卒業記念な百合の話
突然のことに立ち尽くす。
キスをされた。ファーストキスだった。
屋上で夕日を見たいなんて先輩が言うからのこのことついて行った私が悪かった。彼女が突拍子もないことを言う時は、大抵何か思惑がある。今回は、何を思ったか私の唇が目的だったらしい。
別にキスそのものが嫌とかそう言うわけではなかったけれど、突然すぎたのが嫌だった。
私の大事なそれを簡単に奪った先輩を睨むと、チラと舌を出して戯けて見せられる。なので、軽く肩を押した。
「暴力的だね」
「……なんですか突然」
「卒業祝いを先にもらっておこうと思って」
「祝うなんて誰も言ってないです」
「だから、いまのうちに奪っておこうと思って」
へらへらと笑う先輩に、私は唇を尖らした。行為の意味を聞いたつもりがうまく誤魔化されてしまって腹が立つ。
「ファーストキスだったんですけど」
「奇遇だね、私もだよ」
「同性同士なのでノーカンにしていいですか?」
「それは困る、せっかくの記念なのに」
彼女はポリポリと頭を掻いた。その姿に私はため息をつく。
「この部、来年で潰れちゃいますね」
「頑張って続けなよ」
「先輩いないし、やる意味ないじゃないですか」
「それは嬉しいけれど、部が続けてきた歴史がだね」
先輩と私、それ以外に部員はいない。部の名前もはっきりしていない。活動申請も出しているか怪しい。空き教室に集まってなんとなく過ごしているだけ。そんな部活だった。
「この部、設立何年ですか?」
「二年だね」
「設立者は?」
「私だね」
その問答に私は再びため息をついた。
「続ける意味ないですね」
「もうちょっと設立者の意思とか汲んでおくれよ」
「汲む意味あります? それ」
どちらか一人でも欠けてしまえばこの部はなくなる。何をするでもない、心地よくて、少しだけ苦い、そんな空間は来年からは存在しない。それがわかっていたから、先輩は何か記念が欲しかったのかもしれない。
眉をひそめながら先輩を見やる。
夕日をじっと見つめているその横顔を見て、胸が締め付けられるような気持ちを覚えた。
「先輩がいて、私がいて、それが部活動みたいなところあったじゃないですか。特に何かやってたわけじゃないですし」
その言葉に彼女はうなづいた。だから私は尋ねる。
「そもそも、何やる部活だったんですか?」
「そのことについて今更聞かれるとは思ってなかったよ」
「え、なんか活動目的とかあったんですか?」
「そうだね、強いて言うなら、君がいて、私がいる」
「それさっき言ったじゃないですか」
先輩はケラケラと笑った。いつものように誤魔化そうとしていた。
でも、誤魔化していられる時間も残り少ない。それに、先輩には誤魔化して逃げられるとは思ってもらいたくなかった。
「何かやり残したこととかないんですか?」
「ないね」
「キッパリと言い切りますね」
三度目のため息。そんな吐息を気にも求めずに、先輩はけろりとした顔で言った。
「青春したからね」
「何かしましたっけ」
「したよ、君がいて、私がいた。それだけで青春じゃないか」
「良いこと言おうとしてます?」
「バレたか」
フハハと笑って、彼女は私へと振り返った。私のことをまっすぐに捉えていた。
「君は何かしたいことないのかい?」
「……そうですね」
純粋無垢に煌めいた瞳。
私はそれに惹かれて、先輩の部活動に入った。何をするでもないぬるま湯に好んだ入り浸った。日常があった。高校生活があった。だけれども、一つだけ足りていないものがある。
それは、きっと先輩が屋上で埋めようとしたものと変わりない。そんな気がしていた。
だから、私はつい口に出してしまう。
「恋、がしたかったかもしれません」
それを聞いた先輩は、また夕陽へと視線を戻す。眩しいはずなのに見つめ始める。
「……そっか」
「そうです」
「私は振られたわけだ」
「そうかもです」
そこまで言って、彼女はへらりと口元を歪ませる。
「いいのかい? こんな好条件の女、もう見つからないよ?」
先輩はまた誤魔化そうとしていた。
だから今度は乗っかってしまって、それに甘えさせてもらうのだ。
「じゃあちゃんと恋させてくださいよ」
なんだか恥ずかしくなってきて、私も夕陽を眺めた。眩しいはずなのに、先輩を見ているよりかはずっと楽だった。
彼女はへらへらと笑いながら、私に問いかける。
「さっきのキス、全然なんともなさそうだったじゃないか」
「突然でしたし、ムードが皆無です。テストなら赤点ですよ?」
「……じゃあムードがあれば?」
「そうですね、試してみないとわかんないすね」
「それじゃ、卒業いわ──」
「その言葉自体がムードないですね」
「むっ、じゃあ」
「直球に言われた方が、女の子は嬉しいものですよ?」
「わ、私も女じゃないか。まるで女じゃないみたいに」
ぶつくさと彼女はそんなこと言って、それから夕陽に向かって叫ぶ。
「君のことが好きだ。愛してる!」
その様子がおかしくて、つい苦笑が溢れてしまう。
「なんですか、青春ドラマみたいに屋上から叫んで」
「だってそれ以外ないでしょ」
「聞かせたい人は夕日の向こう側ですか?」
そう聞きながら、先輩へと視線を戻す。光を見ていたせいかぼやけていたけれど、先輩も私の方を向いているのがわかった。
モジモジとしていた先輩が可愛らしくて、いじらしくて、私も何か記念が欲しくなってきているのに気づいた。
もうすでに、言いたいことは決まっていた。
もしかしたらずっと前から──
「だってそんなの……」
「仕方ないですね、手本、見せてあげますよ」
ちょっとだけ空いた距離を詰めて、先輩に倣って大声で叫ぶ。
「先輩! 好きです!」
そこには驚きに満ちた表情があった。そして、少しの硬直があった。だから私はその隙を狙って、さらに距離を詰める。そして少しだけ背伸び、あとはさっきと同じだった。
「私からの卒業祝い、ですよ」
屋上に伸びた影が重なった。
夕日のせいか、先輩の頬は赤い。きっと私も同じだろう。恥ずかしさで頬が綻ぶ。先輩と同じだった。雨上がりの水溜りには私たちが映っていた。やり残したことは何もない。
薄っすらと笑みを浮かべていた。