5 地味女の反省会
「おはよう……ビアンカ」
ナイトキャップと鼻眼鏡(かけて寝ました)のおかげで、地味女のまま、お目覚めの挨拶を受けることができました。
ベッドで起き上がっている私に、横たわったまま、エイブ様は、上目遣いで微笑みます。
ドキドキ。
「……素晴らしい」
「え……」
エイブ様は、つい、と、私の喉元から胸元まで、人差し指でなぞります。
ひゃ……あ……ん
「私の奥様は、こんな素晴らしい身体を持っているのだね……
夜は気づかなかったよ……」
まっ。
明るい中で、そんな事仰っては、私の羞恥が隠しようもありません。
モジモジする私に、エイブ様は、頬にキスを落としました。
「さ、目覚めのお茶は、私が用意しようね、若奥様」
そう言って、エイブ様は、ベッドから軽やかに降りて、呼び鈴を鳴らしました。
あ、あらっ?
あらあらあら?
私、はしたないですか?
今、朝ですが、初夜のやり直しをなさるのだと、てっきり……
(……これって、娼婦の、発想?)
私は、真っ赤になった顔の火照りを隠しつつ、夜着の上に、ショールを羽織り、胸元をギュッと絞りました。
その後のエイブ様は、完璧な夫の行動でした。
目覚めの紅茶を入れて、私に手渡して下さり、
幾度も、頬にキスを落とし、
(額はもっさり前髪に隠れてましたからね)
何故か、身体を気遣い、
下女や女中に、
(奥様の負担にならないよう)
と、念をおし、
そして
「では、朝食で」
と、ほけーっとしている私を置いて、着替えに、と、繋がっている私室へと消えたのです。
「……」
私は、とんでもない馬鹿か、初夜疲れのお花畑女に、見えたのでしょう。エマが、さっさか登場し、
(首尾は?)
と、囁きますので、
(額と頬に
キス、
だけ)
と、応えて、私は涙ぐみました。
情けない。
慌てたエマは、
「奥様をお部屋に。
今朝の着替えは、出してあるわ。
旦那様のお越しの前に、食堂にお連れして!」
と、指示を出し、私たちの寝台から、シーツを剥がし、テキパキ持ち去りました。
あ。
初夜の印の有無を隠してくれたのか……。
そうよね。
あれほど甘やかす、エイブ様の様子をみれば、家人は皆、
甘〜い夜☆
があったと確信しているでしょう。
なのに、印が無ければ、
私は、そういう事を経験済みの傷物令嬢だったと、そういうレッテルがつくでしょう。
エマ。
ありがとう。
私は、試験で落第点をとった気分で、デイドレスに着替え、髪を梳き、グラデーションの紫が出ないようにカッチリお団子頭にひっつめました。
そして、もっさり前髪を下ろして、地味女の出来上がり。
朝食をエイブ様と共にとり、
新婚早々、なのに、出仕なさるのを送り出し……
「はい、ビアンカ様、〈打ち合わせ〉をいたしましょう!」
という、般若のようなエマの一言で、再び『奥様励まし隊』が集まりました。
議題『旦那様は、何故、初夜に、いたさなかったか』
なんて恥ずかしい。
公開処刑ではありませんか!
「寝室は完璧でした」
女中頭は、憤然とした表情で告げました。
「寝室の香、窓辺の花、ランプの色。清潔なシーツ。
清楚な奥様に合わせて、慎ましいけれど、ムーディな誂えといたしました」
「胸を張って、奥様のご準備も、完璧だったと申しますわ」
プンスカした奥付きの女中が訴えます。
「あの色香に転ばない男は、主といえど、軽蔑します!」
下女は、声を張りながら泣いています。
お前、分かったけど、それ、公爵家が聞いたら、クビですわよ。
「旦那様は、お疲れだった……と言う事でしょうか」
「その割に、朝は奥様のしどけない姿にデレデレでしたよ?」
「その気は、あった、と。
でも……その……不出来だった、とか?」
「殿方は、そういう日もございましよう」
女中頭は、そう言って、
「奥様。
何でしたら、今夜は、自ら押し倒されても、よろしいかと」
「お、おした……」
私は、むっつり表情の変わらない女中頭に、しどもどしました。
「そうです!
奥様の完璧なお身体で迫られるのが一番です!」
「朝のあの、もの欲しげな旦那様!
奥様、今晩は、違うお色の夜着を整えますので!」
旦那様の侍女も、奥の侍女も、声高に訴えて来ます。
公爵家のおんなは、肉食です……
いえ、これが普通なのでしょうか?
兄ばかりで、女の居ない侯爵家で、無菌状態だった私が、奥手過ぎるのでしょうか。
「まあ、ねんねのビアンカ様でも、抱きつくくらいは、出来るでしょう。
エイブラハム様が、男色でも、不能でも無いのであれば、ビアンカ様、
今晩は、お気張り致しましょう!」
という、エマの言葉で、〈励ましの隊〉は、
承知!
と、結束いたしました。
……何の、承知なのでしょう。
なんとでも、して下さいませ……
私は日中、公爵家の経理を知ろうと、エイブ様の執事、タウンゼントと、書斎にこもりました。
兄様達から、さんざん公爵家の財政状態の噂を吹き込まれたのですから。
今後、旦那様の為に、奥の財布を切り盛りしなくてはならないのですから。
数字を見ないことには、判断できませんもの。
けれど、
一、二冊帳簿を見ただけで、私はため息をつきました。
「タウンゼント……。
どうやら、公爵家の方々は、収支が何たるか、ご理解されてないようね」
執事は、帳簿を見ながら、質問をする私に、タダの地味女ではないようだ、と感じ取っていたようです。
白髪が、ちらちらと見える豊かな金髪の、几帳面そうな彼は、
「……仰る通りでございましょう。
私を含め、お仕えする者は、腐心しているのですが。
公爵夫人に逆らうことは難く」
……なるほど。
あの陽気そうな夫人が、浪費家なのね。
それにしても、支出が大きい。
一体……
「私は、実家で、奥の切り盛りを手伝っておりましたし、経営も叩き込まれています。
もう少し、領地の方も見せて頂いて、共に対策を考えましょう。
今まで、お疲れ様。
貴方だけに、苦労はさせなくてよ」
そう、私が言うと、執事は、
「……ビアンカ様。
貴女のような、才気ある淑女をエイブ様が見出すなど、奇跡のようです……有難い事です」
彼の苦労を公爵家で理解する方は、いなかったのでしょう。
感謝の言葉を重ね、胸に手を当てて礼をしている彼に、私は、ねぎらいの言葉を伝えておりました。
そんな、しんみりとした書斎に、
パタパタパタ、というせわしない足音が重なって近づいてきて、
ノックと同時に、女中頭を先頭に、励まし隊が入ってきました。
(タウンゼント
奥様は、湯浴みの時間です!)
(タウンゼント様!
その後、マッサージを致しますので!
お仕事は、ここまでです)
(タウンゼント。
二階の奥様の部屋には、私たちが良いという者以外、入れてはなりません!
貴方もです!
たとえ、閣下でも、大奥様でも!)
と、迫力ある〈励まし隊〉の押しに、固まっているタウンゼントをしりめに、私は、あれよあれよと拉致され、二階に連れ去られました。
磨いて
磨いて
磨いて!
今宵の私は、
深い襟ぐりの、紫のレースです♡
ですが、その夜、
エイブ様は、お帰りになりませんでした。
『仕事が詰んでいる。
宮廷に泊まる。
愛しているよ』
そう一言だけのお手紙が届いて。
タウンゼントには、
『ビアンカを頼む
彼女が安らいで過ごせるように』
との、優しいはからいがあったようですが……。
次の日の朝も、昼も、そして、
その夜も、
エイブ様は、お戻りになりませんでした。
そんなこんなで、私はまだ!乙女のまんま、
結婚式から、一週間を数えてしまいました……。




