義妹にはめられて奇行を繰り返す悪女にさせられましたが、王太子殿下曰く「君って最高」とのことです
「あら、ソフィアじゃない!」
「今日も紅茶の一気飲みをしたの?」
私が王宮のホールを歩いていると、ニヤニヤ顔の友人が声をかけてきた。まるで身に覚えのない話に、私は呆ける。
「……何のこと?」
友人たちは「知らないの?」とクスクス笑った。
「あなたの新しい妹さんが親切に教えてくれたのよ。『ソフィアお姉様は風呂桶に入れた紅茶の早飲みが得意なんです』って」
「私は『逆立ち後ろ歩きチャンピオンだ』って聞いたわ」
二人は顔を見合わせて爆笑する。私はあんぐりと口を開けてしまった。友人たちはお腹を抱えながら「あなたも大変ね」と言う。
「全部デタラメなんでしょう? ソフィアみたいな真面目ちゃんが、そんなことするわけないもの」
「大丈夫。皆もそう思ってるわよ」
友人たちは慰めるように私の背中を叩いた。『皆』ってどういうこと? と私は真っ先に疑問に思う。
けれど二人は、私が質問をする前に去ってしまった。
それと同じタイミングで、曲がり角の向こうから甲高い声が聞こえてくる。
「本当ですよ! アタシ、見たんですから!」
噂をすれば影だ。友人たちが話題に出していた私の義理の妹が、三人の貴族令息と話をしていた。
「ソフィアお姉様、川の中から素手で魚を掴んだんですよ! それで、そのままムシャムシャと食べ始めたんです!」
私はクマか、と心の中でツッコむ。青年たちはニヤけながら「へえ」と頷いていた。
「それが終わったと思ったら、今度は水辺を歩いていたカニと戦い始めました! 『ギシャッー!』って、この世の物とは思えないような雄叫びを上げて!」
義妹は熱心に身振りを交えてその時の死闘を演じている。そんな自分の方がよっぽど変人に見えるということには思い至っていないらしい。
「おお、ご本人登場か?」
「魚の味はどうだった?」
青年たちが私に気付く。こっちを向いた義妹がニヤリとした。
「アタシ、皆にソフィアお姉様の本当の姿を教えてあげているところだったんですよ」
義妹が、いい気味だとでも言いたげに私ににじり寄ってくる。青年たちは半笑いでその場を後にした。
「ほら、やっぱり隠しておくのはよくないでしょう?」
「……あなた、何が目的よ」
どうやら友人たちが言いたかったのは、『義妹が私に関する変な噂を広めている』ということだったらしい。私は彼女に険しい視線を向けた。
「何がしたいわけ?」
そう言いつつも、私には心当たりがあった。
「もしかして、私が殿下の婚約者に選ばれたこと、根に持ってるの?」
「ええ、まさかぁ!」
義妹はわざとらしく口元に手を当てる。
「お上品で真面目なソフィアお姉様が殿下と婚約を結ぶのは当然ですよ! ……まあ、本当に『お上品で真面目』だったらですけど」
義妹は妖しく目を光らせた。やっぱりそういうことか、と私はため息を吐く。
私と王太子殿下との間に婚約話が持ち上がったのは数日前。その日から、義妹はずっと不機嫌だった。
父の再婚相手の連れ子の彼女は、家に来た時からワガママ放題だった。何でも、「アタシ、一番いいのが欲しいんです!」とのことらしい。それで望みが叶わないと、拗ねたり泣いたりして皆の手を焼かせていた。
今回もそれと同じだ。この国で一番いい結婚相手――つまり、王太子殿下を血も繋がっていない姉に取られたのが癪だったんだろう。
「あのね、だからって、変な噂なんか流したりする?」
逆立ちしながら後ろに歩くだとか、カニと戦っただとか……信憑性がなさ過ぎる。もっとマシな悪評は考えつかなかったのかしら?
「変な噂? 何のことです?」
ちょっとおバカな義妹は、自分の作戦が空回りしているとは気付いていないらしい。すっかり勝ち誇ったような顔で私を見ていた。
「アタシはなーんにも悪いことなんかしてません! 淑女の皮を被って皆を騙そうとするソフィアお姉様が悪いんでしょう! お姉様がとんでもない悪女だって知ったら、殿下は婚約を破棄したくなるに決まってます! それで、今度はアタシを新しい婚約者に選ぶんですよ!」
無茶苦茶な理屈を披露した後、義妹は高笑いしながら去っていく。悪女はどっちだ、と私は彼女の後ろ姿を呆れながら見送った。
けれど、義妹の作戦は別の方向で私にダメージを与えることになった。その日から、私は皆のからかいの的になってしまったんだ。
貴族たちの集まりに顔を出せば、「今日は徹夜で死んだふりの練習をするんだろ?」と冷やかされ、ちょっと庭を散歩すれば、「芝生、食べなくていいの?」と笑われ……。散々だ。いつの間にか、私はいじられキャラになってしまっていた。
「ソフィアお姉様、今どんな気分ですか?」
王宮の廊下で、得意げな顔の義妹が話しかけてくる。
「自分が悪女だって知れ渡って、悔しいですか? 泣いちゃいそう?」
義妹は意地悪の権化のような表情だった。そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだった私は、「まったく、あなたって……」と腰に手を当てる。
「いたいた、ソフィア! 君が綱渡りで町中を……」
「うるさいわね! 本当よ!」
文句を言ってやろうとした矢先に水を差されて、私はヤケクソで返事した。しかし、声の主の正体に気付いて固まってしまう。王太子殿下だ。
「あらぁ! 殿下じゃないですかぁ~!」
義妹はいつもより数段高い声を出して、素早く殿下ににじり寄った。私に対し、ざまあみろ、という視線を向けている。
「ソフィアお姉様ったら怖いですね~。殿下に暴言を吐くなんてぇ~」
悔しいけど、これは義妹の言う通りだ。私は慌てて「申し訳ありません」と謝った。
だけど殿下はどうでもよさそうに「そんなことより……」と首を振る。
「君が町中を綱渡りで移動したというのは本当なんだね?」
殿下が先ほどの話を蒸し返す。義妹はしたり顔で「本当ですよぉ~」と言った。
「壁を素手でよじ登ったっていうのも、口から火を吐いたっていうのも、全部本当ですぅ~」
そんなことができたら完全に人外だ。でも殿下は信じ切ってしまったようで、口をポカンと開けている。
「じゃ、じゃあ、片手でドラゴンを仕留めたっていうのも……」
「本当ですよ!」
そもそもドラゴンなんか実在するのか、という疑問はさておき、義妹は素早く肯定する。殿下は両手で顔を覆った。
「殿下、ショックですよねぇ?」
義妹は舌なめずりをしながら殿下の背中を撫でた。どうやら、私の評判は地に落ちたと判断したらしい。
私も同じ気持ちだった。今のは嘘ですよと急いで訂正しなければ、と焦る。だが……。
「君って最高だよ!」
顔を上げた殿下の目は、キラキラと輝いていた。義妹と私は同時に「えっ」と声を漏らす。
「意外とお茶目なところもあるんだね! 実はソフィアのこと、真面目で近寄りがたいなって思ってたんだ。だから婚約を結んだはいいけど、仲良くなれるのか不安で……。でも、君の意外な一面を知って安心したよ! もっと色んな話、聞かせて欲しいな!」
殿下が私の手を握ろうとしてくる。我に返った義妹が「ちょ、ちょっと待ってください!」と割り込んできた。
「殿下、正気ですか!? ソフィアお姉様は悪女なんですよ! 素手でドラゴンをぶっ飛ばしたんですよ!」
「うん、すごいじゃないか!」
殿下はニッコリとなった。
いじってくるだけの他の皆と違い、本気で私の武勇伝を鵜呑みにしてしまったらしい。あまりの純真さに私は苦笑いする。だけど、私をからかおうとしないその態度には何となく好感が持てた。
どうやら義妹の作戦は、私と殿下の仲を深めることに繋がってしまったようだ。
そうと気付いた彼女は、地団駄を踏んでいる。そして、負け惜しみのように「あの噂は嘘です!」と言い出した。
「お姉様は殿下の仰るように、真面目で堅物な人なんです! 火も噴きませんし、ドラゴンも倒しません!」
「えっ、ドラゴン、倒せないの?」
騙されやすい殿下はあっさりと義妹に言いくるめられそうになる。まだ勝機は残っていると悟ったのか、義妹の顔が華やいだ。
「ええ、倒せませんとも!」
義妹は殿下の腕を取る。
「ソフィアお姉様ったら、ひどいじゃないですか! 殿下を騙すなんて! 嘘はよくないですよ?」
「あなた……」
あまりにも早過ぎる手のひら返しに、私はもう何も言えなくなる。でも、殿下の落ち込んだ顔を見てふとあることを思い付き、口角を上げた。反撃するなら今だと思ったんだ。
「できるわよ」
私は胸を張ってみせる。
「ドラゴン、倒せるわ。楽勝よ」
「ば、馬鹿なことを言わないで!」
まさかの発言に義妹は狼狽する。
「そんなこと言うのならやってみてくださいよ! ねぇ、殿下! 殿下もソフィアお姉様がドラゴンを倒すところ、見たいですよね?」
「え? う、うん!」
殿下は戸惑いながらも期待のこもった目で私を見る。思った通りの展開だ。だけど私はそんな様子は表に出さず、「ごめんなさい」としおらしく謝った。
「倒したいのはやまやまなんですけど、実際にドラゴンを連れてきてくれないことには……」
「……実際に?」
どういうことだろう、という目で殿下が私を見る。私は視線を義妹に流した。
「この間、一緒にドラゴン狩りに行ったわよね。私、驚いちゃったわ。あなたがあんなにドラゴンをおびき寄せるのが上手いだなんて……」
「お、お姉様? 一体何の話を……?」
存在しない思い出を語られ、義妹がたじろぐ。私は「謙遜しなくていいのよ」と優しい声で言った。
「殿下の頼みよ。今回もあの時と同じように、ドラゴン、連れてきてくれるわよね? 場所はどこでもいいわ。猛獣がうろつく密林とか、どこまでも広がる砂漠とか……」
「それは激務だね」
殿下が目を見開いた。
「じゃあ、護衛を何人かつけてあげるよ。頑張って任務を遂行してくれ! 次に会う時は、元気なドラゴンを連れてきてね!」
つまり、ドラゴンを調達するまで帰ってくるなということだ。しかし、ドラゴンは幻の生物であり、存在するのかどうかも分からない生き物である。持ってくることなど事実上不可能だった。
とんでもない役目を押しつけられたと分かり、義妹の顔色が変わる。
「で、殿下! ア、アタシは……!」
「さあ、もう行きましょう?」
私は義妹の言葉を遮り、婚約者に笑いかけた。
「早くその日が来ないかなぁ」
「ええ、本当に。楽しみですね」
殿下が伸ばしてきた手を取る。そして、抗議の言葉を探している義妹を置き去りにして、二人仲良くその場を後にしたのだった。