その伍
「あーぁ。正座地獄はもうこりごりだ」
なんてため息をつくところだけを見たら、彼は普通の青年である。
だからこそ、彼の整った顔の左瞼にある傷が浮いて見える。
よくよく見ると、傷周りには引き攣れがあった、深く斬りこまれていることが窺える。
左目が開いているのが不思議なくらいだ。
「傷、気になるよな」
そう聞かれて、私ははっとした。
傷をじろじろ見られたら嫌に決まっている。
「ごめん」
「いいんだよ」
人差し指で傷をなぞって、彼は続ける。
「これは母につけられた。鑪に逢魔刀にされて、それで」
言葉が切られた。
孝太郎は当時を思い出したように、どこかに視線をさまよわせている。
「孝太郎」
声をかけると。彼は私と目を合わせ、息を吐くように笑った。
「悪い。ぼんやりした。寝不足なんだ」
と、目をこするのはどう考えてもごまかすためだろう。
痛感する。
力を得たって人間なのだ。
父は人間らしさを忘れずに、と私に教えた。
だけど、人間だからこそ、どうにもならないこともある。
人間が心の傷を治せないのには、何か意味があるのだろうか。
「でも俺は幸運だったと思うんだ」
孝太郎の意外な言葉に、私は彼を見た。
「幸運?」
「母のおかげで俺は刀狩りを知った。力を得ることができる場所を。復讐を大義で隠せる場所を」
母に、もしくは父に殺されかけて、私はそんな風に思えない。
絶望したから幸運にめぐり会えたなんて。
孝太郎も、鑪に復讐を考えている。
だけど、私とは違う。
「心が強いね」
「君ほどじゃない」
私は首を振る。
「尊敬する」
私は孝太郎に手を差し出した。
彼と一緒なら、どこに行っても、誰が相手でも大丈夫な気がする。
私の気持ちを察してか、孝太郎はにっと歯を見せた。
「俺たち、案外、いい相棒になるかもしれないな」
音が鳴るくらいの勢いで、彼は私の握手に応じた。
私よりごつごつしていて温かい手。
まるで、父の手のようだった。
「そうだ。せっかくだから、耳飾りつけてあげよう」
「いいの?」
あぁ、と彼は頷く。
「自分でやると痛いんだ、これ」
経験者がそう言うのなら、お願いした方がいいに決まっている。
「お願いします」
私は孝太郎に耳飾りを手渡した。
彼が自分の手の平の上で飾りをいじるのを見つめる。
飾りの裏にある金具を外すと、鋭い針が現れた。
これを耳たぶに刺すらしい。
「右むいて」
言われるがまま、右を向く。
来る痛みに備えて、私はぎゅっと目を閉じた。
貫通する感覚と共に、ちりっとした痛みが走る。
じんじんとそれが滲んでいる間、耳たぶの裏に抜けた針に金具がつけられた。
「あと一個。反対むいて」
思っていたよりも痛くなくてよかった。
そう思っているそばで、再び、ぷつっとされ金具がつけられた。
「終わったよ」
「あんまり痛くなかった」
「俺のおかげだな」
得意げになる孝太郎は無視して、私は彼に向かって、首を振って見せた。
「どう?」
「似合ってる」
嬉しくて、両耳についた『証』に触る。
耳たぶが重いが、直に慣れるだろう。
これで私は刀狩りの仲間入りだ。
「仲が深まったところで失礼します」
入ってきたのは如月さんだった。
彼女が持ってきたお盆の上には、大量の握り飯と急須と湯呑みが乗せられている。
如月さんは私たちの前に座り、お盆を畳に置いた。
「食事の前に一つ」
すいっと私の顔の前に手の平が向けられて制される。
私は如月さんを見て、横にいる孝太郎を見た。
隣にいるはずの彼は、何故だか私の斜め後ろにいる。
どうやら私は空腹のあまり、無意識に握り飯に接近していたらしい。
すいません、と、頭を下げて、私は孝太郎の隣まで下がった。
「灯さん。あなたの心は素晴らしい。ですが、技術がありません。
技術がなければ戦場に出せないのは理解して頂けますね?」
「はい」
「そこで、片切隊士」
「はい」
「灯さんを鍛えてあげなさい。私がかつてあなたにそうしたように。
まぁ、私のようには無理かと思いますが」
無理という言葉に、孝太郎が一瞬、眉をしかめて反応したのを私は見た。
「無理じゃありません。むしろ、如月隊士以上にできます」
と、豪語する孝太郎。
やっぱり気に食わなかったようだ。
でも、そんなに強気な態度を取って大丈夫なのだろうか。
「へえ?」
如月さんは笑顔のまま、首を傾げた。
笑顔ではあるが、漂う空気で分かる。
孝太郎は彼女の何かに火をつけてしまったようだ、と。
「では、今から三か月以内にしましょう。三か月であなたは灯さんを隊士に鍛え上げなさい」
思わぬ仕返しに、孝太郎はたじろいだ。
「三か月はいくらなんでも短すぎます!」
「私以上に出来るんですよね?」
「あ」
と、声を出しながら、孝太郎は私を一瞥する。
「灯が可哀想です」
確かに、三か月は厳しい。
でも、のろのろと準備をしている時間もない。
これ以上、私の知らないところで、父の刀を汚されるわけにはいかないのだ。
私は気合を入れて、如月さんを見た。
「私はやります!」
「灯さんはこう言っていますが?」
孝太郎は、うまくいかないとばかりに顔を手で隠している。
私は彼に詰め寄り、その手を握った。
「大丈夫、孝太郎。私たちなら出来る。そうでしょ?」
文句ありげな顔で私を見ていた孝太郎だったが、じっと見つめると、諦めがついたようだった。
「分かったよ。やるしかないな」
「ありがとう」
「お話はまとまりましたか?」
笑顔の如月さんに、私たちは頷いた。
「では、私からのお話は以上です。たくさん、召し上がってくださいね」
と、握り飯を勧められ、私のお腹は、最高潮に鳴った。
やっと、ご飯が食べられる!
「いただきます!」
私は手を合わせてから、盛られた握り飯を両手に持って、口に運んだ。
程よい塩気と米の甘味。
ふわふわほかほか。
「おいひぃ~」
三日ぶりの食事に、私はうっとりした。