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50.メイド時代のヴィム

ヴィム。

それが私の名前で、名付け親は孤児院の先生。


そして現在の私は長女という大役を任せられているけれども、それより昔はフィルツ家に務めるメイドだった。

それは物心が付いた頃からメイドとして給仕していた程で、正直ちょっと自慢できるくらい経歴は長いし、相応の手際の良さを身に付けていると自負している。

でも、私の役割は単なるメイドだけじゃなかった。


雇い主である旦那様の娘、つまりお嬢様は簡単に言えば病人だった。

私がそのお嬢様と同年代の友人で居る事が、メイドの役割より強く求められていた。

それに旦那様が「私の愛娘マリーは闘病生活が続くばかりだ。そしてヴィム君には娘の友として支えて欲しい。これは心の治療でもあるんだ」と懇願してきたくらい。

旦那様の瞳の奥には輝かしい志が宿っており、娘に充実した生活を送らせようとする懸命な心が垣間見えたことは今でも忘れられない。


当時の私はまだ幼く純朴(じゅんぼく)だった上、人の幸せのために尽くせることが嬉しかったから誠心誠意に奉仕した。

お嬢様も私のことを年齢が近いメイドというだけでは無く、友達だと思って自然体で接してくれた。

だからお互いに主従関係は強く意識せず、解放的な態度でお喋りしたり、色々な遊びを試みた。


どの遊びも、どんな時も楽しかった。

さすがに同じベッドで眠るという事はできなかったけれど、それ以外の時間はほとんど一緒に居たと言いきれる。

ただし、あくまで私はお嬢様を守る側。

そのため常に『私がお嬢様のために、そしてお嬢様の代わりにしなければならない』という意識は持っていた。


それからある晴れた日のこと。

色とりどりの花に囲まれた庭園で、お嬢様と旦那様はティータイムを楽しんでいた。

その時の私は付き人としてメイドらしく振る舞っていた最中、旦那様が少し物寂しい表情でお嬢様に問いかけた。


「マリー。なにか……そうだな。パパと一緒にやりたいことはあるか?前にお願いされた山登りは難しいが、その他にも街へ出かけて……例えばショーを観覧する時間くらいなら作れる」


日頃の旦那様は非常にスマートで気品が溢れる方。

でも、娘マリーの前だとお人好しで恥ずかしがり屋のお父さん。

風で揺れる花に視線が泳いでしまうくらい、我が子に気遣う事が不慣れな人になってしまう。

お嬢様はそんな緊張と恥じらいの両方の感情に(さいな)まれる父親を見て、甘え仕草の笑顔を浮かべながら答えた。


「お父様。マリーはね、喫茶店へ行きたいの」


「喫茶店?」


この返答は予想外で、旦那様に限らず私も一種の驚きを受けた。

こうしてティータイムしている時に言い出すなんて、もしかして私の淹れ方やセッティングに不満があるのかもと、今にして思えば要らない心配をした。


「もちろん行ける。行けるが、しかしなぜ喫茶店なんだ?」


「この前、ヴィムと本を読んだ時に色んな茶葉や豆があることを知りましたの。そしてマリーは、大きくなったら喫茶店を経営したいと考えましたのよ。様々なお客様と出会い、マリーと同じ時間を過ごして頂けるから」


「ははっ。とても立派だな」


「それに他の人達のお世話になりっぱなしですから、ヴィムみたくマリーの方から相手を持て()したいの」


「つまり、マリーの将来の夢ということか。あぁそうだな。そのために事前に勉強をすることは素晴らしい心構えだ」


「お父様、その際はヴィムも同行させて下さいね?彼女の焼き菓子はおいしく、淹れる紅茶も素晴らしいもの。だから、いつかヴィムと一緒に喫茶店を営みたいのです」


「分かった。それじゃあヴィム君、そういうことだ。君の都合に合えば、是非とも私たち家族と一緒に街の喫茶店へ(おもむ)こう」


旦那様からの優しい呼びかけ。

その素晴らしい誘いに私は丁寧な作法で応え、ほんの少し期待で浮かれた声色で返した。


「はい旦那様、喜んで。(つつし)んで(うけたまわ)ります。マリーお嬢様もよろしくお願いしますね」


それからというのも、想像より忙しい日々が続いた。

マリーは喫茶店だけと言っていたのにも関わらず、当然のように市場へ足を運んで賑やかに歩き回っていた。

ある日は別の喫茶店。

ある日はレストラン。

またある日は果樹園や動物園など……、取り留めない行動に私と旦那様は振り回されたものだ。


まるで年齢相応に騒ぐ子どもみたいに元気がたっぷり。

けれども、それだけ外を満喫して帰宅すればマリーは体力消耗が原因で寝込むから、私と旦那様は何度も話し合った記憶がある。

そうして少し無理した日常が続く中、いつの日だったかマリーと私はちょっとした喫茶店の真似事をした。


とは言っても、いつもの庭園でいつものティータイム形式に過ぎなかったけれども。

それに旦那様が出かけていたから、私とマリーが2人っきりで対面しながら楽しむお茶会同然だった。


「ねぇヴィム」


マリーは、月と同等の儚さと美しさを併せ持った瞳で私を見つめる。

その視線に私は見惚れながら返事した。


「どうか致しましたか、マリーお嬢様」


「うーん。こういう時は、前にマリーが教えた話し方で喋って欲しいな。ヴィムとマリーは同じ身分の友達でしょう?ほら、自信に満ち足りた振る舞いでね」


語気が跳ね上がった言い方。

そして綺麗な笑顔で話してくれる様は、上品というより礼儀正しく友達と接している雰囲気だ。


「こほん。では、マリーちゃん。一体どうしたのかしら?」


「うんうん。それでね、ここ最近は色々な喫茶店へ行ったけれど、結局ヴィムが淹れてくれる紅茶が一番おいしいなーって思ったのよ」


「ふふっ、当然ね。だってマリーちゃんの好みや気分に合わせているもの。だから味は私の方が(まさ)ろうとも、きっと単純な質では喫茶店の方が優れているはずだわ」


「初めて知りました。やはりヴィムは優れた能力をお持ちですのね。相手の調子に合わせた淹れ方ができるなんて。その技法と心遣いは是非とも見習いたいわ」


「きっとマリーちゃんなら、すぐに出来るようになりますよ」


「お世辞?」


マリーは僅かに目を細めて、様子を伺うように言ってきた。

これは私を困らせてからかう(・・・・)時の癖。

そんな彼女の目論見(もくろみ)(かわ)すように、私はあえて大げさに肯定した。


「心からの言葉よ。マリーちゃんは学習することに、そして成長することに貪欲だもの。そして探究心に見合うだけの素質を持っている。今はまだ経験が浅いから、どういう心遣いが最適なのか知らないだけ」


「ふぅん。それじゃあマリー、少しの間メイドになるわ。ヴィムと同じ仕事をすれば、きっとすぐに追い抜かせるわよね?」


「追い抜かせるでしょうけれど……それは、はぁ……さすがに困ります。ここで私が了承するものなら、マリーちゃんは絶対に有言実行するでしょう」


「当然です!」


「あぁ、もう……。もしマリーお嬢様に給仕をさせたら、寛容な旦那様でも血相を変えますよ」


私が返答に(きゅう)して話を濁すと、マリーはちょっと意地悪っぽくありながらも楽しそうに笑った。

他人からすれば他愛ないやり取り。

でも、こんなふざけ合った会話ができるのはマリーからすれば私だけ。

だから特別な一時で、こんな何気ない冗談の言い合いが貴重な瞬間だった。

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