プロローグ
プロローグ
令和2年の新型肺炎の流行によって毎日の感染者数と死亡者数が発表されることが日常のニュースとして慣習化されていった日本。
毎日誰かが少しずつ死んでいく現実に慣れはじめてしまい、命の価値が家畜なみになっていった。
感染は収束することが無く、医療崩壊と経済が破綻して国民のほとんどが生活保護状態になり、しかし就業が可能なのでベーシックインカムという一律支給により最低限の生活が保障される社会となった。
就業といってもそれまでの職種ではなく、外国人実習生といわれた出稼ぎ労働者が担ってきた肉体単純労働や農業などの一次産業、建築土木関係に多くの国民が振り分けられた。
もちろん性別や健康状態によって適正な職に斡旋されるが、特殊な技能でもない限り本人の希望は叶えられない。
家族全員で斡旋作業の職場の土地に移らなければならないこともあったり、単身赴任を繰り返すだけの場合もある。
この管理社会になった年を境を基準にそれ以前と以降の世代を別けてこう言われ始めた「R世代」と。
国民の生活は管理監視されるようになったことで、職業選択の自由は統一試験を受けて合格しなければ認められなくなった。
つまり国家に貢献できる優秀な頭脳か能力でもないかぎり無理ということになった。合格さえすれば管理する側になるばかりでなく能力に応じた報酬も期待できる。
最低限の収入しかない国民は結婚はもちろん子供もつくらず少子化は加速していた。結婚出産は認められた夫婦のみに許されている。
管理社会以前に生まれた子供(H世代)を持つ親はどうにかして子供を優秀な人間にしようと。ただ裕福なR世代の子供とは最初から格差が出てしまっている。
次第に上級、下級と国民を区別するようになった。上級をA、下級をCと。基本的に差別は無いとしているが、医療などは明らかに差が出るようになり、結果的に下級国民の命は軽んじられるようになった。
しかし人口の絶対数が少なく、労働力を把握する意味で生死の動向を詳しく管理するようになった。
何歳で病気か事故か、職は性別は場所は。死に至った経緯は。それらを調査し管理監督する部署ができた。
「死亡調査局」管轄は厚生労働省。各自治体の保健所が業務を受け持つ。
業務内容は警察や病院で死亡が確認された日本国籍所有者の出生から死亡直前までの動向を調べ、A,Cか、職業、年齢、性別、死因、場所を各メディアに発表してもらう。
多数派のC国民はA国民の死亡に歓喜するようになり、メディアはニュースやワイドショーに専門コーナーを設けてまで詳細に報道するようになった。
C国民の死亡は他人事ではないので、その人の人生模様を知りたくなり、テレビ局は独自に調査してドラマ仕立ての内容にしていった。