27.酔っぱらいのキスほど厄介なことはあまり無い
突然タコに襲われたヴィムは息を切らし、本気で生命の危機を覚えた表情で呻いた。
「はぁはぁ……吸われた感覚があったし、死ぬかと思ったわ。くっ……!」
「うわぁ。ヴィムお姉ちゃんの顔に跡が付いてる……」
「もうタコのことが青虫より嫌いになりそう。いえ、既に一番苦手で恐いものになったわ。これからは喫茶店でたこ焼きは作らない、絶対に!」
タコと関わりすら持ちたくないという意味で言ったのだろうが、傍から聞けば意味が分からない決意表明だ。
そして2人が水上へ出て間もなくして、次は楓華の泣き声がプール内に響いて聞こえてくるのだった。
「うわぁああぁああ……!ひぐっ、ぐすぅ……うわあぁあああああああ~ぁううぅうぅ……!」
「えっ!!?」
おそらく、あの楓華が泣くなど最もありえない出来事で天変地異同然だ。
これによりヴィムたち2人はオーバーリアクションだと思うほど驚き、信じられない顔で周りを必死に見渡した。
すると彼女らが真っ先に目にした光景は到底信じられないもので、プールサイドで泣きじゃくる楓華の姿だった。
まるで迷子になってしまった幼児と同じくらい激しく泣き叫んでいる。
それをミルが宥めており、母親のように頭を撫でては優しく声をかけていた。
「よしよし、フウカお姉様は良い子でちゅよ~。大きな声で泣いて偉い偉い」
ミルに甘やかされた楓華は体を丸め、赤ん坊みたく甘える仕草で抱きつく。
まさしく迷子が親と感動的な再会を果たした場面だ。
この光景は言葉を失うくらい衝撃的であって、ヴィムたちは自分のことより楓華の精神状態が気になってプールサイドへ向かった。
ヴィムはいつまでも泣き止む気配が無い楓華を物珍しく眺めつつ、焦燥した表情で訊く。
「一体どうしたのかしら。あれだけ豪快で気丈だったフウカちゃんが、ここまで泣くなんて信じられないわ。これは夢なの?」
この説明を求める質問に、ミルが自分なりの答えを教えた。
「プールの性質変化のせいで泥酔状態になって、それで幼児退行しちゃったみたい。つまり酔っぱらいフウカお姉様ってわけ」
「あまりにも性格が一変しているわ。実はドッペルゲンガーだったりしないのかしら」
「フウカお姉様は自分の感情に素直だから、余計に幼児退行っぽい感じになっているのかも。何であれ、かわいいよ。可愛くない?」
「かわいい気はするけれど……。そうね、ちょっとギャップがあり過ぎて何とも言えないわ」
ヴィムは状況を理解できたようだが、戸惑いのあまり反応に困ってしまう。
そんなとき、楓華の視線はヴィムの方へ移り、心なしか安心する目つきに変わる。
それは母性を求める仕草かもしれない。
「ママ……」
楓華はミルからゆっくりと離れると、ヴィムの豊満な胸へ顔を埋める。
それから遠慮なく掴むような動作で胸に触った。
特にヴィムの方は抵抗感を覚えこそはしなかったが、それでも物申す気持ちが湧く。
「びっくりするくらいモミモミ揉まれているわ。ずいぶんと力が強い赤ん坊ね」
「フウカお姉様ってば、ヴィムお姉ちゃんのおっぱいを飲みたいのかも。それくらいミルにも要求してくれれば良かったのに」
「まだ私とミルも母乳が出ないでしょ。あと動作が赤ん坊っぽいだけで、度々出てくるフウカちゃんの危うい欲望が有言実行されているだけじゃない」
「まぁまぁ安心してヴィムお姉ちゃん。お姉ちゃんのエッチなおっぱいなら、きっと誰もが一度は触ってみたくなるから」
「それはフォローしているつもり?そもそも言っていることが滅茶苦茶でデリカシーに欠け、んぅっ……」
体に刺激が走り、ヴィムの口から思わず喘ぎ声が漏れる。
これは先程の興奮が治まりきってないことが原因だ。
とにかく身内の前で恥ずかしい反応をしてしまった上、このままだと平常心を保てそうに無いことは事実なのでヴィムは楓華を強引に引き離した。
だが、引き離された楓華は泣き声を小さく発しながら、すぐさまヒバナの方へ甘えに行く。
「ヒバナ~……!」
「そ、某の場合は名前呼びになるのですか?おかしいですね……。さっきの様子を見たところ、ヴィムお姉ちゃんはともかくミルの方も母親だと思って甘えていたはずなのに」
これにミルがすかさず痛烈な言葉を吐く。
「ヒバナお姉ちゃんからは母性を感じられないみたい」
「くうっ!そう言われたら悔しいけど否定しきれません……!だけど今のフウカ氏にお姉ちゃん扱いをされないほど、女の魅力が欠けているとは思いたくないです!そこは絶対に引き下がれません!!」
「急に声おっきい。じゃあフウカお姉様は、ヒバナお姉ちゃんのことを幼馴染だと思っているのかも?」
「あぁ、幼馴染ぃ……ですか。まぁ特に仲が良い、唯一無二の親友ならギリギリセーフということにしておきしょう」
わざわざ唯一無二という言葉をつける辺り、どうしても自分が納得できる境界線を妥協したくないらしい。
そうしてヒバナが姉妹に張り合っている最中のこと。
楓華は唐突に彼女の顔を掴む。
「あふっ。ふぅ、フウカ氏?」
「ヒバナ~。ぶちゅ~」
楓華は幼稚な擬音語を発しながらヒバナに熱烈なキスをする。
それは雑な口づけであって、力任せだからロマンチックさの欠片も無い。
それでも場に居る姉妹たちに衝撃を与えるには充分な出来事だ。
またこの行為に対して顔を真っ赤にさせたのは、ヒバナよりミルの方だった。
「フウカお姉様!!?ちょっと!ヒバナお姉ちゃんズルい!!」
「えっ?」
ミルが大声で嫉妬するのは、全員にとって予想外だった。
ただミルは楓華と初対面時には好印象を抱き、その後の手合わせで魅了されかけていた。
更に今回の仕事では危機一髪のところを助けて貰っている。
それでいて彼女の性格を知って信頼までしているなら、ミルくらいの年頃なら強い憧れと恋心を抱くのは必然的だ。
とは言え、ズルいと感じたのは反射的なもの。
そのためミル本人は恋心だと自覚しておらず、ひたすらドキドキした感情を胸に2人を引き離そうとした。
「ミルの前でチュウしないで!ううん、しても良いけどミルにもチュウしてよ!ヒバナお姉ちゃんだけなんてズルい!ズルいズルい~もおぅ~!」
「あっ……あっ、フウカ氏とミルに掴まれたら某の体が引きちぎれますってぇ……!あうあう、いぃいいひひひぃ~!?」
大惨事かと思えるくらい酷い有り様だ。
それでも尚、楓華はヒバナ相手に再度キスしようとし続ける。
更に喚き叫ぶミル、酔っぱらいで幼児退行した楓華、苦しみと痛みで悲鳴をあげるヒバナ。
この阿鼻叫喚の状況に関わらないようヴィムは一歩引き下がり、頭を抱えながら小声でぼやいた。
「そもそも、なんでプールへ遊びに来てこうなるのよ……」




