33 地味女 仮面パーティーに行く
「貴方。お願いがありますの」
夜、帰宅した夫に、私は、おずおずと、切り出します。
「なんだい?珍しいね、君のお願いなんて」
妹の一件で、エイブは上機嫌です。
「あの、週末の夜、実家に行きたいの。
少し、父に甘えてきても、いいかしら……
昼は、イライザさんが、居ますし、お義母様は、私が実家に帰るのは、いい気持ちなさらないと、思うの」
しおらしく言うと、エイブは、
「勿論だよ!
君が妹に、良くしてくれているのに
行っておいで」
「でも、貴方がお帰りになっても、お出迎えもお務めも、できないわ」
「そんなことか」
エイブは、つい、と目を斜め上に動かし、直ぐに戻し、
「……私も同僚と呑んでこようかな」
と言うので、
「そうして頂ける?
ごめんなさい」
「いいよいいよ」
よし。
週末の夜はおっけー。
エイブはきっと、私の留守に、例の旅館でフローラと逢うつもりなんでしょうが、
残念。
フローラは、仮面パーティーですよー。
さて。
仮面パーティーの準備しますか!
昼間は、イライザとアルの、二人の世界が、繰り広げられているので、その間に、二階の私室で、いそいそお支度です。
「ぐ、ぐ、ぐうううう!」
「これしきで情けない。
ほらっ、揉みますよ!せいっ!」
励まし隊が、今回は、
〖エマ磨き隊〗になってます。
私と同伴で、パーティーですからね。
淑女のドレスを着こなして貰わなきゃ!
元々エマは、顔立ちが良いですからね、磨き隊も、磨きがいがあるでしょう。
あとは、イーヴォだけど、あれはどうにでもなるでしょう。なんたって諜報のプロ。カメレオンですからね。
私は、髪色が全て紫のカツラを調達しました。
仮面をつけると、地味女のパーツが出ちゃって、身バレしないとも限りません。
ドレスは、外つ国風にしましょう♡
そんなこんなで、早くも前日となりました。
「やっぱり、同僚と呑むことにしたよ。明日は、紳士倶楽部に直行するね」
なるほど、フローラに蹴られましたね。場所をハッキリ言うのだから、本当なのでしょう。
「ね、貴方」
私は、ソファにゆったりしているエイブの横に座りました。
「貴方に、差し上げたいものがあるの」
私は、布製の箱を手のひらに乗せて、差し出しました。
「……これは?」
「開けてご覧になって」
エイブが箱を開きます。
中は、あの時計です。
青いカメオの懐中時計。
「……なんと美しい……。
ああ、時計も凝った文字盤で
鎖は、金メッキだね」
エイブは、懐中時計を開いたり閉じたりしています。
「裏も、ご覧になって」
私は、そっと時計を裏返しました。
〈Aに捧ぐ B
共に刻む時を〉
と、彫り込んであります。
「……ビアンカ」
感極まったエイブが、私をそっと抱きます。
「……病のせいで、貴方に我慢を強いているのですもの。
お詫びと感謝を形にしたかったの」
「詫びなんて!
一瞬でも、初恋に、心揺らいだ私を許してくれた君に、何の不足があるものか!」
ひし!
という擬音が出るくらい、エイブは私を強く抱きしめました。
そして、エイブは目を閉じて、私の顔に近づき、顎をとり、
これは?
ファーストキス?
と、
思いましたが、
やはり夫は、私の頬に口づけただけでした。
『まだ、幻想に生きてやがる』
けっ、と、心で毒づきながら、私は、そっと離れました。
「……私も、こちらを身につけることにしましたの」
そう言って、私は、自分の懐中時計を取り出しました。
「なるほど、色違いか。
刻印は?」
「〖Aへの記念に B
時が二人を分かつまで〗ですわ」
私は自分の時計をエイブの手の時計に近づけました。
あ
温かい。
『夫は喜んでいる』
王子が命じた通り、私は水晶を回しました。勿論、エイブのも。
成程。これが、繋がると言う事ね。
私の星は、青を察知できる位置にあります。
エイブの星は、発信のみ。
水晶は、星の位置によって、発信か受信か、その両方か、を選べました。
つかの間垣間見た王子の時計は、より複雑な星の位置が記されていましたから、マスターはレプリカが起動さえすれば、察知できるのでしょう。私のには、黒との往信が記されておりません。
ともかく、これで、エイブがどこにいるか、感知できるようになりました。
仕事なのか
浮気現場か
私は分かるのですよ、あなた。
後で、その距離を調整しておこう。
エイブがいそいそと、時計を胸元に忍ばせるのを確認して、私は思いました。
多分エイブの時計の星の位置が、受信であれば、
彼の時計は告げたでしょう。
冷たい私の心を。
「まあまあ、よく来てくださったわ!」
とある郊外の館に到着し、吹き抜けの玄関ホールで、私たちを出迎えたのは、仮面を付けたフローラ。
私はベールが付いたヘッドリストと外つ国のドレスにしました。
エマは、胸下で切り替えたシンプルかつ上等なドレスです。
帝国で流行りだしたスタイルで、クリノリンもコルセットも付けない清楚なドレスです。締め付けを〖磨き隊〗は、諦めた様子です。
でも、どこに出しても恥ずかしくない麗人となりました。
ううむ。別邸で、みんなとファッションショーも、楽しそうですね。
イーヴォのエスコートで入った私たちは、フローラから仮面を手渡されました。
「うふふ。
今宵は、名前も家も、ございませんわ。
男と女に戻って、一夜の夢をお楽しみになってね」
イーヴォとエマは、目を隠すマスク、私はバタフライの形で、ほぼ口元しか分からないマスクを選びました。
大広間に誘われ、扉が開くと、
中の人々の、一斉の視線を感じました。
瞬時に値踏みされている。
私は、その遠慮のない視線に、おぞましさを感じましたが、強い気持ちで、足を進めました。
『お飲み物を』
『では、シャルドネを』
私はカーテンが閉じられた窓の近くに陣取ることにしました。
エマは、少し私から離れた位置にイーヴォと居ます。
彼らの身体には、短剣や短銃が忍んでいるはずです。
私の位置からは、大広間の様子が、よく分かりました。
輝くシャンデリアのもとで、踊る男女
オーケストラボックスからの音楽
フロアに立つ男女
それらは、私が経験する夜会と、何ら変わりのない風景です。
けれど、
シャンデリアから一歩外れると、壁際や椅子が誂えられたテラス、そしてカウンターなどは、ほの暗い淫靡な雰囲気を感じます。
この後の、男女を思わせるような空間。
あの若い娘は、あの紳士にぞっこん。
あちらの男たちは、緑のドレスの女性を口説いている。
私はシャルドネを舐めながら、獲物を待ちました。
程なく
『失礼。外つ国の方では?』
と、声がかかりました。
『……そうです』
『やはり。そのお召し物で、そうではないかと』
ちっ。外つ国語を解する紳士がいたとは、計算外でしたわね。
紳士は、その雰囲気から、青年と判じられました。ブラウンの髪色、仮面の奥の瞳は青。
『ここが、どんな所か、ご存知かい?』
『……エスコートのいらない夜会と』
はっ、と、男は軽く笑って、
「金髪マダムだね。
まったく、あの人にかかると、こんな清楚な美女まで、引き込むのだから」
と、言いました。
エラント語だったので、私は分からないフリ。
「こんな上物、蹂躙されるのは、勿体ないよね」
おや、上品と思ったのは、気のせいでしたか。
『お嬢さん』
『はい』
『悪いことは言わない。
今宵は、私から離れないことだ。
カーテンの裏、テラスの隅、扉の近く……そんな所には近づかないこと』
男は、何故か、私に忠告します。
『それから、仮面の人間から、飲み物を貰わないこと。
何が仕込まれているか、分からないぞ』
おお、これは、この男、本気で諭しているようです。
『女でも男でもだ。
……特に、金色のマダムには
注意しろ』
どうやら、私は、運が強いようです。
この男は、情報の宝庫であり、
何故か私を守るつもりのようでした。
そして、私は、この男の好ましい声に、覚えがあるのでした。