18.お祭り
梨乃はあの一件から、更に数日休んだ。
三人とも様子を見に行きたい気持ちは山々だったけれど、皆集中して用事が入っており家へ行くのは難しかった。
その為各々電話したりメールをして梨乃を気にしていたが、あの日以来薬を飲んではいないらしい。
いや、多少は飲んでいるのかも知れないが、電話の声はしっかりしていたし、メールにも不審な所はなかった。
私もバイトが立て続けに三日間入っていて、その全てが先輩と一緒だった。
泊まりに行った日以来ずっと気まずいとは思っていたのだけど、会えば今まで通りに話して笑って過ごせていた。先輩は何事も無かったかの様に振舞ってくれ、私もそれに便乗できた。
未だ好きという感情は薄れず胸は痛むし苦しくなるけれど、幸か不幸か梨乃の件があってからは自分の感情だけに捕らわれる事が少なかった。
梨乃の事は、言わないでいる。
週末最後の登校日、梨乃は学校に来た。
「心配かけてごめんね。お陰で傷口も大分良くなったんだ」
微笑む表情は以前と比べて弱々しく感じられたが、それでも取り乱していたあの時からは随分落ち着いていた。
いつもの学校での梨乃だ。
「梨乃、もう無理しちゃだめだよ」
「そうよ、話ならいつでも聴くし」
「まぁでも回復してよかったって事で!」
皆口々に言葉を返して、安堵の表情を浮かべる。
梨乃も幾分砕けた笑みを浮かべてそれに返事を返してくれた。
これから二度とこういう事がないとは思わないし、梨乃のことだから何かあれば同じ事を繰り返すだろう。でもそれは今まで依存してきたのだから仕方のない事で。
梨乃はきっと“友達”という関係を必要としていない。
“家族”というものも愛がない形だけの存在で、恋人だけは唯一自分を見ていてくれていると信じているはずだ。
三人で話した時に、その“本音をぶつけられる友達”という位置を作って少しでも楽にしてあげたいという結論に至った。そして梨乃も恋人への愛情と同じように友情にも感情を向けられるようになれば、と思った。
ここまでする必要が有るかと言われればそれまでで、まだ深く関わりのない梨乃を切り離す事を普通は選択するのかもしれない。女同士の人間関係は本当にシビアなものだから。
けれどもそんな事は考えなかった。彼女が気に掛かるし、一緒に居て楽しみたいと思ったから。梨乃の苦労を知って更にその気持ちが強まった。
「ねぇ梨乃、明日暇だったりする?」
**
時刻は夕方の四時を廻った頃。
一美宅へ集まった四人はそれぞれ持ち寄った浴衣を一美の祖母に着付けてもらい、お祭り会場へと到着していた。
毎年金曜日から三日に渡って近くの神社で祭が行われている。
その中でも今回は規模が大きくて、行きたいと口々にはなしていたのだ。もちろん梨乃も一緒に。
昨日あれから行こうと誘えば梨乃は二つ返事で了承してくれたのだ。
「いやー、もう汗かきそう」
「ふー。浴衣って意外と暑いのね」
人がごった返している為身動きが取りにくいが、それもまた祭りの醍醐味として捕らえれば楽しいものだ。
今年は皆で行けるとあって私は内心凄く嬉しかった。
「梨乃、こっちの祭りはどうよ?」
「いいねー!やっぱりこうして賑やかではしゃげるのって楽しい!」
終わりが見える気配のない出店をゆっくりと練り歩いて、ホットドックやらフルーツ飴などを各々摘みながら歩く。私はお祭りといえばリンゴ飴が定番で、来て早々に買ってかぶりついていた。
梨乃もお腹が減ったと言ってケバブだとかお好み焼きなどの重いものを食べていて、咲と一美も倣って食に徹していた。
まさに花より団子。
「ねー梨乃、友里菜じゃなくて私の隣歩いてよー」
一美と咲の後ろをついて歩いていたのだが、くるりと振り返った咲は急にそう言い始めた。
不貞腐れたように梨乃の腕を掴むその姿に、梨乃は面食らった様で目を丸くしている。
咲と一美に全てを話した事を梨乃は知らないのだ。
今まではからかって私と梨乃がくっつく様にと執拗に差し向けてきた女が急にこんな事を言い始めればすぐに解ってしまうだろう。
私と一美が固まっていれば、梨乃は状況を把握したのだろうクスクスと笑い始めた。
「なんだー、皆知ってたのね!私が友里菜を好きって事」
「あー、ごめん。言うつもりは無かったんだけどこの前の件で・・・」
「良いの友里菜、仕方ないよ。それに皆知ってて私と仲良くしてくれるんでしょ?」
「当たり前よ。だって友達じゃない」
違うの?と一美が問えば、そうだね、と幾分弾んだ返事が返ってきた。
私はそれが嬉しくて口元が緩む、それは咲も一緒だった。
一美はそんな咲を指差して、だけどね、と話を続ける。
「何だか咲は梨乃と付き合いたいって豪語してたけどねー」
「えっ」
「うん。だからさぁ梨乃、早く友里菜なんか忘れちゃってあたしとイチャイチャしよー」
「まさか咲からアタックされるなんで思わなかった!友里菜を忘れさせてくれるの?」
「もちろん!だから、ね?嘘じゃないよー本気だよー」
梨乃の袖口を掴んで拗ねたような表情で縋る咲は、なんだか子供に見えて面白い。
咲のことだから言ってることは嘘ではないのは解るけれど、その素振りがあまりにも面白くてつい吹き出した。すると一美もすぐ後から笑い始める。どうやら同じ事を考えていたらしい。
「でも私まだ友里菜が好きだし、それも振り向いてくれるまで永遠に追っかけちゃいそうなくらいに」
「まって、その発言はちょっとストーカーっぽいからね?」
話がどんどんずれて行きそうになった頃、同い年か少し上程の男の集団が話しかけてきた。咲はニコニコしてその一人ひとりを検分していたが、そういった面倒が嫌いな一美は直ぐに誘いを断る。
このメンバーは何せ顔が良い。
先ほども誘いを受けていたし、すれ違う人に軽く声を掛けられることもしばしばあった。
それをことごとく断っていく一美の笑顔と口車にも驚きだったけど。
「ねぇ、友里菜」
咲と一美が男に意識を向けているときに、梨乃は私の隣でボソリと呟く。
するりと指先を絡めてきて、私は視線を梨乃へと向ける。
その目は真剣で、思わず何を言われるのかと身構えた。
「どうしても諦めなきゃだめ?本当に好きなの」
その声は切実で、私は思わず閉口した。
私自身、正直先のことは全くわからなかった。梨乃は弱い部分もあるし、理解できない部分もあるが嫌いではなかったから。むしろ好きだから一緒にいるのであるし、そばに居てあげたいと思う人物で。
でもそれが恋愛感情になるかと言えばそれは全く想像が付かなかった。
「・・・わからないんだ、でも期待しないでほしい。もう傷つけたくない」
絡められた手の力が少し抜けたのを感じた。
そしてすっと離される。
くるりと向き直った咲が此方を見た時と同じくらいのタイミングだった。
「あ、今なに話してたのー!?」
「ふふ、ひーみつ!」
その瞬間にはもう梨乃は“皆の梨乃”に戻っていて、にっこりと咲に微笑みかける。
先ほどの表情は夢のようにかき消されていて、私は表情には出さなかったけれど動揺していた。
だからと言ってぎくしゃくする事も無く、私も何事も無く話しに入る。
梨乃は、私の言葉にどう思ったのだろうか。それは最後まで気がかりだったが、ついに改めて聞くことなど出来なかった。
そうしてお祭りは女四人ではしゃぎまわり、夜も更けた頃に楽しく幕を閉じた。
**
家に友里菜を泊めてからしばらく経った。
今は夏休みに入っていて、あいにく今日の天気は朝から雨が降り続いている。
「加奈、最近何かあったんでしょ?」
玲菜がいつもの様に優しく話しかけてくる。
でもその表情は、いつもとは明らかに違っていた。