも剣術の練習をした。再会の印を柄に彫り、一本ずつ持っておくことにした。
彼がいなくなってから十年が経った。
今となってはもう、顔も声も思い出せない。
最初に思い出せなくなったのは顔だった。その次に声がわからなくなった。
それでも夢に見たときは、声だけは再生されていたのに、最近は夢に見ることすらなくなった。
覚えているのは別れた時に見た、一面の金色と、涙で潤む紫色の瞳。
一緒に強くなろう、必ずまた会って剣を合わせようと約束した。
十年前、彼と一緒に木刀を振っていた頃は、戦闘法術のこともよくわかっていなかった。その法術に祝福が関係していることも。ただ剣術が優れていればいいのだと思っていた。将来のことなんてよくわかっていなかった。
あんなに幼かったのに、ヴァルナ王国にスカウトされるくらいだから、ウィルには剣の腕だけではなく、きっと強い祝福があったのだ。星の祝福が。
あの時、私たちは同じだと思っていたのに、実は全然違っていた。
「今、どこにいるの? ヴァルナ王国でがんばっているの? 会いたいよ、ウィル」
風が吹いて言葉を散らす。夜が更けてきたせいか、風に冷たいものが混じっていた。
私は窓を閉め、カーテンを引いた。