感受性
「芸術」とは何であろうか?
それは放物線の集合であり、空気の波動であり、言葉の集まりである。
しかし私は、そして多くの人はそこからそれ以上の力や感動を感じる。
「芸術には力がある。」
それは的を射ているようで、しかしある部分ではどうしようもなく的外れなように感じる。
「誰も居ない森で木が倒れたら音はするのか」
そんな問いかけを以前私は目にした。
「音というものは人が観測して初めて空気の振動から音に昇華するのであって、観測者がいなければそれはただ木が倒れたことで生じた空気の振動でしかない。」ある人はそう答えた。
つまり、芸術の本質にはこれと同じく人の感受性が大きく関わっているのではないか。
私はそう考えた。
つまり、多くの「芸術」と呼ばれるものはそれを人が観測し、感受することで大きな力を生み出しているのではないか。
文頭で述べたように芸術の多くは物理現象にすぎない。しかしそれを感受する人の脳にはいまだ数多くの神秘が存在する。
そしてそれは芸術に限られたことではない。
人が生きていく中で生じる多くの感情や感動はその事象一つ一つに大きな力や意味はなく、それを感受する人間の感受性によって感情が生まれ、大きな意味が創造されるのではないか。
つまり、多くの事象は一人一人の感受性の大きさや質によってその意味や重さが変化するのである。
私たちはもう一度自らの感受性を育み、向き合うことが必要である。