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王子殿下の視察(1)

 夜明け前、まだ暗い夜の中を走った。

 月明かりはない。今日はもう沈んでしまった。それでも走り慣れた森だ。明かりなんてなくても、つまずくことはない。


「キラナ! そっちへ行ったぞ!」


 森の影から怒号が飛ぶ。


「わかった!」


 ことさら大きな声で返事を返した。異形は人を襲いたがる。理由は知らないけれど、襲って殺そうとする。だから、奴も人を探しているはずだ。私の高い声は森の中で他の人よりずっと大きく響くことを私は知っている。

 さあ、声を聞きつけて、私の元に来るといい。

 思惑通り、木の影から一匹の獣が飛び出してきた。その獣は、狼のような姿をしていたが、狼と比べると体が一回り大きく、額には角が生えている。幽鬼に取り憑かれた異形のモノ。それらのことを私たちは単純に異形と呼ぶ。


「アイシャ ソワカ インドラ」


 法術を使うべく、素早く詠唱した。

 腰に下げた剣に描かれている紋様が黄色く光り始めた。剣に雷を司どるインドラの力が宿る。異形は法術を使って倒さない限り、消えることがない。


「アイシャ ソワカ ヴァーユ!」


 インドラだけでなくヴァーユの法術も発動させる。今ごろきっと、背中の紋様が光っていることだろう。今度は私の筋力強化だ。


「ハァ!」


 獣を飛び越すほどに高く飛んだ。同時に腰に下げていた剣を鞘から抜く。クルリと空中で一回転。回転の勢いで、剣が音もなく獣の首を落とした。インドラの力で強化した剣の切れ味は抜群だ。

 着地したのと同じタイミングで、獣の体が黒い塵となって弾けた。

 まるで最初からそこは何もなかったかのように獣の姿は跡形もなく消える。


「よっし! 討伐完了!」


 剣を勢いよく鞘に戻した。

 その脇で森の木々が揺れる。


「キラナ、終わったのか?」


 木々の間からリバルが顔を出した。さっき、私に合図を出してくれたのはリバルだった。日焼けした肌に赤髪、陽気な眉の彼は、朗らかで優しい、私の相棒だ。


「もちろん、バッチリ」


 私がウインクを返すと、リバルがニカっと笑った。


「相変わらず、スゲー手際だな! 怪我は……ないみたいだな」


 言いながら、リバルは私の周りをぐるりと一周し、私に怪我がないかを確認した。


「別に大丈夫だよ。今日なんて一瞬だったし」


 リバルが怒ったように腰に手を当てた。


「そんなこと言って、よく怪我してんだろが。キラナは自分の怪我とか危険に無頓着すぎんだよ。心配するこっちの身にもなれ」

「うーい」


 そこまで無頓着なつもりはないけれど、リバルに言わせればそういうことらしい。私は戦い始めると危険を察知するセンサーが壊れてるとか、なんとか。

 村の方から鐘の音がした。

 空を見上げると、東の方が薄く白んでいる。

 リバルが爽やかに笑った。


「今夜はこれで終わりみたいだな。戻ろうか」

「うん! 帰ろう」


 私もリバルに釣られて笑った。




 詰所に戻ると、すでにほとんどの衛士が哨戒から戻っていた。

 ガレオンが入り口の横に座っている。いがぐり頭に茶色い髭を蓄え、衛士というより山賊のような雰囲気を持つ彼は、私たちの兄貴分だった。

 ガレオンは私たちが詰所に帰ってきたことに気がつくと、気安い様子で片手を上げた。


「よお、遅かったな」

「異形倒してたら、少し遅くなっちゃいました」


 ガレオンが私の言葉にうなずいた。


「夜明け近くに出る異形なんざ、特に強力な奴が多いから、増援が必要かと本部では話になっていたんだが……その様子じゃ問題なかったみたいだな」


 私は親指を立てポーズをとった。


「いつも通りでした! 楽勝です!」


 ガレオンがニヤリと口の端を上げた。


「さすが、我が村のエース様だ」


 ガレオンが詰所の奥を親指で差した。


「これから終わりの会だ。今日はなんか大切な発表があるみたいだぜ。二人とも、前の方までいきな」


 ありがとうございます、と頭を下げて、私とリバルは詰所の奥へと向かった。

 私たちが詰所の最前列まで行くと、団長が壇上から声を上げた。


「全員揃ったようだ。皆、静かにしてくれ」


 団長の太く低い声に、話し声であふれていた詰所は急に静かになった。


「今晩も哨戒、ご苦労だった。来週の当番表は入り口横に出しておいたから、各自確認してくれ」


 団長は一度言葉を切ると、ゆっくり全員を見回した。


「さて、諸君らの中にはすでに聞いている者もいるかもしれないが、十日後、村に客人が来ることになった。ヴァルナ王国の王子殿下だ」


 静かだった詰所の中にどよめきが走った。


「ヴァルナの……? 中央のお偉いさんが何の用だ」

「そんな偉い人を歓迎できる場所なんて、この村にはないぞ」

「隊の視察って言ったって、こんな五十人もいないような詰所に来ても、見るものもないだろ」

「滞在中の警備はどうするんだ。うちにはそんな余裕ないぞ」


 口々に衛士たちは疑問を述べた。

 無理もなかった。

 メルバ共和国はミスラ連合のうちでも弱小国家だ。さらに、私たちが住むシンカー村はそのメルバ共和国の中でも端の方に位置する人口三千人にも満たない小さな村だった。森と川と草地以外何もない、ド田舎なのである。

 対して、ヴァルナ王国は面積こそ国としては最小であるものの、人界にある全ての国が所属するミスラ連合の主幹国家だ。幽鬼から人々を守る使命を持ち、神が与えしアーカーシャの剣を管理する神の国でもある。その首都にはミスラ教会の総本山があり、文化、科学技術の中心地となっている。

 つまり、ヴァルナ王国とメルバ共和国の間には天と地ほど国力に差がある。この村にヴァルナ王国の王子の興味を引くものなど全くありはしないはずだった。

 もしあるとすれば、ヴァルナ王国から離れているためにアーカーシャの守りが薄く、比較的異形が出やすいことくらいだ。

 しかし、それはより危険で人が暮らしにくい、と言う意味しかなく、高貴な人がわざわざ来るような場所とはとても思えない。

 どよめきが収まるのを待って団長は再び口を開いた。


「王子殿下はここ二、三年、この村で異形の被害が全くないことに興味を持たれたようだ。連合辺縁の国では被害が大きいのが普通だからな……隊の訓練を見たいとおっしゃっている」


 団長はガッツポーズを作った。


「いいか、これはチャンスだ。殿下にはヴァルナの将校も護衛として同伴していると聞いた。指導をあおげるかもしれん。さらに、実力の高い者は、ヴァルナ王国への出向となることもあり得る」


 ヴァルナの将校という言葉に、王子めんどくさいという空気が散り、詰所内は急に活気づいた。

 ヴァルナの将校、それは、私たち普通の町衛士からすれば憧れの存在だ。

 町衛士の中でも優秀な者がヴァルナ王国に呼ばれ、さらにその中でも優秀な者がヴァルナ王国の首都に呼ばれる。そしてさらに、その中でも優秀な者がやっと就くことができる地位、それがヴァルナの将校だった。

 正確には、ミスラ連合が持つ軍組織の少尉以上の人たちがそう呼ばれているらしいけど、あまり詳しいことを私は知らない。

 ただ、彼らが、ミスラ連合に所属する国々で、町衛士では対処しきれない強力な異形が発生したとき、駆けつけてそれを討伐してくれる、まさに守り神のような存在だということは、まだ学校に通っていない小さな子どもでも知っている。

 リバルが呟くように言った。


「なんか、とんでもないことになったな。どうするよ?」


 私は両手を頰に当てた。興奮が抑えられない。


「どうするって、どうしよう! こんな機会が来るなんて」

「こんな田舎でな!」


 降って湧いたような話だった。あまりの話の突飛さに、にわかには信じられず、私たちはお互いの頬をつねりあった。痛かった。

 団長の脇に控えていた副団長が一歩前へ出た。


「我々の村からは長らくヴァルナ王国への出向者が出ていない。そのため、村で法術を指導できるのは村長とエルダさんだけだ。この機を逃してはならない!」


 副団長の言葉に団長は深く頷いた。


「その通りだ。よって、体調不良を除き、十日後の鍛錬は全員参加とする」

 以上、解散! という団長の宣言を、果たしてどれだけの者が聞いていただろう。詰所の中はすでに大賑わいとなっていた。


「こうなったら、これから十日間、特訓だね! 最高の状態で迎えよう!」

「だな!」


 私とリバルは互いの拳を合わせた。

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