61 ビアンカ 王太后の企みを知る
王太后陛下。ひえ。
私は、王女から離れ、部屋の下手で待ちました。
「お祖母様、ご機嫌麗しゅう」
王女が綺麗な礼をすると、
「昨日は、上々のデビューだったそうね」
「お褒めに預かり、恐縮です」
王太后陛下は、次に私を向いて
「ビアンカ・アルメニア」
え。正式名。
「はい、王太后陛下」
「貴女の武勇伝は聞きました」
ひえー。
「顔をお上げ」
私は王太后と目を合わせました。
紅玉の瞳は、老いて落ちてきた瞼によって切れ長になっていますが、
その強い光によって、ご尊顔を一層活力あるものとしています。
「美しい。成程」
そう一言おっしゃって、
「ミュリが世話になります。
後で私の宮にいらっしゃい」
有無を言わさず、とは、このことで。
「承知致しました」
怖いよぉ。
「お祖母様。
今日はお開きにする。
ビアンカは、深いことを教えてくれた。少し自分で考えたい」
王女がそう言うと、王太后は相好を崩して
「そう。では、共に宮に戻るとしよう」
……ひぇぇ。
王太后が部屋から出ると、
「大丈夫だ。
お祖母様は、気はお強いが、腹は一つだから」
と、ミュリ王女は、私の緊張をくすくす笑いました。
幼さが現れて、私まで嬉しくなります。
「ビアンカ」
「はい」
「そなたは、やはり、面白い。
出会えてよかった。
今度はいつ来られるか」
「……まだ、嫁ぎ先の私物整理がございます。
来週では?」
「待てない」
「では、3日後は」
ミュリ王女は、目を細めて、
「それがいい。
今日の時刻で」
承知致しました、と私が礼をとると、唐突に王女は、私の手をとったのです。
冷たい白い指。
「……この歳にそなたに出会えて、私は嬉しい」
そうおっしゃって、王女は私に青い石が一粒入った細いチェーンを握らせました。
「ブレスレットだ。
次の進講で、一粒タンザナイトを渡す。
その鎖がタンザナイトでいっぱいになるまで、私といて欲しい」
「……王女」
「そなたは、面白い」
そう仰って、王女は、目を閉じました。
進講の終わりです。
私は再度礼をして、退出しました。
出口に、王太后の女官が待っていました。
王太后のお住いは、先の王太后が住まわれていた〈翡翠宮〉です。
緑の石や水晶が、あしらいのあちこちに使われている、東洋的な佇まいです。
宮自体は、さほど大きくはありませんが、王宮の敷地の中では、外れの森に近く、取り巻いた庭と森が翡翠宮を守っているかのようでした。
「王女が無理をいったわね」
テラスの木陰に設えたテーブルにつくやいなや、王太后は口を開きました。
「あの子は、私の姉……外つ国の女王と同じ気質を持っています。
姉を知っている?」
確か、外つ国の女王は、守護精霊と婚姻を結んだ処女女王でした。
その神秘の力は、国の安寧をもたらしているとされ、国民からは絶大な信頼を得ているそうです。
「姉も私も、国の為の人材だった。姉は国を護り、私は国と国を繋いだ」
カップに注がれたお茶は、外つ国のもののようでした。
「まさか孫娘に、姉の気質が受け継がれるとは、思いもしなんだ。
王妃には悪いが、里の国は、あの子を待っているの」
お茶は、芳醇で口当たりがよく、私は緊張もあって、くいくい呑んでおりました。
「ビアンカ」
「…はい、王太后陛下」
「デボラでよいわ……
貴女で良かった。
部屋に入った時、直ぐに解ったわ。
あの子は、貴女を信頼しています」
「私の、何が、ミュリ王女の琴線に触れたのかは、存じ上げませんが、懸命にお勤めさせていただきます」
王太后は、目を細めて、
「ええ。ええ。
あの子は、よい変化をするでしょう。
ビアンカ。
それから、もうひとつ、貴女にお願いがあります」
さっ、と侍女が遠のきました。
(本題は、ここからか)
王女の礼くらいで、宮に私なんぞを入れるわけがありません。
ましてや、向かい合って、お茶を飲むなんて。
「貴女、側室になる気はない?」
……へ。
「ミュリが、外つ国を継ぐことが決定した折に、北の国の王子が現れた。
これは、運命だと、守護精霊の導きだと、思うわ。
あの二人は、よく似ている。
そう思わない?」
思いますとも。
だから、苦しいのです。
あんなに似ている二人が惹き合わないはずがありませんもの。
「けれど」
王太后は、カップを置いて、少し伏し目になりました。目の下の窪みが、陛下の老いをあらわにします。
「あの子は、あまりに姉に似ている。見た目は私の方だけれど、中身が。
……もし、守護精霊があの子を見初めたら、血を継ぐことが難しくなる」
王女が処女女王となる……。
「王子は、遠い血縁だから、王子の子が後継となっても」
「お待ちください」
私は不敬にも、王太后の言葉を遮りました。
「私に、イングヴァルドの側室になって、外つ国の王子王女を産めと、仰るのですか?」
王太后は、私を咎めず、
ふん、と顎をあげ、
「そなたは、王子の想い人なのだろう?良い話ではない?」
はあ?
「ミュリが王国を継ぐ。
姉と同様の力をもつあの子は、国民から受け入れられるだろう。
たとえ守護精霊と婚姻を強いられても、現世の夫は、側室と子を成せばいい。
王家は、安泰だし、
そなたは幸福と栄誉を手に入れられる」
……この時、私の髪は、逆立っていたのではないかと思います。
「……そのお話のどこに、幸せがあるのですか」
私の拳は、白く白くなっていました。
「ミュリ王女の女性としての幸福は、どこにあるのです!
そして、私も、夫となる人を誰とも共有できないことは、陛下もご存知ではありませんか!」
でなきゃ、エイブを切り捨てるはずが無いでしょう?
何のために、出戻りになったと思ってんだ!
黙って私の言葉を聞いていた王太后は、
「……不敬は、許しましょう。
ビアンカ。
私は、歳を重ねて、これでも気が長くなった。
そなたは、外つ国に血を残すに相応しいと、私が思っていることは、心に置きなさい」
そう仰ると、陛下は席を立ちました。
ぞくっと寒気が走る私は、テラスの席から動けずに、礼を欠きました。
でも、王太后は、振り向きもせず、行ってしまわれました。
ひい。
王太后、怒らせちゃったかなー。
(でも、言っていいことと悪いことが、ある!)
王女の人格も、王子の人格も、王太后はうっちゃって、お家存亡最優先で考えてらっしゃる。
王家って、そういうもんだと思えば、そうなんだけど。それが王家に生まれた運命みたいなものなのだけど。
ジェイ王のお子様も、1番目の姫は中つ国に、2番目の姫は帝国の後宮に、入内されてる。
帝国に留学している第一王子が、お父上の生誕祭に戻らなかったのは、姉が今、出産間近だから。帝国に二人の人質を取られているエラントとしては、姉君が男子を産んでくれることを願うのみ。
第二王子は、王妃の里の公爵家を継ぐことが決まっている。そして、
(ミュリ王女)
私は、手首の華奢な鎖を指でなぞりました。
馬車寄せが東宮なので、私は翡翠宮から王宮へ、とぼとぼと戻りました。
ただ、ただ、
悲しくて
侘しくて
切なくて……
そうやって、ぼんやりしていた私の視界に、紅い物が。
パシ、と、手のひらで受けて、辛うじて頬に当たるのを避けた私は
「イングヴァルド!」
と、頭上に怒りを投げかけました。