61.忘れ去られかけていた道場復興のためにミルは奮起する
喫茶店の隣にある道場は、しんと静まり返った空気で満たされていた。
外の嵐による騒音はほぼ遮断されており、もはや誰も居ない寂しい空間と変わりない。
しかし、実際はミルが畳も何も敷かれていない板床の上で座禅を組んでいる。
彼女はひたすら無心になろうと瞑想しており、自身の中で湧き立つ闘争本能をコントロールしようとしていた。
だが、精神統一すればするほど過去の場面がフラッシュバックし、思わず拳に力が入る。
「はあぁ~……」
つい疲労感混じりの情けない溜め息が漏れてしまう。
これに伴って気が滅入り、瞑想から覚めたのでミルは目を開けた。
すると手を伸ばずとも届く至近距離で、いつの間にか楓華が屈んでいるのだった。
「うっひゃ!?ふ、フウカお姉様!?」
ミルは座禅の姿勢を保ったまま仰け反る。
そんな驚く彼女の姿を見た楓華はにんまりと微笑んだ後、素直な感想を伝えた。
「あっはは、良い反応だね!しかしミルちゃん、めっちゃ集中していたなぁ。まさかアタイに気が付かないなんてさ。いつも足音か息遣いで反応するレベルなのに」
「たしかに集中はしていたよ。でもフウカお姉様ってば、わざと気配を消して近づいて来たよね?」
「うん。もし遊びの途中だったら邪魔したくないなぁって気持ちが1割。あと驚かせたい気持ちが9割かな」
「じゃあ9割も満足しているじゃん。もうイジワルなフウカお姉様~」
ミルは口先を尖らせ、ほんの少しだけ刺々しい態度を示した。
だが、すぐに少女の表情は柔らかくなり、更に数秒後には幸せな雰囲気になる。
きっと特別な接し方をされる事と2人っきりの状況が嬉しいのだろう。
すっかり心置きなく照れるようになったミルを見て、楓華は相手の両手を握りながら喋った。
「すぐに嬉しそうな顔しちゃって~。ミルちゃんは相変わらずカワイイなぁ。初めて会った時はあれだけ強がってたのにね~」
「フウカお姉様にはお世話になりっぱなしだもん。それなら甘えたくなるのも当然だよ」
「うんうん、相手に心を許すのは大事だよ。同じ人間同士、下手に妬み合ったりしても損でしょ。むしろ仲良くしたり、信頼し合った方がお得!その方が日々の生活に張り合いが出るしな!」
どうやら楓華にとっての経験則らしく、自信満々に語った。
本気で言いきる様は眩しく、いつも前向きな姿勢にミルは心打たれる。
ただ尊敬すると同時に悲しみに似た気持ちも覚えた。
「やっぱりフウカお姉様は凄いね。ミルが生まれ育った世界にフウカお姉様が居れば、友達はもっと幸せに生きられたのに」
「あぁ、ミルちゃんはアタイと同じで異世界転移されたんだよな。元々は組織の一員であれこれ……、ごめん。あの時は色々と覚えることがあったから、ちょっと記憶が曖昧になっている」
「えっへへ、別に良いよ。えっとね、ミルが生まれた世界には魔狼って呼ばれる怪物が無限に存在して、終わらない戦いが3000年以上も続いているんだよ」
「うおー長いね。そりゃあ大変だ」
「う~ん、楽では無かったかなぁ。でも、文明はけっこう栄えていたよ。いくつも町があって、交流があって娯楽もあった。ミルの役割は戦闘だから忙しかったけどね」
軽い口調で教えてくれているが、数えきれないほど危険で苦境の場面に立たされているはずだ。
そう考えたら可哀そうという同情心を抱く。
しかし、なるべく晴れやかな気持ちで日々を過ごして欲しいと楓華は願っているため、ポジティブな要素を取り上げた。
「さっき友達が居ることを言っていたし、楽しい事がある世界だったんだな」
「うん。まぁ友達ってのはミルが勝手に呼んでいただけで、皆は戦友や同志やらと堅苦しい言葉ばかり使っていたかな。あとは……そうそう、変なグループもできてた」
「あっははは、忙しい世界なのに変なグループって。もしかして変質者集団?」
「それに近いかも。やたらと『天然』と『人工』に拘る友達で、『天然』の戦闘員の方が強くて偉い。『人工』の戦闘員はおちこぼれって言ってた。変だよね。戦場では協力し合う友達なのに」
この話を聞いたとき、楓華は即座に意味を理解して返事できなかった。
はっきりとした状況や関係性は何も分からないが、おそらくミルが言っているのは階級制によるイジメか差別だ。
苦労が絶えない世界とは言え、社会性ある文明が3000年以上も存続しているから起こってしまうのだろう。
しかも組織の規模が大きければ一致団結という綺麗事は難しく、強制的に戦闘させられているなら鬱憤を晴らす捌け口を求めるのは必然だ。
そんな深読みをしたせいで楓華が大人しい雰囲気を僅かに滲ませてしまうと、ミルは機敏に察知して話題を変えた。
「っと、そんな思い出話よりも先の事だよ!村の知名度は上がったでしょ?そして住みやすくなり始めて、門下生が増えるのも夢物語じゃなくなった!だから先を見据えて、稽古メニューを組んでいたんだ~」
「そっか。そういう準備も必要不可欠だな。まぁアタイは1度も稽古してないし、モモちゃんが稽古している姿を見た事もないけどさ」
「うん、誰も道場のことを気にかけて無いままだったから。それを変えるためにも、まずは目標……じゃなくて指針って言うんだっけ?みたいなのも思案しているところだよ」
「いいね。だけど本格的に再始動させるとして、どういう系統の武術を教えるの?やっぱりミル流武術?」
「ううん。教えるのはおじいちゃんの武術。武道書が遺っているから、それから読み解くの。それにミルの技ってば、怪物の殲滅を想定しているから」
「亡きおじいちゃんの教えが受け継がれていくわけか。ミルが頑張っていると知れば、きっとおじいちゃんは凄く喜んでくれるだろうね」
もちろん楓華は、3姉妹を拾ったおじいちゃんについて何も知らない。
だが、道場の師範で養子のために尽くそうとした人なのだから悪い性格なわけが無いと確信していた。
何より姉妹全員がおじいちゃんの事を楽しそうに語るのが善人の証拠だ。
とにかくミルの言動から家族愛を感じた楓華は温かい気持ちになった後、本題であるクロスのことを伝えた。
「そういえばミルちゃんに話があって来たんだった。実は、今から体験レッスンを受けてみたいって人が居るんだよ。ちなみに2人ね」
「そうなの?こんな天気が悪い日に?それにまだ何も決めて無いよ」
「大丈夫。交流みたいな遊び感覚で入門希望者じゃないから。それで1人は戦闘慣れしたクロスって名前の女性で、もう1人はリールちゃんって名前の凄く幼い女の子。あとアタイが指導するつもりだしさ」
「フウカお姉様が指導かぁ……。うーん、せっかくの機会だからミルに任せて欲しいな。ミルは教えるのは苦手だけど、頑張ってみたい。あとフウカお姉様って門下生でしょ?」
「良い心意気だね!そして門下生じゃなく同じ立場のつもりになってた!じゃあ、アタイは補佐を務めるよ。あぁでも、それだと余計なお世話になるか?」
「ううん、フウカお姉様なら大歓迎だよ!絶対に安心するし心強い!超すごく頑張れる!」
ミルは目を輝かせて意気込み、握っていた手に力を入れて張りきった。
目標のために全力で頑張ろうとする少女の姿は活力が漲っており、楓華の目にはミルが成長する瞬間として映った。
まだ幼くて未熟な一面は目立つが、それでも充分に頼もしい。
そう心の底から楓華は思ったから、微笑んで称賛を送る。
「ミルちゃんはいつも立派だね。そんな一生懸命なところがアタイは大好きだ」
「えっへへ、ミルも同じ気持ちかな」




