26.喪失
悲しい事に、二度目の行為に私は微塵も写っていなかった。
それでも私だけしか知らない友里菜がまた一つ。
拒まれ、流されることもなく自分の思った言葉を伝えてきた所に私は畳み掛けた。
どうしても満足出来ない、あの女には渡せない。
こんなに理不尽な事があるのだろうか、どうしてこんなに思い悩まなければならないの?
私は今夜で、友里菜の信用と心を失った気がした。
それでも、偽者でも、手に入れたいと思ってしまったから。
喪失
目が覚めたのは早朝四時半を回った所だった。天井が自分の部屋じゃないことを確認して、そこから梨乃の家に居る事を芋ずる式に理解する。
近くにある携帯を引き寄せて時間を確認する。
今日は随分眠ってしまったらしい。
部屋は豆電球が付いているだけで、隣には梨乃が寝息を立てていた。
ぐっと力を入れて身体を起こしてみるが、異様な倦怠感と身体の重さに思わず顔を歪める。
軽い眩暈がする。口の中が乾いていて少し喉も痛い。
身体を動かすたびに、痛みになりきれない関節のだるさが襲う。
ここまでダメージが残るのは久しぶりだった。
「ん・・・友里菜・・」
「あ、ごめん。起こしちゃったね」
梨乃はうっすらと微笑むと私に寄ってきて、私の腰へと腕を回してきた。
梨乃は寝ているときに誰かにくっつこうとする。それは私だけに限らず、皆で花火した日の夜には咲に抱きついて眠っていた。
どうしたの、と優しく声を掛けてみたものの寝惚けているらしく反応が無い。
人肌が恋しいのだろう、頭を優しく撫でてやればすうすうと寝息が聞こえ始めた。
暫くそうして撫でてから、そっと回された手を外して立ち上がる。
吐くとは思えなかったが、その位気持ち悪くて仕方が無い。
とりあえず一人になって気分を変えたかった。
廊下の電気を付けて、一階のトイレへと行きしばらく篭る。
やはり吐きはしなかったけれど、そういう時こそ気持悪さは拭えない。
出てすぐ隣に設置されている洗面所で手を洗った時だった。
「・・・なに、これ」
電気を付けて自分の顔を見れば随分と顔色が悪かった。
目の下にはうっすらとくまが浮かび、疲弊している様子がすぐに伺える。
でもそんな事より、私は着替えたTシャツの首周りから少し覗いた色に驚きを隠せなかった。
鎖骨付近に艶やかに咲いた色。
色味の悪い肌なのに、そこだけは赤く発色のいい痕があった。
どうしてこんなものが?いつ付いた?どうやって?
頭の中を疑問と焦燥感が蹂躙していく。
最悪な答えが出てくるのはもう避けられない。
思い出せ、思い出せ私。
あの後私たちに何があった?
必死になって昨日の記憶を探ってみるが、どうやっても思い出せない。
薬を飲んで、映画の最初の触り部分を見たところで途切れている。
そうだ、確かレズの映画で最初から激しいシーンだったっけ。
それを見てまさかこんなことになったって訳?
自分の意識がぶっ飛んでいるとはいえ、そこの理性が飛ぶ事は考えにくかった。
梨乃はOD時に私に対して恋愛感情を向けてくる事は無かったし、もう終わった事だ。
今になってまた、なんてことは考えられない。
気のせいで済ませることは出来ない気がした。
「どうしよう・・・」
**
「梨乃、ごめん・・・、先に帰るね」
完全に浮上しない意識の中で友里菜の声が頭に響く。
その言葉の意味を数秒掛けて理解して、すぐさま意識は覚醒した。
目を開ければ、そこには鞄を背負った制服姿の友里菜が居た。表情は暗くて良く見えないものの笑っていないことは確かだった。
「友里菜・・・?なんで?いつも泊まって行くでしょ」
「うん。でも今日は帰るわ、あまり体調良くないし」
「体調が悪いなら尚更・・・」
そこまで言って、私は友里菜がどうしてこんな反応をするのかを悟った。
数時間前までの行為を覚えているか、それに気づいたとしか考えられない。
薬の効きは間違いなかったが記憶があってもおかしくは無いし、首筋を強く吸った痕に気づいたのかもしれない。
どちらにせよ、ここからは私の言葉次第だ。
「まだ四時過ぎだよ?こんな時間に返すのは危ないから出来ないわ」
「ごめん、それでも帰らせて」
「友里菜・・・もしかして昨日のこと、気にしてるの?」
私は慣れてきた瞳で友里菜が表情を更に硬くしたのを見た。
覚えていないほうが私としてもとても都合が良かった。昨日の件を無かったことにしない為にわざと痕を付けたのだから。
自分から口を開くのは憚られて、友里菜から言葉が出るのを待つ。
「やっぱり昨日、そういうことになったんだね。覚えてないけど・・・気づいたよ」
友里菜の回答に思わず口元が緩みそうになるのを必死で堪えた。
どうやら、神様は私に勝機を与えてくれるらしい。
「そう・・・。まさか友里菜から迫ってくるなんて思ってなかったから、私つい・・・」
「え・・・?」
「あ・・・。その、友里菜は覚えて無いんだと思うけど・・・。あの後、映画見てる途中で急にキスしてきたのよ」
「私からしたの・・・?」
「そうよ。最近はだれよりも梨乃が良い、って言われた・・・」
手元を見ながら伏目がちに話した後、顔を上げて友里菜を見る。
友里菜は呆然として私を見下ろしていた。
信じられない、という表情で私の目をじっと見つめてくる。私の言葉の真意を伺っている様にも見える。
私が今まで築き上げてきた信用がここで通用するのかどうか。
「私、友里菜が私の思いに答えてくれたんだと思って・・・」
「梨乃・・・」
「信じられないよね・・・ごめん。今日はお互い一人になってゆっくり考えよっか」
「・・・うん、ごめん」
消え入りそうな返事が聞こえて、優しくパタンと閉まる扉。
その扉越しに遠ざかっていく音を確かめて、小さくため息をついた。
一瞬のうちに随分と緊張してしまっていた様で、今更になって鼓動が激しく脈打っていることに気づく。
本当はね、こんな手を使いたくはなかったの。
でも、どうしても友里菜を手に入れたくて。
友里菜が傷ついている様に、私も傷ついているのよ―――
**
外は幸いにも明るさを取り戻していて、夜道を通る不安は解消されていた。昨日自転車で登校したのも不幸中の幸いだったのではないかと思う。
ここから自宅までは歩いて帰るには辛い距離があった。
少し肌寒い気温だけど目がさえすっきりする。
梨乃の家を出て一度だけ振り返り、そのまま家へと向かった。
頭の中ではずっと自問自答を繰り返す。
「梨乃・・・」
私は普段意識していないだけで、梨乃が好きなの?
そして自分から迫って梨乃を困惑させてこんなことに持ち込んで。
今まで散々気持ちには答えられないと伝えておきながら。
あの映画を見て感化されただけではなかったのか。
どうしても自分の行動が信じられない。
「あたし、なんて事を・・・」
でも、今の梨乃が嘘を言うとは思えないし、なにより別れ際の表情が自分の心を大きく抉った。
一番辛いのは梨乃なのに。
梨乃にこれからどうやって接していけば?
自分で蒔いた種なのに、梨乃をあんな形で傷つけて。
逃げるように部屋を出て、残された梨乃はどんな思いだった?
残酷な事を平気で犯した自分をどう見た?
弱い自分にどうしようもない憤りを感じた。