122.魔女は混沌を振り撒き、ミルは幸せを問われる
末っ子ミルと長女ヴィムの2人は砂丘エリアで行動を共にする一方、他のペアとは少し異なる事態に見舞われていた。
それは大まかに言えば襲撃の内なのだが、こちらはどのグループにも属さない1人の魔女により追っ手が撃退させられている。
また魔女は会話が成り立たない無性の性格であって、息を切らす2人に意図が不明な質問を投げかけた。
「小さな幸せと大きな幸せ。どちらが欲しい?」
魔女は紫色の長髪をなびかせながら箒に乗り、神妙な笑みを浮かべた。
まるで檻の中の動物に対話を試みる様子であり、どことなく認識と関心の先がズレていることが視線から伝わってきた。
そして魔女の魔法練度が高すぎるあまり、ミルですら実力を見極めきれない領域へ逸脱していた。
下手すれば指先一つで消し飛ばされかねない。
そんな予感をミルは抱いていて、なるべく静かな声でヴィムに相談を持ち掛けた。
「どうしようヴィムお姉ちゃん。あの人、確実に高位存在だよ。クロスさんに似た気配を感じるもん」
「平凡な私には分からないわ。けれど、少なくとも狂気は感じられないわね。それなら敵意を示さなければ安全のはずよ」
「うー……一般的な尺度が通じるかな。ちょっとした気まぐれで人形に変えられるかもしれないのに」
ミルが不安そうに人形のことを言い出したのは、まさに追っ手達が不気味な人形の姿へ変身させられていたからだ。
その中には蝶や花、お菓子に変えてしまうなど他にもやりたい放題だった。
それだけにミルは衝突を避けたいと思えて、いつになく慎重な態度で相手を見据える。
しかし、どれほど用心深く警戒しても魔女には無意味であり、更にミル達からの返答を得られるまで見逃すつもりが無かった。
「私の質問に答えてくれないの?悲しい。それはとても哀しいよ」
魔女は怪しい笑みを崩さず、静かに涙を流す。
表情を欠片も変化させないまま泣く様は、魔女自体が人形みたいな印象を受けた。
また情緒もボタン1つで切り替わるように劇的であって、涙を流した数秒後には態度を豹変させて大笑いした。
だが、その笑顔は明らかに悪い方向へ向かっており、優しさを感じさせない冷酷な笑顔だ。
「あっひははははは!きっと私の質問が悪かった!ダメだったよね!だから改めて問うよ!アナタが望む幸せはなに?私はどんな幸せも実現させられる。私には対価も契約も要らない」
状況を顧みなければ、単なるおいしい話に聞こえる。
突如、天から降ってきた幸運だと言っても良い。
ただし相手の言葉を鵜呑みするのは危険だとヴィムは直感で判断して、あえて小賢しい返答をした。
「私が望む幸せは平穏よ。つまり大きな問題が起きず、普段通りに過ごせることが最高の幸せなの。ほどほどに悩み、ほどほどに楽しい一時が私の理想になるわ」
「つまんない」
魔女が即座に不機嫌な反応を返したので、ヴィムは内心ドキッとする。
見逃されるように誘導したことが看破されてしまったのか。
それとも、相手が望む返答を導き出さなければいけないクイズじみた場面だったのか。
魔女の感性が酷くノイズだらけで不明瞭なため、おそらく一生を費やしても分からない問題だ。
対してミルは自分に素直であることを第一にしているので、誰にも合わせる気が無い己の意思を主張した。
「ミルが望む幸せはいっぱいあるよ。家族と幸せに過ごす。道場の復興。他にもまだまだあるけど、どれもミルが自分で実現させたいこと。そして自分の力で実現させることも幸せの1つだから、無条件に幸福を授けられても困るの」
これは正真正銘の本音だ。
そしてミルは幸せな子どもだから、欲張りな事を言い出すのも不思議では無い。
それらの事を魔女は理解しているはずなのだが、ふと小さな溜め息を吐いた。
「はぁ……。アナタもつまんない」
呆れきった表情。
この冷めた態度にミルは堪らず苛ついた。
過敏に苛ついた原因は、自分の幸福が否定された気分になったからだ。
「むっ?それは訊いておいて失礼じゃない?ミルは真剣に答えたよ。そもそもミルにとっての幸せだから、勝手に評価される筋合いは無いんだけど」
「それは……ごめんなさい。私、思ったことはそのまま全て口にするタイプだから。そのおかげでお師匠さんにも注意された。でも、心を偽る方が失礼だと私は思っている。その価値観が揺るがされることは決して無い」
「そのポリシーは尊重するけど……。それで答えたらどうなるの?」
「何も無いよ。私は訊いただけ。実現させられると唆したのは、本心で答えさせるために言っただけ」
「えぇ、どういうこと?じゃあ、なんで他の人は人形に変えちゃったの?」
「そっちは私の話を聞くつもりが無かったし、うるさかったから。私は私を優先してくれない人には容赦しない」
とても初対面の相手に教える言い分では無く、極めつけと言わんばかりの自己中心的な性根だ。
これはこれで関わりを避けるべき相手であって、そのお師匠さんとやらはよく彼女の手綱を握れたものだと感心する。
何であれ、身構えていたよりも相手が友好的で話が通じている。
もちろん警戒は解く事はできないが、ヴィムはほんの少し安堵した。
「では、貴女の質問に答えたから私達は先へ行っても良いかしら?ちょうど急いでいる所なのよ」
ひとまず離れる。
それを最優先してヴィムは問いかけたが、すかさず魔女は困り顔を作りながら答えた。
「なんで嘘をつくの?私から早く離れたいなら、そう素直に教えてくれたら良いのに。私は嘘が大嫌いなの」
「失礼したわ。でも、言葉というのは嘘だけで全てが構築されている訳では無いの。要するに私達が先を急いでいるのは真実よ」
「なに?私は屁理屈は嫌い。説教も嫌い。私以外の全ては私が望む通りに劇を演じれば良いの。だから余計なことは喋らないで」
魔女は眼の色を黄緑へ変化させて視線を向ける。
その視線の先にはヴィムが居て、ヴィムの視線は強制的に彼女と合わさせられた。
そして両者の視線は宙に魔法陣を描くように動き、気が付いた頃にはヴィムの体はクマのぬいぐるみへ変えられてしまっていた。
「ヴィムお姉ちゃん!?」
クマのぬいぐるみはヴィムと同じ背丈というだけで、反応が一切返って来ない。
更に生気も消え失せていて、深刻な事態を迎えてしまったとミルは思った。
大事な人がぬいぐるみに変身させられた今、普通なら強い危機感と混乱が激しく渦巻くところだ。
だが、ミルの心に湧き立つのは戦意であり、すぐに力強い目つきで魔女を睨みつけた。
「何をしているの?ヴィムお姉ちゃんを元に戻して!」
「怖い顔をしてる。どうして?ぬいぐるみは嫌いなの?」
「いつものお姉ちゃんの方が100倍大好きだから。それにミルは大事な人を傷つける人は許さない」
はっきりと敵対心を表明する。
しかし、魔女はそよ風より軽いものだと認識していて、少女の意に沿う気が無かった。
「アナタは小さいのに勇ましいね。でも、ごめんなさい。私ってぇ、お人好しとは無縁だからぁ」
魔女はニヤリと不敵に笑う。
これまでの会話から考えるに本心で喋っているのか分かりづらいが、挑発なのは間違い無かった。
そしてミルは自身へ火の粉が降り注ぐ前に動き出しており、薙刀を出現させながら飛び掛かる。
素早い跳躍と躊躇が感じられない武器の振りかぶり。
しかもミルは魔女が察知できないほど超高速で間合いを詰めていて、容赦なく一撃で沈めることに専念していた。
「たぁっ!」
鋭い一閃。
それは間違いなく相手を捉えていた。
だが、肝心の攻撃は相手の体を擦り抜けてしまった上、いつの間にかミルの後ろへ移動して首を掴んでいた。
「アナタって早く動けるのね~。全く見えなかったわ~」
魔女は心にも無い声調で喋った。
こうして至近距離で接して分かったことだが、やはり彼女は他者に対して関心が薄いらしい。
どうしても興味が持てないことが嫌でも肌身から伝わってくるので、こんな時に彼女が「つまんない」と冷めていた理由が不思議と理解できてしまった。
また魔女が他者の幸せを訊く理由も、自身のために過ぎなかったのだとミルは思い知る。
「うっ……はぁ。もしかして、あなたは刺激が欲しいの?」
ミルの方が力は勝っているのに振り解けない。
更に口は動いても手足の感覚が奪われていて、擦れた声を絞り出すことが精一杯だった。
「刺激ね。それは願っているかも。退屈は心を殺す。でも、私の本望は刺激なんて曖昧なモノじゃない。もっと具体的な何かが不足してる。私の喉は渇き、腹が飢えている。血が足りず、肉体は冷える一方。それすら……私にはつまんない」
「それ本気で言ってる?それだと……ごほっ、自分にも興味が無いことになるよ」
ミルが苦しそうに咳き込みながら訴えかけると、魔女は「ふぅん」と呟きながら手を離してくれた。
それでもミルの体は宙に固定されて動けないのだが、少しだけ余裕が戻り始める。




