17 地味女 開き直る
べそべそと、淑女が泣いて帰宅したので、別邸は大騒ぎとなりました。
すわ奥様に狼藉ありか!と、従者は責められ、
エマは、火消しに必死。
「ビアンカ様っ!ひょっとして、街で大奥様に会ったのですかっ!」
「蒸しタオルとお着替え、準備しましたっ」
大丈夫ですか大丈夫ですか
おいたわしい奥様
申し訳ありません。
指示を出すべき女主人が、絶賛ポンコツ中で。
本家に何ら瑕疵はございません。
お義母様。日頃の行いのせいです、恨まないで下さいまし。
「ビアンカ!
しっかりしなさい!
皆を動揺させてどうしますかっ!」
ついにキレたエマが、一喝。
「茶会の貴女は、何処に行ったんです?
ビアンカ様の強みは、
周到な計画と、
遂行の為の努力。
諦めないしつこさと、
たくましさ。
腹黒さと、
素直さ。
あのご実家で、お父様お兄様と渡り合ってきた、あざとさ。
これしきの事で、凹んでどうします」
エマ。
褒めてません。
「……貴女の初恋への執念は、エマも承知しています。
だからこそ、本来の貴女に戻って下さいまし。
現実逃避しても、なにも成果はありませんよ」
初恋。
そうでした。
私はエイブに恋をして、その後4年間、密かな思いを抱いたままでした。それが、思いもかけず求婚されて、ろくに恋愛の筋道も辿らずに、結婚したのです。
どうしてこんなに、ダメージを受けたかと、自分でも不思議でしたが、
エマの言葉で、ぱあっと開けました。
私、エイブと、恋愛していないのです。
街でデートしたり、
愛の言葉を交わしたり、
密かな文のやり取りをしたり……
(愛してる)
と、言い合ったり……。
すうっ、と、頭が冷えてきました。
そうです。
私たちは、愛を交わしたでしょうか。
手を繋いだり、そっと抱き合ったり、
身体を繋ぐプロセス以外で、そのようなときめきがあったでしょうか。
(……あ!あぁっ!)
私が目を見開いて、ピクっとした様子に、励まし隊が、びくっとしました。
冷たい、黒い何かが、私を包み、私はすうっと、血の気が引くのを感じました。
「……奥様?」
「皆さん。ありがとう。
私を案じてくれる皆さんのお気持ち、このビアンカ、感謝します」
私は表情の無いまま、礼をとりました。
そんな!
という皆を制して、
「……今日は、私の休日であり、皆さんの休日のはずです。
お気遣いなく過ごして。
さ、タウンゼント。解散させて」
後ろ髪引かれるように、皆が退散しました。エマを残して。
「……ビアンカ様。
過ぎたことを申しました」
エマは、深い礼をとって、動かずにいます。
「いいの。エマ、いつもありがとう」
私は、ニコッと笑って、エマの手をとり、立ち上がらせました。
「貴女の言葉で、目が覚めたわ
……でも、今だけは」
「ビアンカ様?」
私はエマの肩に顔をうずめて、
「今だけ……最後にするから、
泣かせて頂戴
……エマ……エイブは、
エイブは……」
「……」
エマは、きゅっ、と私を抱きました。
私はさっきより大きな嗚咽をとめられませんでした。
「……エイブ、っは……ひっく、
私に……ひくっ」
「……ビアンカ……」
「エマ!
エイブは、私と、キスしてないのっ!」
「……え…ビアンカ様?」
黒い何かは喉を塞ぎ、私は嗚咽と言葉を吐き出すのに、息を忘れたほどでした。
「あの人、あ、の人!
私の身体の全てに口づけるのに、
唇を許しては、ないのっ!
唇は……
わああぁっ!」
エマは、強く強く、私を抱いてくれました。
翌朝。
「ビアンカ様、今朝はどちらでお食事なさいますか?」
……私がどーであろーと、
太陽はのぼり、朝がくるんですね。
そして、そんな空気を気持ちがいいと、思える自分のタフさに、感心します。
「お日様が気持ちいいから、コンサバトリーにするわ」
私はサバサバと答え、お着替えをしました。
いつもの朝
いつものルーティン。
エマは、泣き疲れて眠るまで、一緒にいてくれました。
目はパンパンですけど、どうせ前髪と眼鏡ですからね。平気平気。
それより、
女中頭が、代表で、皆の振る舞いを詫びに来て、
その女中頭の言葉から、
どうして、励まし隊が初日から結成されたのか、合点がいきました。
『あの大奥様の事ですから!
ビアンカ様を逆恨みして、何をするか分からないと、常日頃私たちは!
私たちの恨みをサットンも承知のことですし!
ですから、余計、ビアンカ様にお辛くあたっているのでは、と……』
そーなのね。
この別邸に集められた女衆は、私たちの結婚にあたって、本家から〈流された〉人だったそうです。
流された、とは、お義母様や鬼軍曹サットン夫人に睨まれたり、仲の良くない人が本家から追い出されたという人事で。
だから、女中頭や侍女は、
お義母様憎し
→若奥様おいたわし
→若奥様には秘密が
→若奥様を守れ!
というプロセスがあったそうで、
今や、
エイブ<ビアンカ
という図式が出来ているのだそうで。
そんな励ましもあって、お日様の光にあたったら、何だか馬鹿馬鹿しくなっちゃって、
すっかり復活しました。
「ビアンカ様、本日のご予定を」
タウンゼントが手帳を読み上げます。
ふうむ。
午後は、サウザンド様の茶会ね。
夜は、アレックス兄様とオペラ。
「予定通り、行くわ。
……ねえ、タウンゼント」
「はい」
「貴方、もし、私とエイブが不仲になったら、どうします?」
タウンゼントは、一瞬、目をみはりましたが、すぐに表情を戻して、
「私は、ロックフォードの執事です」
と、いつもの角度で言いました。
そうよね。
別邸には、エイブの為に来たのですものね。
「ですから、ロックフォードにとっての利益を優先いたします。
結婚初日から、お家の経理を把握なさろうとする奥様なぞ、
私も叔父も、耳にもしたことが、ございません」
あら、大タウンゼントに、話したの。
「貴女は、女主人に相応しい方と、
尊敬申し上げております。
よって、ロックフォードの未来は、ビアンカ様、貴女にかかっていると、私は判断しております。
貴女様が、この公爵家を護り、
公爵夫人として安寧を望むのであれば、私は、全力で
ビアンカ様をお支えします。
どうか、その旨ご理解されて、私をお使い下さい」
流石。駆け引きしたわね。
名門公爵家の緩やかな窮乏を塞き止めるのは、私だ、と。
だから、私が公爵家を守るなら、タウンゼント家は私に仕えると。
「……心強いわ。ありがとう」
私は、承知、の返事を込めました。
「情報収集で、ございますね」
「……」
「旦那様について、で、ございますね」
タウンゼント。流石切れ者。
「旦那様の信頼を裏切る訳にはまいりませんが、ビアンカ様の利益となると判断した場合のみ、お伝えしましょう」
「いいの?」
「先程申し上げた通り、
私の主は、ロックフォード家そのものです。
お家存続のためなら、叔父も分かってくれると思います」
「分かりました。
私は、自分の幸福を掴みたい。
けれど、今ここにある以上、公爵家存続も大切にしましょう。
約束します」
「ありがとうございます」
ふむ。契約成立。
お父様との賭けに負けた場合、
つまり、エイブが私をお飾りの実用妻にした場合、
父は怒り狂って、ロックフォードをぶっ潰さんと動くでしょうね。
その公爵家を存続させるという条件で、私は動かなくてはならない。と。
でも、これで、励まし隊とタウンゼントは、私の味方。
夫が帰ってくるまで、あと3日。
女スパイさん、このビアンカの執着心を舐めないでね。
私は、女中頭とタウンゼントに、私室に来るよう命じ、夫について、些細な事も聞き取る時間をもちました。
その中に、聞き捨てならない情報が一つ。
夫エイブは、一度婚約し、そして、破棄していた、
と、言う事でした。