第一話②
私は、おもむろにレターセットを取り出すと、母が使っていた机に腰を掛けた。この机ははるか昔、自分が使っていたものだ。社会人になってからは母が自分の机として使っていた。そして、引き出しから鉛筆を取り出すと、一度深呼吸して書き始めた。
『お母さんへ
突然の旅立ちに、兄さんも私も驚きました。
半年が過ぎたというのに、まだ実感がわかず、
実家を片付けていても、ひょっとしたらひょっ
こり帰ってくるんじゃないかって思ってしまう
ことがあります。
お父さんが亡くなった時は、闘病で苦しむお
父さんを懸命に支えた毎日を思い返し、「これ
でやっと肩の荷が下りたわね。いつでもお父さ
んのところに行けるようにしておかなくちゃ。」
なんて冗談交じりに言っていたのを、兄さんと
一緒にたしなめたことを思い出します。
今、実家を片付けています。あんたたちの住
まいは定まったんだから、私がいなくなったら
この家は好きにしなさいと話していたね。結局、
私も兄さんも今の生活がいっぱいいっぱいだか
ら、この家は手放すことにしたよ。本当は残し
ておきたかったけど、ふがいない息子たちでご
めんね。
家の片づけをしていると、お母さんが毎日一
人で整頓していたんだなって感心します。実家
にいたころは、ロクに片しもしなかったから、
お母さんとお父さんで部屋の模様替えしてくれ
たね。勝手にいじるなって言ってごめんなさい。
でも、本当は使いやすくなっていてすごくうれ
しかったんだ。今更だけど本当にありがとう。
お母さんたちが頑張ってくれた分、今は兄さ
んと一緒にきちんときれいにしてから引き払お
うと思います。発つ鳥跡を濁さずだよね。うま
くできるように見守っていてください。
章忠より。』
一心にそこまで書いてみて、ようやく一息吐くことができた。一息吐いてみて、次第に笑いが込み上げてきた。母に手紙を書くなど、おそらく幼稚園か小学校以来だ。それも、亡き母にあてた手紙など、書いてみたところでどうすればいいのか。
そう考えてみて、私はふと、母が住んでいた横浜の住所を思い出してみた。母が住んでいたのはもう70年以上前の話だ。区画整理などでその住所があるかどうかもわからない。
どうしてそうしようと思ったのかわからなかった。しかし、私は封筒を取り出すと、過去の手紙を頼りに、母が少女時代を過ごした横浜の住所を書き込み、これまた大量に残っていた切手を貼った。そして、帰り際に地域の郵便局へ立ち寄り、ポストへ投函したのだ。
自宅までの帰り道、車で高速道を走り始めたころにはすっかり日も沈み、そして雨も降ってきた。私の今の住まいから、実家までは高速を使えば車で1時間ほどの場所だ。妻は仕事で都合が付かず、子供たちは遊びを優先して早々に家を出て行った。うまく逃げたのだ。
「雨の日は嫌いだなぁ。」
「おや。どうして?」
「だって、お外で遊べないもの。」
あれは小学校のころだったか、友人と遊ぶ約束をしていたのに、雨のせいで中止になったため、屋根のついた縁側で足をブラブラさせながら、母が用意してくれた飲み物をすすり、恨めしそうに雨雲を見上げていた。
「雨の日にはね。縁側に座って耳を澄ませるといいよ。雨の音がいろんな音を聞かせてくれるから。」
そう言われて、幼い私は素直に目を閉じて雨の音に聞き耳を立てた。ただのザーザーというだけだった雨の音が、神経を集中して聞くことで様々な旋律を奏でていることに気が付かされた。
草花に当たって跳ねる柔らかい音、物置の屋根に当たって砕ける雨粒の音、雨どいを駆け巡る雨水の音、それらに混ざって、かすかに聞こえてくる雨蛙の歌声。
私はそういった新しい発見に目を輝かせた。
「本当だ。いろんな音がする!」
「そうでしょう。お空から降ってくるときは、どれもただの雨粒なのに、地面に到着するといろいろな音になるの。ママはそれが面白くて、雨の日も好きだなぁ。」
若き日の母が、そう言って私に微笑んだのを思い出した。そうだ。そのエピソードがあったから、今でも雨の日には、ついつい雨音に耳を傾けてしまうのか。
雨音は心を落ち着かせるのにはよい手段だ。寝つきが悪い時、私は雨の動画を聞きながら眠りにつくことがある。どれだけ寝つきが悪かろうと、寝苦しい夏の夜だろうと、雨の音を聞けばすぅっと眠りに入っていけるのだ。母のおかげで、今でも雨の日は嫌いではなかった。
翌週は、仕事が忙しくて実家へ行けなかったが、来週末は妻も付き合ってくれるらしい。子供たちはまた理由を付けて行かなそうだったが。
ある日の昼食中、週末の予定を考えていると、兄から携帯にメールが届いた。どうやら休みを利用して片付けに行ってくれたようだ。内容は、私宛に手紙が届いているということだった。私は妻の作ってくれる弁当を早々に平らげると、さっそく兄に電話をしてみた。
「おう。仕事中か?」
「昼休みだから大丈夫だよ。僕宛の手紙って何のこと?」
「さぁな。片付けに来たら、ポストにお前宛の手紙が届いてたよ。聞いて驚け。」
もったいぶるようにそう前置きした後、携帯から聞こえてきたのは耳を疑うような言葉だった。
「差出人は・・・お袋だ。」
「は?」
一瞬、からかわれているのではないかと思った。しかし、兄の口調にふざけた様子は見当たらない。花柄の古風な封筒に、母がかつて住んでいたという横浜の住所から、私宛に手紙が届いたというのだ。
「何かの間違いだと思うけど。字がさ、お袋の字にそっくりなんだよな。」
「まさか。怪談か? ホラーか? まぁ、お母さんだったら怖くはないか。」
「とにかく、お前宛だから開封せずに仏間に置いとくから、今度来た時に確認してくれよ。内容あとで教えろよな。」
兄はそう言うと、笑いながら電話を切った。一体どういうことなのだろう。半分はおふざけで送った手紙だ。受取人不明で戻ってくるものだとばかり思っていたが、まさか返事が来ようなどと誰が考えるだろうか。
答えのない不可思議な疑問が頭の中をグルグルしていた時、昼休憩が間もなく終わることを告げる音楽が鳴り始めた。私はあわてて弁当を片付けると、自分の仕事に戻っていった。
続く
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