22.複雑
夏休みが明けると、休みの余韻に浸る間も無く学校行事やテスト勉強に追われ、気づいた時には九月の終わりに差し掛かっていた。
真夏の蒸し暑さから開放されて過ごしやすい季節となり、濃い緑色に染まっていた葉は徐々に暖色へと変化していく。
この季節が好きだ。
心を落ち着かせてくれて、自分自身を見つめ直すには絶好の季節だと思う。
実は感傷に浸るのが好きなのかもしれない。季節ごとに自分の気持ちが動かされている気もする。
涼しい風が流れてくる開け放たれた教室の窓枠に肘を付いて、大きくため息を付いた。
「友里菜、掃除おつかれっ」
「ん、おつかれー」
梨乃の笑顔につられて、私も同じく笑顔で返す。
あれ以来先輩の話を振ってくる事は無くなり、私が何もせずぼうっとしている時は必ず笑顔で声を掛けて引っ張っていってくれる、大切な存在。
本当に梨乃にはいっぱい助けられている。
それが暖かくて嬉しくて、感謝してる。
そんな梨乃へ微笑み返した自分の笑顔に、最近自信が持てない。
私は随分と女々しい女だったらしい。
どうにも心が曇りガラスになったようにすっきりと晴れることの無い日々が続いている。
でも、それをどうにかする事が出来なかった。なんだか抜け殻のようで、どうにかしたいとも思えなかった。
私には、どちらにしろ先輩を諦める以外に考えは無いし。
先輩も相変わらずで以前と全く変わらない。
ただ少し元気がない気もしたけれど、それでも職場で会う時はニコニコといつもの様に笑って話をして。
あんな事があっても今まで通りの関係で居てくれる事だけで十分だった。
もう解っている、答えは出ている筈なのに。どうしても心が上手く処理をしてくれない。
あれから新しい恋を探そうと勢いづいて咲の紹介で何人かと遊んだりもした。
けれど、どうしてもその人達に気持ちは向かなかった。デートはしてみても、それで何も感じなくてそれっきり。咲の紹介だから遊び人っぽい人が多かったのもあったけれど。
自分には少し時間が必要らしい。
**
「おはようございますっ」
「おはよー」
先輩とはニコニコといつもの様に挨拶を交わして、向かい合うように椅子に座る。
今日の休憩室には私と先輩の二人きり。
先輩の手にはお菓子があって、それは地元では名の知れた銘菓だった。
学生からしてみれば値が張るもので、先輩はそれを食べるのは自分へのご褒美なのだと前に言っていたっけ。
そして今食べているという事は少なからず何かあった訳で。
「先輩、何があったんですか?」
「ふふ、やっぱり友里菜は気づくと思ってたよ。実はね・・・就職、決まったの!」
「ええー!凄い早いじゃないですか!おめでとうございますっ!」
ニヤニヤと悪そうに笑いながら教えてくれたが、本当は嬉しさを全面に出すのが恥ずかしくて押さえたからこんな笑い方になったと思う。
なんだか面白くて私もニヤニヤしてしまう。
先輩が望んでいた所に受かったのだと思うと私も当然とても嬉しくて。
それと同時に、先輩はどんどんと進んで行ってしまうのだな、と心の奥はズキリと痛んで。
けれどそんな気持ちは奥底に押し込んで、私は精一杯気持ちを込めておめでとうを伝える。
就職先は銀行。
高校から採用されるのは数人と聞いていたので、先輩はその倍率を勝ち残ったという事になる。銀行関連は求人募集も早いので、先輩はきっと第一弾の就職内定組になるはずだ。
やっぱり先輩は凄い、オールマイティに何でも出来る人。
「ありがとう。就職してからは大変になると思うけど、とりあえず安心したよー」
「先輩なら就職した後も何とかなりますよ!ほんと、先輩凄いです。私も先輩みたいにちゃんと就職出来るといいなぁ」
「大丈夫だよ、友里菜なら何とかなるさ」
にこっと微笑んでくれる先輩を見て、私も「だといいんですけどね」と自嘲気味に呟いて笑って見せる。
「両親も喜んだんじゃないですか?」
「まだ言ってないんだ。帰ってから電話して伝えるつもり!ただ、会社の支店は親がいる街には無いから、一緒に暮らしたいと言ってた親からすれば少し複雑かもね」
「そっかぁ・・・。先輩は両親の居る地域で就職は探さなかったんですか?」
「うん、まずは自分の行きたいところを選んでみた。それに、ここが好きだしね」
その言葉には純粋に好きな気持ちが込められていて。
けれど歪んだ私は、その言葉の奥にある人が居るのでは、と悪い方向へ考えが行き着く。
私はどうしても気になって仕方がなかった。
言ってしまえば楽になる?
「・・・玲菜さんにも伝えたんですか?」
私の問いに先輩は表情を変えず、ただ目線を落とした。けれども直ぐに目線を上げて私を見る。
「玲菜とは別れたんだよ、色々あってね」
「そう、だったんですか・・・」
本当だったんだ。それもそうだ、玲菜さんが嘘をつくとは思えない。
でも、知ったからといって喜ぶ事も悲しむ事もできない。
「ごめんなさい、変な事聞いちゃいました」
「いいよ、気にしないで。・・・友里菜こそ、いい人見つけた?」
何の変哲もない質問返し。
そう、『見つけてね』と先輩宅へ泊まりに行った時に言われていたし。
それなのに。
「・・・・・・あは、中々上手く行かないですよ」
どうして自分は我慢できなくなるの?
無理矢理笑った笑顔は自分でも引きつっていたのは判った。
先輩が私の表情を見て言葉を詰まらせたのも。
何故こんな所で隠しきれない感情が出てしまうのだろう。
軽く流せば済む事なのに。そうすれば良いのに、出来ない。
「ごめん。・・・そろそろフロアに行って引き継ぎしてくるよ」
穏やかな口調で告げられて、かたんと音を立てて先輩が立ち上がる。
手に持っていた袋をくしゃりと丸めて私の近くにあったゴミ箱へと投げて、その後は足早に休憩室を出て行った。
先輩、ごめんなさい。
気を使わせてしまっている。
どうして自分の気持ちなのに、自分でコントロールできないのか。
ゴミ箱に捨てられた袋からは、まだ食べ終わっていないクッキーが見えていた。
**
仕事はいつも通りの時間に終わり、他の従業員の誰よりも早く準備をしてから店を出た。
携帯のディスプレイを明るくして、梨乃へ終わったよ、とメールを打って送信する。
今日はどうにも気持ちが安定しない、ここの所はずっとだけれど、今日はその中でも一番だった。
店前の駐輪場で自分の自転車籠に勢いよく鞄を放り投げて、鍵を開けてサドルに跨る。
そして漕ぎ始めて角を曲がった所だった。
「友里菜っ!」
「うわっ!梨乃!?びっくりした!」
「なんとなく心配になって、迎えに来ちゃった」
仕事が始まる前に、梨乃からメールが届いていた。“明日は休みだし、今日はうちに泊まって遊んでいかない?”という誘いのメール。
私はすぐに“終わったら連絡する!”とメールをし送っただけなのに。
梨乃は私をしっかり見てくれている。それは事実だ。
「ねぇ友里菜、私ね、友里菜に元気になってほしい。だからいっぱい楽しい事するよ。」
「梨乃・・・」
「うちに着いたら色々計画立てよ!という訳で、急ぐわよーっ!」
「あっ、ちょっと!待ってー!」
楽しそうに笑い声を上げて、梨乃はスイスイと自転車を飛ばして私と距離を広げていってしまう。私は慌てて自転車のペダルに足を掛けてこぎ始めた。
――――その時、なんだか自分の後ろに人の気配がした、気がした。
なんとなく気になって、自転車を前に進めながら、信号を渡って距離をあけてた後そっと振り返る。
加奈先輩―――?
そこにいたのはまぎれもなく先輩の姿だった。でも、表情は先程までとはまるで違っていて。
その瞳にいつもの力強さは全く感じられない。
どうしてそんな、辛そうな表情をするの・・・?
「・・・せんぱ」
「友里菜―!早く!」
自分の弱く出た声は梨乃の声にかき消される。
先を行く梨乃にわかったと大声で返事をして、改めて先輩へと振り返った。
「・・・あれ?」
そこには先輩は居なかった。
今の今まで居たはずなのに、もう誰も居ない。
もう一度催促の声がかかって、それでも私は名残押しくその空間を数秒見つめた後、急いで梨乃の後を追った。