29.婚約指輪とプロポーズ
楓華がプレゼントしようとしている金の指輪は、おそらく今回の仕事でこっそり手に入れたのだろう。
それは派手な装飾だったり凝った造りは施されてない指輪だが、シンプルながら美しい輝きを放っていた。
「じゃじゃーん、これ婚約指輪ね。どう?夜の観覧車でプレゼントを渡すシチュエーションと言えば、こういうのでしょ?」
まったくロマンチックさを感じられない言い方をしているが、それは楓華の照れ隠しだった。
いつになく不器用な笑顔で喋り、スマートな渡し方が思いつかないせいで指輪を見せつけるだけ。
一方、ヒバナは指輪を見た途端に驚いた顔で固まっていた。
楓華からすれば、どう捉えれば良いのか分からない反応だ。
そのため彼女は戸惑い、焦り気味に捲し立てた。
「あっ、ヤバ。もしかしてアレかな。またアタイったら愛情が重過ぎムーブしちゃった?それならごめん。冷静に考えたら出会った次の日に婚約指輪なんて、さすがに押しつけがましいよね?」
「あの、フウカ氏……」
「あれ、目が潤んでる?そこまで恐い思いをさせちゃった?既成事実を作るために襲おうとか考えてないからね?」
「いえ、違います……。ただ無性に嬉しいんです。結婚することはまだ分からないですし、現実味を感じているわけじゃないんです。だけど、それだけ某のことを強く求めてくれているんだと……。本当に理由は分からないですけど、とにかく報われたような気持ちになるんです……!」
とても曖昧で、とても抽象的な感情が溢れる。
しかし、それは明確に嬉しいという気持ちが湧き上がっていることをヒバナは自覚していて、大粒の涙をこぼし始めた。
感激のあまり泣いているのだから、きっと幸せな瞬間だと心底思ってくれている。
そうだと分かっていても、こうもいきなり泣かれる場面に楓華は慣れていなかった。
「うわわっ!?あぁ泣かないでヒバナちゃん!べ、別に受け取らなくても良いから!ねっ?ゆ、指輪だって別にアクセサリー品……えっと、婚約じゃなくて親愛の証として受け取ってくれれば良いからさ!」
「ぐすっ……。いくら某でも……嬉しいことは見逃さず貪欲になりたいです。だから、それは婚約指輪として受け取らせて下さい」
「えっ、いいの?いや、アタイから言い出した事だし婚約が冗談ってわけじゃないけど。願ったり叶ったりだしさ、マジで良いの?本気にするよ?」
「本気にして下さい。受け取るからには某もこれからの人生設計を真剣に考えます。そして自分を見つめ直して花嫁修行します。あとフウカ氏のことを全力で応援します」
「おぉ凄い。誠意に応えようとする真面目なところもヒバナちゃんの良い所だよ。うんうん、やっぱり知れば知るほど魅力的だわ」
楓華はヒバナのことを褒めながら指輪を手渡す。
それからヒバナが自分で指に嵌めると、指輪は勝手に伸縮してサイズがぴったりになるのだった。
どうやら未知の技術が使われているみたいで、その変化に楓華は感心の声をあげる。
「へぇ便利だね」
「そうですね。そしてこれで某は正真正銘、未来のお嫁さんです。どうぞよろしくお願いしますね、フウカ氏」
「こちらこそよろしくね。ただ真面目な話、結婚式は色々と片が付いてからだな。当面は婚約者で、少なくとも借金の件を終わらせて……あと安定の収入を得る必要もあるしなぁ」
「ふふっ、当面は先の話ですね。でも某は信じて待ちます。それまでに花嫁修業を済ませて、恥ずかしくない新妻になってみせます」
楓華からの求婚と励ましはフウカにとって大きな刺激となり、ネガティブな感情を払拭するほど活力に満ち足りていた。
とは言えヒバナの性格からして、また何気ない時にネガティブな気分に流されるだろう。
だが、将来結婚するという事実。
更に楓華が自分を求めてくれているという事を思い出せば、挫けることは絶対にありえない。
そして2人は幸福感と満足感を堪能しつつ、ゆっくりと一周した観覧車から降り立った。
その十数秒後にヴィムとミルが後続のゴンドラから降りて来るのだが、すぐさまミルだけは異変を察知するのだった。
「ふぇ?なに?なんかおかしい空気がするんだけど?ねぇヒバナお姉ちゃん。指輪なんてしていたっけ?さっきはしてなかったよね?薬指に指輪なんて!」
心なしかピリつく気配を感じる。
それは燃え上がる闘志に似ていて、ヒバナの代わりに楓華が早々と答えるのだった。
「アタイがヒバナちゃんに婚約指輪をあげたんだよ。そしてヒバナちゃんは受け入れてくれたってわけ」
「はい?はいはいはいはいはい。えーっと、はい?ほぉん、はいはい?」
ミルは壊れた人形みたいに疑問の声を無機質に連呼する。
出会った初日の時点で楓華が結婚生活宣言していたので、2人が婚約したことに憤りは覚えていない。
ただミルは誰よりも楓華のことを愛していると自負し始めた矢先なので、先を越されたことにショックが大きいようだ。
しかも一番乗りが、よりによってアプローチとは縁が無いであろう次女ヒバナ。
何であれ婚約が成立した揺るぎない事実を突きつけられ、ミルの脳内はパニック状態と化した。
「いや、なんで!?そもそもヒバナお姉ちゃんってフウカお姉様のこと大好きだったの!?知らなかったんだけど!ううん、そんな事よりミルにもプロポーズしてよ!むしろミルからプロポーズするべきかな!?」
ミルは形振り構わず本心を剥き出しにして叫ぶ。
加えて必死な形相で楓華に飛びつき、観覧車のゴンドラへ連れて行こうとしていた。
「今すぐミルと乗ってプロポーズして!ちゃんとしたプロポーズは後でも良いから!もういっそのこと授かり結婚にする!?ゴンドラで子ども作ろうよ!まだ無理かもしれないけど、フウカお姉様のためならミルは気合いで妊娠するよ!なんなら嘘ついてでも、あの時のチュウが原因で授かったって言い張るから!」
発言内容は飛躍していて馬鹿げているが、悲しいことにミル自身は本気のつもりで声を荒げていた。
それほど本人にとっては重要で、絶対に叶えたい夢になってしまっているのだろう。
しかし、なぜか当人である楓華はお気楽そうに笑ってツッコむ。
「あっはははー、ミルちゃんったら言っていることがメチャクチャだなぁ。冗談が上手いねー」
「ミルは真剣に言っているの!とにかくフウカお姉様!ほら、ミルと観覧車に乗ろう!そしてラブラブなプロポーズして!」
「はいはい。女王様ごっこの次はお嫁さんごっこね」
「うぅ~!いつもはフウカお姉様からのラブラブビームが凄いのに、なんでミルの熱烈アプローチが通じないの~!?どうしてどうしてどうして~!もしかして子ども扱いされてるのぉ~!?」
ミルは高ぶった感情を露呈させながら泣き叫ぶが、それはそれとして楓華を強引にゴンドラへ連れ込んでしまう。
一方、取り残されたヴィムは冷静な態度でヒバナに話しかけるのだった。
「色々と意外ね。その中でも一番意外なのは、ヒバナが素直にフウカちゃんの好意に応じたことかしら。こう言ったら悪いかもしれないけれど押しに弱そうだものね」
「にぇへへっへ……」
「ここで否定しないあたり、よほど嬉しいみたいね。良いわ。ここは姉として素直に祝福しましょう。ただミルほどでは無いにしろ、ほんの少し妬いちゃうわ」
ヴィムはちょっとだけ不服そうに呟き、羨望の眼差しでヒバナの婚約指輪を眺めた。
やはりヴィムも年頃の乙女であるため、相手が誰であれプロポーズされるほどの情熱を向けられた出来事が羨ましく思える。
それと同時に彼女は、結婚という1つの夢に憧れを持っているのだと気づかされるのだった。




