26 地味女 王子と踊る
夜会も最高潮。
両陛下のファーストダンスに、皆で見惚れて、さあ次はフロアに。と、皆さん準備しておりました。
エイブ?
エイブ?
困りましたねえ、どこいっちゃったんでしょう。
「ん?息子は何処だ?
ビアンカさん。私と踊るかい?」
嫌ですわ、クソジジイ。
「お義母様の素敵なステップが見たいですわ〜。そのドレスが翻ると、目立つでしょうねーお義母様っ」
「まあ、そう?そうね、
じゃ、行きましょうか、アナタ」
「ん、あ、あー」
行け、クソジジイ。
しかし、困りましたね。
パートナーと踊らないと、本物の壁の花ですよ。
軽快なワルツが始まっちゃったじゃないですか。
『ビアンカ。1人か』
目で夫を探していると、頭の上から、声が落ちてきました。
北の言葉。
イングヴァルド王子。
『夫が迷子ですの』
『少し、やつれた』
『……』
『林檎は食べたか』
そうでした。私は先に、御礼を言うべきでした。
『先日は、ありがとうございました』
『食べたか』
『はい。蜜が入っていて、とても美味しく頂きました』
イングヴァルドは、にっ、と笑って、銀の瞳を細くしました。
『それは良かった。
なら、踊るぞ』
へ?
『私は人妻です』
『知っている』
『夫を待っているのです』
『先程、聞いた』
長身の王子が、私の前に立つと、ホールが見えないんだけど!
エイブ、エイブっ、
戻ってこーい
『パートナーと先に踊ってきて下さい』
『私にパートナーは、居ない。
私は独身だし、異国の人間だからな』
『私は、人妻で、エラントの人間です』
初めは夫か身内と、と、決まっているの!
そうこうしているうちに、ワルツが終わりました。あーあ。
恨みがましく、王子を見上げました。今日の王子は、黒髪を朱色の紐で緩く結び、淡いブルーの光沢のある衣装です。
その横顔は、彫りが深く、まあ、
美男子
ですね。
『ビアンカ』
『何でございましょう』
『お前の夫は、ブラウンのくせ毛か?紺色の服か?』
『……そうですけど』
何なのでしょう。
ふわ、と、青い香りがしました。王子が腕を上げ、低く指を立てて、バルコニーの方向を指したのです。
『あれがそうか?
金髪とピンクの、オペラの女といる男が』
は?
分厚い硝子扉が並ぶ合間に、バルコニーが点在しています。
そのバルコニーの一つの扉が空いていて……
何を考えているんだエイブ!
どうして堂々と、浮気女と居るんだ?
『夫は人妻といる。
だったら、私とお前が踊っても、文句はないだろう』
二人は、社交辞令以上の距離で、そのままバルコニーの闇に溶けて行きます。
おい。
こんな公的な場所で。
舐めとんのか、お前っ
フローラ、お前のダンナはどうした?よっしゃ喧嘩売っとるんだな。
今行くぞ、オラオラオラァ!
『ビアンカ』
再び、王子が前を塞ぎました。
前が、見えません。
見上げると、銀の瞳に、私が居ます。
『涙は人前で見せるな。
勿体ない』
は?
……あ
私、また、泣いて?
『嫉妬は醜い。
けれど、怒るお前も、泣くお前も、心惹かれる。
お前の可愛い唇から、汚い恨み言を出すな
私の名を呼べ』
『……殿下』
『イングヴァルド、だ』
『イングヴァルド殿下』
王子は、すっ、と私の頬をその指で撫でて、そのまま、自分の唇に当てました。
『お前の涙、甘露だ』
私は、ぼっ!と、ゆでダコになりました。涙も怒りも、しあさってに跳びました。
ドキドキドキドキ。
『私と踊れ』
『……』
『踊れないのに、来たのか』
そこまで言われて、引く女では、ありません。
イングヴァルドが私の手を引いて、ホールの中央に誘うと、
ザワザワと人が分かれます。
(あの方は)
(北の王子よ、まあ、素敵)
王子がポジションを取ると、楽団が鳴り始めました。
私とて、淑女の中では、背が低い方ではございません。
長身の王子と向き合うと、大変に目立ちます。
とっても、目立ちます。
(あれは、公爵家の)
(おお、地味だ何だと言われるが、どうだ、あの姿)
(ドレスも色っぽい)
私は、楽しくなってきました。
ダンスは嫌いではありませんし、
王子のリードは、意外にも達者ですし。
時折アドリブで、王子がくるりくるり、と回すと、ホールから、ほおおっ、という感嘆が上がります。
……気持ちいい!
『その笑顔だ』
『はい?』
王子は、にっ、と笑いながら、
『お前は、笑顔が似合う。
私を見つめて踊れ。
他の誰も、見るな』
私は、直球の王子に、胸が高鳴るのを感じました。
不覚。
『私は人妻です』
『お前はビアンカだ』
一言一言が、キュンとクるのは、北の言葉だからかもしれません。
王子の声は甘く、北の言葉は、柔らかい。
いつしかホールは、私と殿下の独壇場と、なっていました。
縦横無尽に、踊る私たちを
沢山の目が見つめています。
痺れるような快感を覚えて、私は踊りました。
曲が終わった時、王子に合図を送られて、はっ、と、私は彼の手を離し、
深い礼を致しました。
と、
どっ!と賞賛の声と拍手が起きました。
ふう、息が切れます。
(殿下、こちらに)
さっ、と近づいた侍従が、王子を導こうとしましたので、私は元の場所に戻ろうとすると、
『ビアンカ、一緒に。
陛下が呼んでいる』
へ?
『国王陛下が?』
ちょっと待てぃ。
夫がまだ爵位もなく、ペーペーの宮務官僚なのに、陛下の御前になんて!
『王妃殿下も、お呼びだ』
えええええ!
「やあ、デュラックの秘蔵の姫だね。今は、公爵家の賢妻か」
「国王陛下におかれましては、本日の良き日をお迎えなさったこと、心よりお慶び申し上げます」
うぉ。本物の国王陛下だわ。
『イングヴァルド王子のダンス、目の保養となりましたわ』
『ロゼッタとも、踊れる』
王子。
王妃殿下を呼び捨て……
「こらこら。
私がポンコツでも、語学は妃より良かったんだ。夫の前で口説くな」
……陛下って、わりとフランクな方なのですね。人懐っこい笑顔が、可愛いって、思えてしまいます。
片やロゼッタ王妃は、流石というか。品格も知性も、国母!って、感じです。
『この間まで、私の理想の女は、ロゼッタだったからな』
……ひい。王子。
王妃殿下に、なんて事を
「この男は……
過去形と言うことは、私の妃を諦めてくれたのだな?」
『今は、ビアンカ』
……は?
『ビアンカがいい』
私は、礼をしたまま、真っ赤になっておりました。
「どちらも、人妻じゃないか〜。
イングヴァルド、諦めろ」
『……』
イングヴァルド王子は、ふん、とそっぽ……を向かず、私をじっと見つめました。
王妃殿下が扇を外して、くすくす笑いながら、
「ロックフォードの若夫人。ごめんなさいね。夫と王子は、会えばこうなの。
巻き込まれて、困惑されたでしょ?
……私から、公爵夫妻には、含んでおくから、王子の無礼は、許してあげてね」
王妃殿下は、優しくそうおっしゃいました。王妃とて、かつては嫁でしたからね。その辺の事は、理解して下さった様子です。
私は謝意を告げて、御前を退きました。
(ロックフォードの若夫人は、北の王子だけでなく、国王夫妻とも繋がった)
夜会の方がたには、玉座の陛下とのやり取りは、勿論聞こえてはいませんが、親しげに語らっている空気は、伝わったようでした。
社交界は、その夜から、そういう認識となりました。
国王陛下のおかげで、王子の振る舞いは、私との不貞とはならなかったのです。
不貞といえば、
あのアホ夫は、何処でしょう?
と、おもったら、
ひょこひょこバルコニーから出て来るではありませんか。
「どうして王子と踊ったの?
何を話したの?
陛下は、何と?」
この男、バルコニーから内部を見ていた訳ですね。
あの女と。
チヤホヤするエイブの肩越しに、バルコニーの方を見ると、
目が合いました。
碧い瞳と金の眉が逆立って、睨んできます。
フローラです。
エイブを独占して、私を憐れむつもりだったのでしょう。
先程の恥を巻き返すつもりだったのでしょう。
ところが、地味女は王子と衆目の中、踊り、国王夫妻に呼ばれて、名を上げてしまって。
フローラからは、ギリ、という歯噛みの音が聞こえそうです。
私は、何だか、可笑しくなって、
「ごめんなさいね。国賓の我儘だったの……踊ります?
ア ナ タ」
私が身体を寄せると、夫の目じりが、でれ、としました。
こいつ、ちょろい。
でも、
フローラへのざまぁには、ピッタリですね。
私はエイブの腕に手を絡め、
しっかりちゃっかり、
フローラへ
ふふーん♪
と、流し目送っておきました。
可愛い顔が、台無しですよ、フローラ!