10.真相
「今日はうちに泊まるといいわ、看病してあげたいし」
その言葉通り、梨乃は献身的に私を看病してくれた。
そのまま寝ていた私をすぐに起こさず一時間程してから優しく声を掛けて起こしてくれ、作ってくれた雑炊を食べた。
ふんわりとした卵が口の中でとろけていって、柔らかく煮て一緒に添えてある野菜達も甘くて美味しい。
「・・・めっちゃおいしい」
「ふふ、料理はよく作るからね。飲み終わったら薬飲んでね」
薬という言葉にピクリと反応してしまい、ちらりと梨乃に視線を投げる。
梨乃はそんな私をきょとんと見つめ返した後に、あぁ、と察した口ぶりでニヤリと嗤った。
「大丈夫、今度はちゃんとした風邪薬だから。流石に病人には盛れないわ」
「・・・・いや私何も言ってないんだけどね・・・」
二人きりだと猫かぶったりはしないみたいで、ブラック全開で言う梨乃。
わたしは何だか恐ろしくなって目をそらしてポツリと呟いた。
梨乃ってこっちが本性なんだろうなぁと思ったが、深く考えることは止める。
そしてやっぱりあの時盛ってたな・・・といたたまれなくなりつつも、作ってくれた雑炊をしっかりと平らげた。
「ご馳走様です!美味しかったー」
「お粗末様です。ほらコレ薬ね」
手渡された錠剤二つを見下ろしてちょっとわざとらしくもう一度梨乃を見やると「だから違うって!信用しな!」とお腹を抱えて笑い始めたので、ちょっと自分も面白くなって不安そうなキャラを熱演した。
そうして一通り笑った後に、先ほどから気になっていた事を聞いた。
「そういえば、梨乃のご両親は?」
出かけているのだと思ってはいたが、もう時刻は8時を廻っている。
すると梨乃の表情がすこしばかり暗くなって、冷たく突き放すように言い捨てる。
「あぁ、二人ともどうせ帰って来ないわよ」
「仕事なの?」
「もう終わって遊んでるんじゃないかしら、お互い別々にね。両方とも恋人が居るし」
「え、恋人って・・」
「そう。うちの親の結婚は祖母達が決めただけの仮面夫婦みたいなものよ。二人とも私には優しいけれど、それもたまに家に帰ってくる時だけで普段は放置。高校に入ってからはもう殆ど居ない事の方が多い」
テーブルの端に飾ってある、水に浮かべた鮮やかな桃色の花達をつんつんと指で弄って梨乃が言う。所在無げにさまよう花をまた更に指で弾く。
その彼女の仕草と表情が酷く辛そうに見えて、それでも吐き捨てるような物言いは冷たくて。
きっと彼女は辛い思いを沢山してきたのだ。
「ま、どうでも良いのよ親なんて。わたしには友里菜が居るし」
「おー。友達として宜しく」
「やだ、付き合う」
「・・・無理、まだ諦めきれないし」
「じゃぁ、諦めついたら私と付き合ってくれる?」
ささっとテーブルの向こう側に居た梨乃が寄ってきて、ソファに横になった私の目の前で肘を突いて両手に顎を乗せる。
その瞳には先程まで見せていた愁いは無く、きらきらと輝く期待の目。
「・・・なんで私の周りにはこういう現金な子が多いんだろ」
「なによ、ほら早く“うん”って言って!じゃないと・・・」
今度は輝いていた目が据わり、そろりと伸びてきた手が私の頬を掴んできた。その異様な雰囲気に「ひっ」と軽い悲鳴を上げて少し身体を後退させる。
「まっまて!病人だぞ!」
「えー、それ言われたら何も出来ないじゃん」
「何もするな!!このケダモノ!」
「うん。ケダモノだし変態だし好きな様に言えばいいわ。それより、そんなに叫べる元気があるなら・・・」
コロコロと変わる梨乃にもはや怯えてしまうのは仕方ないよね?
背筋がゾクリとするような目で私を舐めるように見てくる彼女は本当に獣だ。
「っ・・・手ぇ出したらもう一生口利かない」
じっと目を見つめて訴えると、途端に不貞腐れた子供のようにそっぽを向く。
「・・・・・・チッ、じゃぁ今日は我慢する」
「ねぇ今舌打ちした?したよね?」
翌日は熱も治まって、身体も随分と楽になった。
昨日は何だかんだと言い合いを繰り広げたが、きっと元々何もするつもりは無かったのだろう。
風邪が移るからと拒んだが拒否で返されて一緒の布団に寝る事になったが、それ以外は何事もなく寧ろ隣で見ていてくれている感じだった。大切にされている感じがした。
「今日夕方からバイト行くわ」
朝ご飯を美味しく頂いた後にぽつりと零せば、頑なにそれを拒もうとする梨乃。
「絶対駄目。病み上がりなのに仕事行ったらぶり返すよ?」
「でも今日は誰も変わってくれる人が居ないし。それに・・・」
「それに・・・今日はあの人も出勤予定よね」
流石、梨乃は鋭い。
「そう、先輩も居るから。こんな形で失恋するのは嫌だからさ、やっぱりちゃんと言って、先輩の彼女の事とかも聞いてすっきりしたい」
それは私の本音でもあり、願望だった。
きっとこの気持ちを押し込めたままにしておけば、これから先輩と会うたび話すたび辛くなると思ったから。
「・・・・そう、わかったわ。私も今日は変わってあげられないし…。でも無理はしないでね?」
少し寂しそうに、でも背中を押してくれた彼女に感謝した。
**
先輩と仕事前に会った時、一緒に帰りましょうと誘った。
先輩は梨乃から何か言われていたのかも知れないが、私の提案に少し間を置いてからにこりと頷いてくれた。
そんなやりとりをしていたものだから、急激に緊張してきて仕事が手に付かない。
大きいミスはしなくても小さいミスを何度かして、フロア長に不審がられ、これから告白するんだが現実的に考えて「失恋したんです」と言えば仕方ないと笑い飛ばされ事なきを得た。
「待った?」
笑顔で店を出てきた先輩にきゅんとして、首をぶんぶん振ってみせる。
「全然です」
なんか恋人らしくない?この会話・・・とかうっすら思った自分が浅ましい。
とりあえず職場を出て、向かう先は近くの森林公園へ。
歩きながら取り留めの無い話をして、ようやく自分の覚悟を決めた。
「先輩、とりあえずこちらのベンチへお座り下さい」
「なにそれ、何が始まるの?」
言いながらも素直に座ってくれる先輩。
私もその隣に少し間隔を空けて座る。
「・・・もう梨乃から色々と聞いているとは思うんですが」
膝に乗せた手をぎゅっと握って、上目で先輩をちらりと見やる。
先輩は少し表情を引き締めて、といっても微笑みはそのままで黙って聞いてくれていた。
言おう、言ったらきっとすっきり出来るから。
「・・・私、先輩の事が好きなんです」
「・・・それは、恋愛のほうで捕らえていいのかな?」
「はい・・・」
言った。
言ってしまった。
もう先輩の目を見るのが恐くて、視線を投げる事が出来ない。
先輩は、私の返事を聞いてからしばらく黙ってしまった。
木々のざわめく音が断続的に聞こえてきて時間間隔が狂いそうになる。
どうしよう、困らせちゃったよな・・・
焦りだけが自分の中に積もっていく。
「・・・嬉しい。ありがとう」
突然返って来た優しい先輩の声に、ドキリと鼓動が高鳴る。
それは私が望んでいた言葉だった。
その次に続くであろう“ごめん”があると知っていても、素直に嬉しかった。
「ねぇ、友里菜。好きになる気持ちってどういうもの?」
次に続いた予想外の質問に驚いて顔を上げると、先輩はいつになく真面目な顔で私を見つめていた。
とっさに頭を働かせるが、先輩が何を聞きたいのかが理解できない。
「え・・・」
「ドキドキして、些細な事にうれしくなって、この人とずっと一緒に居たいって強く思えるもの?」
「それは、その・・・自分はそうです」
「きっと普通はそうなんだよね、好きになるって事は。でも、自分には・・・その気持ちがよく解らないんだ」
辛辣な表情でそう告げられて、瞳が揺れる。
先輩は、恋愛が解らない?恋愛という感情が無い?
あまりにも衝撃的すぎて、告白した緊張が飛んで頭が真っ白になる。
「男は何故だか生理的に受け付けない。でも女の子は可愛いと思うし、一緒にいて落ち着く。告白されて、良いなと思って付き合った事もあったけど・・・自分は依存出来ないんだ。恋して苦しくなったり嬉しくなったりしたことがない。関係が悪くなったり束縛されるとすぐに別れてしまうし、その事に対して大きな感情もない」
「でも、先輩彼女が居るって・・・」
「あぁ、あの子は・・・。自分をずっと好きでいてくれて、そして助けてくれた。だから一緒にいる」
ふっと微笑んだ先輩の目は少し寂しそうだった。
「だから好きになりたくて、彼女は自分の事をとても大切にしてくれているから。だけど・・・上手く行かないんだ」
「・・・そうだったんですか」
二人で傘の下を歩く雰囲気はまるで素敵な恋人同士に見えたのに。それは先輩がそう見せたくて、そうなりたくて創り出していたもので。
大切なのに好きになれないなんて、それはどれだけ苦しいのだろうか。
「大切で、守ってあげたいとも思う。けど気持ちが追いつかないなんて、本当に自分が嫌になるよ」
まるで嘘をついて付き合っているみたいでしょ?
そう問いかけてくる先輩は本当に辛そうだった。
「・・・そんなこと、ないですよ。先輩が彼女さんを大切にしたいと思う気持ちは本物だと思いますし、この前二人で歩いてる所見た時、二人には強い絆があるんじゃないかって思わされて」
「そうかな、でも自分の感情はどうにもそれを裏切るんだよ」
「え・・?」
「ねぇ、友里菜は梨乃をどう思ってる?」
唐突に聞かれた質問にうっと言葉が詰まってしまった。まさか此処で梨乃の話が出てくるなんて思わなくて、なんと言おうか必死に頭を巡らせる。そして、正直な気持ちを話した。
「・・・正直、よく解らないです。梨乃は私の事、好きだって言ってくれます。恋愛のほうで。それは本気なんだと思うんですけど、たまに梨乃の執着心が恐くなることがあって・・・」
梨乃の気持ちは嬉しいし、昨日と今日は私の事を一生懸命に見ていてくれた。
無理強いもしないし、終始楽しい時間を過ごせた。
だけども、最初に関係を結んだ時や、その後ちらほらと見せる彼女の怖い程の想いに当てられると動けなくなってしまうのだ。
「梨乃はこれから益々友里菜を好きになっていくし、今以上におかしくなっていく」
「おかしく、って」
「狂っていく、ということ」
それは自分も薄々感じてはいたこと。
梨乃の好きな物を手に入れようとする手管やアピールは常人のする事じゃない。
でも、何故そこまで梨乃の事を知っているのだろう。
梨乃が私を好き、ということにも驚く様子は無かった。何か深い関わりがあるのではないか。
「先輩はなんでそんなに、梨乃を知っているんですか・・・?」
「・・・聞いてなかったのか。」
そう呟いた後、言うのを躊躇うかのように表情を険しくして考えるそぶりをした。
「さっき、自分の彼女に助けて貰ったと言ったよね。何を助けてもらったか。それは、昔付き合った人が恋愛に異常に執着する人で、自分はその人の言いなりになってしまっていた時なんだ。彼女の家に学校以外は軟禁状態にさせられていたし、それに自分が目を離せばすぐに自殺行動をし始める。段々自分もおかしくなっていった。そんな時、自分の状況を知った今の彼女が周りから固めて手を打って、自分を救い出してくれたんだ」
「・・・その彼女って・・・」
「あぁ、梨乃は昔の恋人だった」
言葉が出ない。
けれど、その事実心の奥底にうっすらあった考えだった。
「でも、今となっては梨乃は自分を恨んでいる。しかも好きになった子が恨んでいる奴に好意を持っていたらよりそれは増すよ」
動揺を隠せない。目が泳いでしまうし、考えが全く纏まらない。
何に動揺しているのかも解らなくなる程、あまりにも衝撃的なことばかりで頭が付いていかない。
ぎゅっと握りこんだ掌はしっとり汗ばんでいて、さらに動揺を煽られた気がした。
「友里菜」
名前を呼ばれて顔を上げれば、頬へ先輩の手が触れる。
優しい手つきで撫ぜる先輩の表情は、微笑んでいるようでいて、どこか悲しそうで。
「梨乃と付き合うのはそれ程の事だよ。もし付き合おうと思っているのなら、気をつけて。でもね・・・これは可愛い後輩だから言っているわけじゃない」
「え・・・」
「・・・なぜだか、友里菜が梨乃に取られると思うと、胸が苦しくなるんだ」
頬に触れる手が首の後ろへと廻って、引き寄せられる。
先輩の瞳は悲しげで、思わず緊張して唾液を飲み込んだ。
「こんなこと、今まで無かったのに」
ぎゅっと全身を包み込む温度。先輩の優しい香り。
抱きしめられていると理解出来たのは随分後だった。
「本当に、どうにもならない自分は最低だよ」
その包み込む力が一層強くなり、私はそれを黙って受け止めることしかできなかった。