72 ビアンカ 見抜く
私は緊張で、震えたのでは、ありません。
怒りでした。
この国難に、神殿はどちらも組みしない。その意思表示をこんな公開で突きつけてくるなんて!
これじゃ、何のために教主様に委ねたのか、わかんないでしょ?
そして、御帳台のとばりは、全く開くことがなく、どちらにどちらが居るのか、誰にも分かりません。
入った者と、入れた神官以外は。
私に当てろと?
私に真の指導者を神の力で指名せよ、と?
ふん。
女神、舐めんな。
『さあ、メージェル神!
この国を導きたまえ!』
声を張った教主様は、その後は黙して、お座りになりました。
し、ん。
神殿の広いエントランスには、御帳台二基と、
私だけと、なりました。
片方は陸軍総帥……暫定政権首相。
片方は……。
私は錫杖を握り、御帳台に近づきました。
観衆は、固唾を呑んで、見守ります。
右か 左か。
黒の御帳台か 白の御帳台か。
どっちに、誰が入っているのか。
私は大きく、どん!と杖をつき、
そして、
す、と、
杖を御帳台に向けました。
広場からは、軽いどよめきが。
(どっちだ)(どっちだ)
錫杖はそのままに、私は教主様に向かって、大声で
『このメージェルを謀るか!
神を冒涜した罪は、受けて貰うぞ!』
と、叫びました。
『何をおっしゃいます、女神』
教主様は、悠然と応じます。
けれど、指が小刻みに動いたのを見逃しはしませんでした。
教主様も、グル、か……。
『女神メージェル様
正義をお選びください』
『あなた様がお選びになった御帳台をお開けします。
どうか』
神官たちが、跪き、こうべを垂れたまま、オロオロしだします。
『黙れ!』
私は錫杖を振り、再度杖を鳴らしました。
『ここに、真の人物は、おらん!
御帳台なぞ、我には無用!』
『なんと!
メージェル神よ、ご乱心か?』
『それとも』
教主様の玉座は、僅かに声を張るだけで、響く仕組みとなっているのでしょう。
彼の言葉が、広場にも響き渡りました。
『……貴女は、選ぶお力はない、と?
偽の女神、なのですかな?』
ざ!騒騒騒。
(女神様が、ご選択を断った)
(あの方は、女神様ではないの?)
そう。
神殿庁は、女神を受け入れるつもりは無かった。ここで、私に恥をかかせ、ここまで帝国将軍と海軍で進攻してきた裏付けは、
女神の正義だったのです。
王都で広く国の信仰と金を集めてきた神殿庁にとっては、暫定政権であろうと、反組織であろうと、
神殿が、国にとって必要不可欠な聖域であらねばならないのです。
それなのに、メージェル信仰が膨らめば、神殿は、メージェルに、傅く立ち位置になってしまいます。
だから、まず、神殿庁は、メージェルを偽物とし、排除することとしたのです。
(そんな、偽物?)
(女神は、どちらに誰がいらっしゃるか、分からないのか?)
ザワつく広場前の神殿のエントランスで、私はシャラン!と、杖を鳴らしました。
『この御帳台は、神殿庁のよこしまな企みじゃ!開けて見せよ!』
『なりません。
人にとっては見えないものが、お見えになるのが神のお力です
……お見えに、ならないのですか?』
『どこまでも、神をたばかるか』
『貴女が真の神ならば、
今ここで、真の王をお教えください。
できないと?』
騷騒騒……
『我が、この力を示せば、
神殿庁は我に傅くのか?』
『御心のままに』
私が生身の女で、自分たちの企みに抵抗できないと、思っているのでしょう。
うふ。
言質はとったわよ?
いいのね?いいのよね?
私はニッコリと微笑みました。
『では、指名させて頂こう』
(どっちだ?)(誰が)
私は御帳台に再び近づき、
皆が固唾を呑む中、
御帳台の前を通り過ぎて、
(え)(何っ?)(あっ)
ゆっくりと、神官の列の後ろに隠れていた神の棺に歩みを進めました。
神の棺。
神殿に着いた人々が真っ先に祈る神の魂の函。
あ、という声が玉座から、聞こえた気がしました。
『退け』
私が短く言うと、神官たちが割れて退きます。
「アル イーヴォ ウザーク エマ」
四人を呼ぶと、すすす!と四人が私の足元に着きました。
『蓋を開けよ』
『なんと!罰当たりな!』
教主様が叫びます。が、
『神が神の寝床を開けて、何の罰じゃ?』
と、言い返して、四人を促しました。
四人は実にウキウキと作業し、
「女神。棺を分解します。
よろしいですか」
と、言って、私の返答をまたずにタガを外すと、
バタン、と側面が倒れて
中には……
(イングヴァルド!)
目を閉じ、手を組んだ彼は、ぐったりとしています。
けれど
(息はある)
私は、壇上に上がり、横たわった彼の頭と肩を抱えました。
『イングヴァルド・デル・オムル』
私の言葉に、
一旦しんとなった周囲に、
(えっ、殿下が?)
(棺に、殿下が?)
(じゃあ、御帳台は)
(騙したのか!)
様々な言葉と嘆きと怒声が混ざりだし、
神官たちは、慌てふためき、
教主様は奥へ逃げようとして、将軍に立ちはだかられ、座り直させられました。
(イングヴァルド……
私の最愛)
私には、分かっていたのです。
だって、
私たちの持つ時計の水晶が、互いを教えていたのですもの!
御帳台が出てきたときから、彼がどこにいるかは、知っていました。
『真の王は、ここに!
我が宣託を成す!』
それでも、目を開けない彼です。
時計は温かく彼の正常を伝えてくるのに。
私は、ダメ押しの女神役として、
彼の頭を抱え、立膝の上に置き、
彼の唇に唇を……
(役得)
そんな声が頭に響いて、
ん?
と、思うやいなや、私は宙に浮きました。
『勝利の女神の口付けを頂いた!
私は、イングヴァルド・デル・オムル!
次の王である!』
うわぁぁぁぁぁぁぁぁあ!
歓声が湧き上がりますが、私の視界は、彼によって妨げられて。だって、
何で女神をお姫様抱っこしてんのよ!
あっ、あんた、
起きてたのねっ。
起きてて私のキスを待ってたのねっ。
彼は私をそっと石畳に下ろし、民衆の前に立ちました。
黒髪を緩く後ろに束ね、
銀色で切れ長の大きな瞳
形良い眉
珊瑚色の、唇
美しい男。
金の縁どりの衣装は、初めて出会った時と似たいでたちで、その美丈夫ぶりと、威厳は、民衆の目を惹き付けました。
『改めて
イングヴァルドである!
女神は私を選んだ。
卑怯な政権や神殿に、私は屈しない。
兄、第一王子は、政権に誅殺された!』
彼の声は、初めて聞く、朗々たる響きでした。
第一王子誅殺の言葉に、さらにざわつきが高まります。
暫し間を置いた彼は、
『私は、兄の弔いとして、陸軍政権を退ける!
皆、選べ。
血と力か
言葉と知恵か。
私は、私に心寄せるものを裏切ることなく、国を動かそう!
……女神の宣託のもと!』
『イングヴァルド王子!』
『王子!』
『我が王!』
民衆に混ざった海軍兵たちから声が上がり、たちまち周りは、彼の名をシュプレヒコール。
そんな声や言葉を彼は、悠然と受けて、ぽけえとする私を見遣りました。
(お前から迎えにくるとはな。
似合うぞ)
そんな囁きと、イタズラな表情に、
あんたねえ!
という文句を言おうと思いましたが、あにはからんや、私の口は
(よく、ご無事で)
と、動いていました。
(何者かになって、お前を迎えると決めていたから)
……ああ。彼だわ。
そう得心がいった私は、その後の、彼が跪いて、手をとり、甲にくちづけられ、
『我が妃』
と、言った一連の動きを脳みそが受け付けられず、
意識を飛ばしました。
皇帝陛下ぁ。
ビアンカはちゃんと失神できる普通の女でございましたぁ。