41 地味女 投げる
別邸に帰ると、イライザはおうちに送還されていました。
アルが、イーヴォの言伝を見て、
即、山ほどの宿題を出して、
動いたようです。
エイブの早い帰宅に、タウンゼントは訝しがりましたが、顔には出さず。
私は疲労困憊しているし。
エマは、負のオーラを出しまくっているし。
女中頭が気を回して、やれお茶だ、やれケーキだ、と、励まし隊による、甘やかしが始まりました。
途中、タウンゼントが
「旦那様が、急に、我が家の財政状況を、と、仰るのですが……
ビアンカ様の持ち出しの件、
お伝えしても、宜しいでしょうか」
と、打診に来ました。
いーんでない?
私の言葉が本当かどうか、気になったんだろーし
さて。
このまま、離婚
て、訳には行かないし、
だからって再構築って段階でもない。
私は、突撃した時より、残忍になっていました。
(あの女、とっことん地獄に突き落としてやるわ!
正当な理屈でね!)
そう、思い出すとイライラするのに、あの金髪が脳裏から離れないのは、やはり、新婚旅行と初夜の件があるからでしょう
……か?
いいえ
さらっと言ったけど、
私の月の障りの時に、しゃーしゃーと金髪に会っていたって事実の方が、私には痛手でした。
(エイブが考えたのよね!
アレが出来ないなら、あっちであれしよーっとって)
障りのある私と、ゆっくり夜を過ごそうとか、
優しくしようとか、
考えもしなかったのよね。
結局、あの男、
私が奉仕したり支えたりすることに、
胡座をかいて、
自分は夫で、嫡男で、
一家を構えた男として、
妻を養い自立する、という、
当たり前の事から、目を背けているんだわ。
何だか、金髪女より、夫の事を考えると、ムカムカしてきました。
頑張って、財政状況、調べるがいいわ!
ついでに公爵家嫡男としてのお付き合いが、どれほどの事か、
そして、どれ程手間とお金が、必要なのか知ればいい。
「奥様に、新しいお茶を!」
「マカロンとフルーツお持ちしました!」
いらいらいら、と
甘いものをむさぼり、お茶を飲む私に、励まし隊は、せっせと働きます。
そんなこんなで、満腹の私は、案の定、晩餐など口に出来るはずもありませんでした。
「……ごめんなさい。
私の分は、明日の昼間にリメイクして……。
旦那様には、お独りでどーぞって伝えて」
胸焼けを抱えて、私は自室に。
そこへ、エイブが飛び込んで来ました。
「ビアンカ!
すまない、悪かった!
全て私が悪いんだ……
許してくれなんて、二度と言わない
許されるはずが無い!
でも、
でも、
お願いだから、出ていかないで!」
おやおや。
家人がいる前で、床に這いつくばるんですね。
すすすー
と、励まし隊が退いて、
パタンと、扉が閉まりました。
気まずい二人の世界です。
「……」
私は、胸焼けが、更に悪くなってきました。
「タウンゼントから聞いた!
なんて事だ……私は、のぼせ上がっていたんだ。
結婚して、居を構えて、
周りの人々は、別邸や君を賞賛するし、
ひと角の人間になったつもりで……
申し訳なかった!」
むかむかむか。
ええ、そうよ貴方なんて何もなあんにもしてこなかったのよおかげで私は貴方の新婚旅行中に結婚の御礼や家計や修繕や人の配置やその他もらろもろのことを全て1人で采配したのよ貴方が帰ってきてからも貴方の手を煩わせずに私が別邸を取り仕切って姑や小姑のイビリにも立ち向かい本家ではこまネズミのように働き帰ってきた貴方をいたわり……
全部私が頑張ったのよ!
「ねえ」
私は、自分でも驚くくらい冷たい声で、尋ねました。
「……一つだけ、お尋ねがあります」
「何なりと!」
やっと私が口をきいたので、エイブは、嬉しそう。
「……貴方、私の額にも頬にも、……身体の隅々にも、
口付けて下さるけど、
何故、
唇には、下さらないの?」
エイブは、笑顔から、さあっと表情を無くしました。
「……」
「お応えになれないの?」
「……愚かだったんだ」
「だった?
過去形?
それとも」
それとも、今も?
沈黙の後、
エイブの口が、開きました。
「……ごめん」
エイブは、俯きかげんに、何かを堪える表情でした。
その姿を見た途端、
私は吐き気を催しました。
「…う」
「ビアンカっ」
「来ないで!」
私は、狂ったように、近くのもの全てを夫に投げつけました。
避けるのに必死な夫は、それでも、
ごめん、ごめん、と言っています。
その言葉にまた、私は逆上し、投げる投げる。
ガチャーン!
何か割れたようですが、
構うもんか!
夫の存在自体が、許せない
同じ空気を吸うのも、許せない!
私の叫びに、エマが反応しました。
部屋に飛び込んできて、私を抱えて、
「旦那様!向こうに!
奥様、しっかりして!」
エマは、レストルームへ私を引っ張って、タライを用意してくれました。
一気に、吐き気と寒気が押し寄せて……
涙とヨダレと吐瀉物で、私はボロボロになりながら、吐いても吐いても治まらない吐き気に、内臓がひっくり返ったかのような苦痛を味わいました。
「誰か、医者を!
旦那様、あっちへ行って下さいってば!」
エマは、取り乱してエイブに叫びました。本当は、
(おまえ、出てけってったろーが!
しばいたろか、あ?)
とでも、言いたかったでしょうね、躾のいい侍女です。
私は、タオルを咥えながら、うぐうぐえずき、涙を流しました。
矢張り
矢張り
唇は、フローラのもの。
最大の屈辱を彼女の前で開示されなくて、良かった。
あんな夫に、くれてやるもんか!
私のファーストキスを
あんな男に、捧げてなんか!
「ぐっ」
「ビアンカ様、もうすぐお医者が来ますから。
吐くだけ吐いたのです。
気持ちを確かにしましょう。
あんな奴ら、
社会的に抹殺するんですよね。
貴女は強いはずです。
堪えて、堪えて……」
私は嗚咽を隠そうともせず、泣いていました。
エマは、ギリギリと歯噛みしながら、一緒に泣いてくれていました。
私の中の、エイブは、粉々に砕け、
同じ屋根の下にいる男は、
別の生き物のように思えました。
フローラ。
アンタの勝ち。
一勝一敗ね。
でも、蜘蛛の糸のように、絡めた私の計画は、必ず、アンタを堕とすから。
そして、エイブ……
人の人生を弄んだ対価は、
きっちり払っていただきますわ。