ギャル子は人類が滅びても俺と付き合わないみたいなので……本当に滅ぼしてみた
三日悩んで出した結論は、突き飛ばしとなって返ってきた。
こんにちは。まさかその一言ですら拒絶されると思っていなかった近藤は唖然たる表情で落ちた階段からゆっくりと立ち上がった。
「なに気安く話しかけてんだよ陰キャ野郎!」
残り少ないマンゴージュースが入ったペットボトルが、近藤の頬をかすめた。
「人類が滅亡してもオメェはお呼びじゃねぇんだよ!」
まるで接する事すら禁忌だったかの如く、熾烈を極めた罵倒は実態を掴めぬ近藤の理解を超えて、学校中へと響き渡った。
「なんだよ、あれ……」
下校途中のガード下、近藤の俯き顔が更に影を落とす。
学校一の問題児と名高い麻里愛を、どうして自分が好きになったのか。近藤は後悔の念で押し潰されようとしていた。
なんとか重い脚を家へと向けようとすると、ガード下の影に隠れた怪しい出店が近藤の目にとまった。
怪しい鼻、ローブ、しわがれ声。
その老婆を見定める前に、老婆が怪しく手招きをした。
「オ、オレか?」
「左様」
老婆が一つ指を立てる。
「お前の願い、三ヶ月だけ叶えてやろう」
はん、とその言葉を笑い飛ばし近藤は「なら人類滅亡を頼めますか?」と軽口を叩いた。
今すぐ消えて無くなりたい。そんな気分だった。
「お安い御用で」と顔色を変えない老婆に、近藤は慌てて「麻里愛だけは残してほしい」と付け加えたが、何を真面目に頼んでいるのだと我に返り、足早にその場を後にした。
人類が滅びてもお呼びではない。思い出すだけで自分の存在価値は無いのだと、近藤の胸に虚しさが込み上げた。
その日、携帯のアラームより先に妙な眩しさで目が覚めると、近藤はまず飛び跳ねた。
「え!?」
家の屋根が吹き飛び、太陽が直に見える。その光景に絶句した。
「え!? え!? え!?」
ベッドから立ち上がると、崩壊した家の全貌が明らかになり、廃墟と化した我が家に近藤は慌てふためくしかなかった。
まるで爆撃を受けたかのように、家は消え、僅かな瓦礫を残して、後は全てが消し炭と化しており、辺りを見渡すと近隣の建物全てが同じく吹き飛んでいた。まるで消えたかのように人の気配はない。
嫌に焦げた臭いと妙な静けさだけが近藤を包む。
昨日の妙な老婆の事を思い出したのは、近藤が誰も居ない町内を一周した後の事であった。
学校までの道は、全て等しく焼けており、建物も全てが吹き飛んでいた。辛うじて基礎が残っている程度であり、近藤は自らの願いがこのような形で成就されてしまった事に、深い闇を感じた。
二十分の足取りで辿り着いた校舎は跡形もなくなっており、いつもなら生徒指導の角田と麻里愛が揉めている校門は、今の近藤の心境を表すかのように歪にねじ曲がっていた。
「誰か居ませんか……?」
その控えめな呼びかけに応える者は居らず、近藤は暫し沈黙するも、諦めてその場を後にした。
あの願いが正しく成就されたのなら、麻里愛は居るはず。
近藤を突き動かしたのは、まっ黒に焦げた欲だった。
普段の町並みが全て瓦礫と化すと方向感覚が無くなるのか、近藤は少し迷って麻里愛がいつも仲間と通っているハンバーガーショップを発見した。
当然店も看板も全て瓦礫と化してはいるが、僅かに残されたカウンターと調理場の風景が、近藤の記憶と合致した。
「誰か……!」
名前を呼びたい衝動をぐっと堪え、近藤は控えめな声を出した。
そして返事はすぐにあった。
「人だ!」
それは紛れもなく麻里愛だった。
右頬をすすで黒く染めあげた麻里愛の金髪が激しく揺れ、全力で近藤の傍へとやってくる。
「良かった誰か居た!」
しかし喜びも束の間。麻里愛はそれが近藤であることを確認できると、直ぐさまに笑顔を消した。
「──チッ」
それはあからさまな失望であった。
ぬか喜びか期待外れか、はたまたその両方か。麻里愛の心に再び影が差した。
「あ、あの……」
近藤は去ろうとした麻里愛の背中に声をかけた。
予想に反して嫌われている。近藤の心はこの廃墟以上に荒れていた。
「んだよ」
少しだけ首を向けた麻里愛の視線は、近藤を捉えることはなく憮然としていた。
「誰も居ないね」
麻里愛の返事は無い。
僅かにのぞいたその表情は、それを悟った顔であった。
「一人だと危ないよ?」
麻里愛の顔に影が差した。スカートから僅かに覗く脚には、血の跡があり、近くでは野犬の遠吠えが木霊していた。
麻里愛は近くに落ちていた鉄パイプを手に取ると、仕方ないといった表情で近藤の方を向いた。
「オメェと居る方が危ねえ気がするんだけどよ」
それは近藤の事を信用していない目であった。
近藤は言葉に詰まり言葉にならぬ声を発するのが限界であったが、麻里愛はそんな近藤を気にとめるでもなく、すぐに去って行った。
近藤は自宅へと戻ると、唯一綺麗に残されているベッドに、使えそうな物を乗せた。
帰る道すがら他人の家から失敬してきた物である。
どうせ持ち主は居ない。そう思うと何の躊躇いも生まれなかった。
食べ物。その確保を最優先すべきだったと、近藤は野犬やカラスに食べ尽くされたパンの袋を見て痛感した。
人類は滅びたが動物はまだ少なからず生きている。近藤は無心で食料を探し求めたが、手に入ったのは溶けて一つの塊となったチョコレートと、缶詰が三つだけだった。
その日、満天の夜空を眺めながら、近藤は不思議な気分で一夜を明かした。
翌日、近藤が麻里愛を見つけるのに、そう時間はかからなかった。
人を求め泣き叫びながら町を歩く麻里愛を見かねて、近藤は声をかけた。
「あの、これ……」
差し出された缶詰に、麻里愛は目の色を変えた。それを見て、近藤は麻里愛がまともに食べていないことを察知した。
「いらねぇよ!」
それが強がりであることは、すぐに分かった。
近藤が少し強く缶詰を突き出すと、麻里愛はそれを受け取るしかなかった。断る選択肢はすぐに折れた。
「何が目的だよ」
近藤は首を振った。
見返りを求めていると思われた事に焦ったのである。
しかし麻里愛からしてみれば、あれだけ罵倒した相手が貴重な食べ物を恵んでくる事の方が異常であったのだ。
「本当に誰も居ねぇのかよ」
力無い言葉が麻里愛の口から漏れた。
幾度も瓦礫と擦れ、汚れた制服のボタンに手をかける麻里愛。
「缶詰一つでコイツとヤるのかよ……」
麻里愛の行為に、近藤は慌てて「止めてくれ!」と大声を露わにした。
「そんなこと求めてない……頼むからそれだけは止めてくれ」
近藤はもう一つ缶詰をその場に置いて、走り去った。
翌朝、近藤は麻里愛の陰に目を覚ました。
「いいとこで寝てんじゃん……」
近藤のベッドの隅っこに静かに座っていた麻里愛が、すくりと立ち上がった。
「き、昨日はありがとよ」
やや歯切れ悪くも、誠意が込められたその姿勢に、近藤はやや目頭が熱くなるのを感じた。
「どうやら本当に皆跡形も無く消えちまったみてぇだし、俺とお前しかいねぇんだよな?」
「た、多分……」
憶測であるがという意味を付け加え、近藤は明るい空を仰いだ。
今近藤の胸にドロリと流れた薄気味悪い感情、それは罪悪感だった。
「お茶あるけど、飲む?」
「……ああ」
話題を変え、気分を紛らわすように、近藤はペットボトルの緑茶を麻里愛に手渡した。近藤の部屋に残されていた数少ない飲料水だ。
普段ジュースしか飲まない麻里愛にとって、緑茶は苦水でしかなかったが、この時だけはとてもありがたい味がした。それ程に麻里愛は脱水していた。
「慎司も死んだんだろな……」
ぽつりと麻里愛が漏らす。
斉藤慎司は麻里愛の彼氏であり、サッカー部のエースだ。しかし25股の凄腕プレイボーイでもある。
近藤は無言で俯き、そして窺う目つきで問い掛けた。
「一緒に食べ物を探さない?」
麻里愛は押し黙って背を向けた。
その背中はすすけており、否定できない空腹感と、肯定できないプライドがぶつかり合っているのだろう。
麻里愛は無言で頷いた。
二人は活動拠点を海辺の町へと移した。提案したのは近藤だった。
車輪が歪んだ自転車に跨がり、三日かけて移動した。
その間に廃墟となった家から僅かな食べ物を見つけては糊口をしのいだ。
海なら魚が釣れる。塩が手に入る。船を見かければ助けてもらえる。そう考えてのことだった。
しかし、海辺の町の変わり果てた姿を見て、近藤は愕然とした。
「やっぱり自分たち以外は皆……」
麻里愛は漁船を見つけると、持ち主不在を良いことに、網や浮き、ライフジャケットを持ち出し近藤に見せた。
「最初は半信半疑だったけどよ。やっぱり二人しか居ねぇみたいだな。しゃあねぇ」
そこには打ち解けたような雰囲気が漂っていたが、麻里愛は「ただし、変なことはするなよな。殺すぞ」と真顔で付け加えた。
釣り道具を見つけたのは、二人にとっての幸運だった。
網を張り、糸を垂らして魚を待つ麻里愛。
不器用な近藤は町へ出て使えそうな物を探しに出掛けた。
夕方、押し車一杯に荷物を入れた近藤は、魚を二匹嬉しそうに掲げる麻里愛に迎えられた。
夜、二人は魚を焼いた。
船の燃料とライターを見つけたので火にはしばらく困らない。
「美味しいね」
「俺が釣ったんだ、あたりめぇだろが」
麻里愛が自慢気にこたえた。
近藤は焦げた前髪を錆びたハサミで切り落とし、ついでに伸びた襟足も切り落とした。
「わり、ガソリンってあんなに激しく燃えるんだな」
「うん、僕も知らなかったから……」
前髪だけで済んで良かったと、近藤は笑顔で麻里愛を見た。しかしその笑顔はすぐに消えて近藤は歯を見せて立ち上がった。
「ん? 犬だな」
やけこけた大型犬が、二人のそばへとやってきた。首には革の首輪と僅かなチェーンが残されていた。
「飼い犬だったのか?」
「ダメだ!」
犬に向かって手を伸ばす麻里愛を、近藤は制止した。
空腹は野生に、孤独は規律に訴え飼い犬としてのそれを変貌させるに十分すぎた。
それは野良より恐ろしい野生の獣となりて二人の前に現れたのだ!
略奪。飢えた獣は魚の臭いに狂った。
「危ない!」
近づきすぎた麻里愛と獣の間に割って入る近藤。
飛び付いた獣は近藤の左腕に噛み付いた!
激しく首を振る獣。その度に近藤の腕に激痛が走った。
「この野郎!」
麻里愛が薪で獣を殴った。
痛みで口を開け怯む獣。
近藤は食べかけの魚を遠くへ投げると、獣はそれ目掛けて走り、勢い良く咥えて逃げてしまった。
「おい大丈夫か!?」
「大丈夫だよ」
近藤の袖をまくる麻里愛。
腕には牙が食い込んだ痛々しい痕が残っている。
血も出ており、明らかに大丈夫そうには見えなかった。
「何してんだよお前……!」
海水で腕を洗う麻里愛。
近藤は無言で笑った。
「魚、ごめんね」
「俺なんか助けてどうすんだよアホ!」
腕が熱を帯びたように熱い。
手は動くが感覚は鈍い。
近藤は翌日から熱を出して動けなくなった。
「具合、どうだよ」
ぐったりとした近藤が、なんとか麻里愛に笑顔を向けた。
食べられそうな野草と魚を欠けた鍋に投げ込み、火にかける。しばらくすると美味しそうな匂いが立ちこめた。
「死んだら許さねぇからな」
「好きなこを守って死ねるならそれでも良いかなって」
麻里愛は無言で鍋をかき混ぜた。
「意味分かんねぇ」
近藤はただ笑った。
出された鍋を少し食べ、近藤はすぐに横たわった。体は熱く、そして左腕はパンパンに膨れていた。
「テメェ、男なら好きな女を無理矢理モノにするくらいの気合と勇気を、少しくらい見せてみたらどうなんだ」
麻里愛が怒りで眉を潜めたが、近藤は俯いたままこたえない。
「それは気合でも勇気でもないよ──ただの犯罪だ……」
麻里愛は返事に困り、そのまま怒りは冷えてしまった。
「そーかよ」
それっきり麻里愛はそっぽを向いて眠りについてしまった。
近藤は目を閉じてこれまでの思い出に浸ろうともしたが、それは単なる自己満足に過ぎないと思い、無心で寝ることにした。
「オレはグイグイと引っ張ってくれる男がいいんだよ……」
寝言のようなぼそぼそとした声がした。
しかし闘病の鬱ろぎに彷徨う近藤の耳には、その言葉はあまりにも唐突すぎて小さかった。
明日になれば多少は良くなるだろう。
近藤は麻里愛の背中に視線を向けた。
しかし、世界が変わってから今日で三ヶ月。
明日は無かった──
電子音を聞くのも三ヶ月振り。
近藤は携帯のアラームで目を覚まし、久々に文明の利器を堪能した。懐かしさに溢れる辺り、やはり自分は現代人なのだとつくづく痛感。
あれだけ苦しんだ熱も左腕の痛みも消え失せ、近藤は全てが夢だったような感覚を覚えた。
母親に声をかけ、近藤は洗面台の鏡に映る自分の顔を久方ぶりに見た。
そしてしばし目をこらすと、よく切れるハサミで前髪と襟足を切った。
「よっ」
「お、おう」
久しぶりに見る友人にまたもや懐かしさを覚えて目頭が熱くなりかけたが、近藤はぐっと堪えて前を向いた。
「すまん」
近藤はぽつりと呟いた。
誰に──いや、全ての人に向けてであろうその懺悔は、誰にも聞こえることなく予鈴のチャイムがかき消した。
校門ではいつも通り麻里愛が生徒指導の角田に捕まり、言い争いをしていた。
近藤がすぐ傍を通るが、麻里愛は目もくれず角田の脛を蹴飛ばしている。
「……覚えてない、か。うん、その方がいい」
近藤はどこか安心したように、大きく息を吸って静かにゆっくりと吐いた。罪悪感が多少紛れる。
三ヶ月ぶりの学校は新鮮味こそ無いものの、全てが懐かしくて嬉しい時間だった。
近藤はいつの間にか微笑んでいる自分に気が付かなかった。
「なんか変だぞお前」
「そうか?」
「なんつうか、陰キャオーラが消えたな、うん」
「……ほっとけ」
友人の戯言を笑い飛ばし、近藤が放課後のグラウンドを見ると、サッカー部のキャプテンが数多の女子達に囲まれボコボコに殴られていた。
「どうやら先輩、25股がバレたみたいだそ」
「だからバレねぇ方がおかしいだろ、フツー」
「……だよな」
その女子の中に麻里愛が居るのではないかと目をこらすが、目立つ金髪は見当たらず、近藤は胸につかえるような妙な不安を覚えた。
今朝の事を思い、ふと屋上へと向かう。いつもなら屋上で仲間と談笑をしているはず。近藤は屋上へと続く階段をそこはかとなくゆっくりと歩いた。
静かに屋上の扉を開けると、金髪をなびかせた麻里愛が一人柵に向かって黄昏れていた。
ちらりと後ろを向いて近藤を見たが、すぐに視線は空へと戻った。
覚えていない以上むやみとかかわる必要はないだろうと、近藤は静かに扉を閉めた。
「なんだよ、つまんねぇな……」
麻里愛の独り言が空へと消える。
その手には緑茶のペットボトルが握られていた。