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【最終話】中村さんが、今日も来た。

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――朝も昼も夜も、足が棒になるまで駆け巡って、手のひらから零れそうになる命を救おうとしていた。私達ができることなんて殆ど無くて、それでも泣いてい る暇なんてなくて、白い看護師服が赤く染まっても、着替える暇なんてなくて、次々運び込まれる傷だらけの男たちが、一人また一人、私の腕の中で息絶えてい く。涙もそのうち出なくなって、それでも助けたくて、私は今日も、歯を食いしばる――


-------------------------------------------


ここまで書いた原稿用紙を、俺は丸めてゴミ箱に捨てた。

俺は今まで、小説を書いてきた。誰に見せるでもなく、ただ書き続けていた。小説を書くということが、なにか実生活に役立ったということはなかった。


役に立てようと思って書いていたわけでもなかった。ただ、自分のためだけに書いていた。初めて小説を書いてから10年間、ずっとそうやって書いてきた。でも、今は違った。俺は初めて、誰かのために小説を書いている。


それは3日前の事だった。


会社の後輩の中村さんが、いつもの様に家にやってきた。いつものように俺が迎えようとすると、中村さんは軽く会釈をして、どこかぎこちない表情を浮かべていた。一体どうしたのかと尋ねると、何か言 葉が喉に詰まっているかのように、何かを言おうか言わないかという様子で、とりあえず寒いからうちには入れと言うと、その言葉で何か決心した様子で、中村さんは口を開いた。


「入れないんです」

「え?」

「私、もう先輩の家に入れないんです」

「え、どういうこと?」

「こういうことです」


 どういうことかと尋ねようとすると、中村さんは手のひらを裏返して俺にみせた。薬指に、指輪が付けられていた。


「え、どうして?」

「この前決まっちゃいまして」

「え、えでも、お前そんな話……」

「一週間前に決まってしまったんで。いやー下手に家柄がいいと困っちゃいますね」

「マジかよ」

「ええ。だから、もう先輩の家には上がれません」

「……マジかよ」

「先輩がどう思っていたかは知りませんが、私はいままで楽しかったです。職場ではまだ会えるので、まあ今生の別れという訳ではありませんが。一週間後、盛大に式を挙げるらしいので、できたら参加してくださいね。それでは、今までありがとうございました」


  中村さんは笑顔で頭を下げ、足取り軽くアパートを去っていった。30分間その場で動けなかった。中村さんが結婚。全然そんな素振りを見せなかったのに、い や、一週間前に決まったって言ってたし、ていうか結婚って一週間で決まるものなのか、中村さんが結婚するのか、家にはもうこなくなるのか、ていうかそういう事があるなら一言俺に言えって……言われた所で、俺に何が出来たっていうんだ。言われていたら俺は、何をしていた。


 新しい原稿用紙を 手に取り、10枚ほど書いたところでまた投げ捨てた。こんなものじゃダメだった。この程度の小説ではダメだった。これでは何も伝わらない。伝えないといけ ない。言葉では伝わらないこの気持ちだけれど、文字にすれば伝わるかもしれない。


いつだって俺の小説を見てくれていた中村さん。ボロクソにメタクソに切り伏せられていたけれど、いつだって最後まで読んでくれて、いつだって真剣に読んでくれていた。そんな中村さんに、伝える気持ち。いつだって俺の家に来て、文句を言い合ったり、鍋をつついたり、掃除をしたり、原稿を燃やしたり、ここ数ヶ月、いつだって中村さんと一緒に過ごしていた。


でも、もう彼女はこの部屋に 来ない。俺は今日届いた結婚式の招待状を眺めた。なかなかの男前と一緒に中村さんが写っている。俺なんかでは太刀打ち出来ないかも知れない。


でも、もし今何もしなかったら。5年前のように、ラブレターを出さないまま終わった恋のように、5年後の自分は涙を流すだろう。それだけはダメだった。例え意味のないことだったとしても、今ここで、全力を尽くさなければならない。


そうだ。俺は馬鹿か。今俺が書くべきことなんて、たったひとつしか無いじゃな いか。俺は新しい原稿用紙をつかみ捕り、一晩中、書くべきことを書きなぐった。ショートヘアで目つきが鋭い小動物のような女の子で、普段の職場ではあまり 話さない。ただ、家が近いというだけで、ちょくちょくうちに遊びに来る、そんな中村さんと、俺の話を。


結局一睡もしないまま、俺は原稿をバックに突っ込んで職場に向かった。


中村さんはいつもの様に、デスクで静かに自分の仕事をこなしていた。こちらの方には、チラリとも視線を向けようとしない。いつものように俺も、何も言わず に仕事にとりかかる。いつものように仕事をこなし、いつもの様に定時で上がろうとする中村さんに、俺は追いかける。会社のエントランスでなんとか追いつい て、俺は中村さんの肩を掴んだ。


「中村さん」

「なんですか?」

「これ、受け取ってくれないか」

「なんですかこれ」

「短編小説。15ページ程度の」

「……へえ」

「これを、読んで欲しいんだ」


 中村さんはしばらく何も言わないで、俺の事を見つめていた。背中に汗が伝う。


「断ります」

「え」

「短編小説とはいえ、小説を読むという行為はなかなか骨が折れるんです。それが素人の小説ならいわずもがなです」

「そ、そうか」


「……だから、読んで下さい」

「え」

「今ここで、先輩の小説、読んで下さい」


 俺は辺りを見回した。ここは会社のエントランス。大勢の他の社員が行き交っているこの場所で、俺は自分の原稿を読まないといけないのか。汗が額をにじむ。しかし、やるしかない。やらなければいけなかった。震える手で、原稿に目を落とす。伝えるべき場所は、一つだった。


―― あなたはいつだって家に来て、勝手に掃除をしたり、洗濯をしたり、飯を作ったり、飯を食べたり、勝手に小説を読んだりで、俺の素敵小説ライフをいつだって 丸潰しにしやがって、ここ数ヶ月間、いつも心が休まることなんてありませんでした。一緒に原稿を燃やしたり、一緒に駄菓子屋を出禁になったり、一緒に鍋を つつきながら野良猫の話をしたり、勝手に人のラブレターを読んだりしたり、本当にいい加減にして欲しかった。――


 気が付くと辺りには、大勢の人だかりが集まっていた。面白がったり、からかい半分にニヤニヤた顔の外野が大勢いたが、そんなこと関係無かった。俺が伝えるべき人は、目の前にいる中村さんだけだった。汗が顔を伝い、唇の端に当たる。塩の味がした。


―― いつだって、なにをしていたって、人の家にやってきて、いつだって、どうしたって、人の心の中に居座って、目を閉じたって離れない。短く切りそろえた黒髪 も、突き刺すような鋭い目つきも、小動物のようなその仕草も、時折見せるはにかむようなその笑顔も、忘れようとしても心のなかから消えてくれない。いくら 頑張っても消えてくれないものだから、俺はもう、君を忘れることをやめようと思ったんだ――


 原稿を丸め、俺は口を閉じた。伝えるべきこ とは伝えた。伝えた所でどうなるかという話ではなかった。中村さんはもう結婚するのだ。この気持を伝えた所で、何かが変わるわけではない。でも、伝えなけ ればならなかった。伝えて、打ち砕かれなければならなかった。沈黙が辺りを支配する。怖かった。でも、俺は勇気を出して中村さんの顔を見た。中村さんは、 笑っていた。


「不格好な文章ですね」

「そうだな」

「文句ばっかりじゃないですか」

「ああ」

「水野さんの時とは大違いですね」

「……そうかもな」

「先輩は、私のことが好きですか?」


 中村さんは、柔らかくはにかむように微笑んでいた。答えなんて、決まっていた。


「大好きだ。どうしようもないほど」


 それを聞いた中村さんは、顔の筋肉が緩んだみたいにヘナっと顔をほころばせてから、何やら愉快そうに笑いはじめ、携帯でどこかに電話をかけ始めた。


「もしもしお兄ちゃん? この前言ってた作戦がまんまと成功したよ! うん、今丁度愛の告白を受けた所! うん! 本当にありがとう! じゃあ家に帰ったら詳しく話すね!」


 訳がわからない解りたくない俺に、中村さんはニヤリと笑みを浮かべてこちらを向いた。


「状況がわからないけどなんとなくわかっているって顔ですね」

「えーと」

「要はこういうことです。煮え切らない先輩に発破かけるために、お兄ちゃんに協力してもらって、ウソの結婚をでっち上げたってわけですよ。先輩見事に騙されましたねーやーいやーい」

「あれだから、今のノーカンだから」

「ここにICレコーダーがあります」

「oh」

「周りに証人もいます」

「oh」

「観念するんですね」


  周りの社員に祝福されて、中村さんは本当に愉快そうに微笑んでいた。話によると何人かサクラも混じっていたらしい。これは完全にハメられたということらし い。


でも、悔しいけれど少し安心して、少し嬉しかった。この話は社内をあっという間に駆け巡り、3日後の社内新聞にも取り上げられていた。ここまで計算し ていたというから恐ろしい。しばらくからかわれて仕事にならなかった。


 そんな一週間を何とか乗り切って、俺は無事に土曜日を迎えることが出来た。

 俺は布団を片付けひげを剃り、一張羅に着替えて歯を磨く。支度が整った丁度その時、チャイムが鳴った。ドアを開けると、小憎たらしい笑みを浮かべた、彼女がそこにいた。

 

 中村さんが、今日も来た。



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[一言] 中村さん、策士だった! お幸せにねー。
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