その肆
私のお腹の中が、ぐるぐると動いた。
あっと思った時には、遅い。
部屋に、私の間抜けなお腹の音が響いた。
目の前の二人が同時に吹きだす。
「可愛らしいですねぇ」
と、如月さんが笑いながら言う。
恥ずかしい。
私は顔に血が上って一気に暑くなった。
「ご、ごめんなさい」
「元気になって何よりです。今、ご飯を用意してもらいますね」
如月さんは笑いすぎて涙が出たらしく、目元を指先で拭いながら、立ち上がった。
そうして、部屋を出ていこうとするのを、片切が呼び止めた。
「あの、これ外してくれませんか」
その瞬間、如月さんの動きが止まった。
彼女は無言で引き返してきて、片切の傍らにひざをつく。
「外してくれなんて、随分、偉くなりましたね」
私に背中を向けているから、如月さんの表情は分からないけど、私にかける時とは違う声の低さと、片切が青ざめているのを見るに、笑顔ではないことが窺える。
紐を切ってもらい、ようやく解放されても、彼は正座を崩さなかった。
「では、少しお待ちくださいね」
と、如月さんが、私に笑顔を向け、部屋を出て襖を閉めた時、彼は倒れるようにして畳に寝転がった。
そういえば、こいつは私と二人の時、あんなに叩いていた軽口を、如月さんには言う素振りも見せていない。
位はないと言っていたけど、年功序列はあるらしい。
気をつけよう。
「俺にばっかり厳しいんだ、あの人」
片切は、痺れ切っているのだろう両足を伸ばして揉みながら呟いた。
着崩れた寝間着から太腿が際どく見えているのにも構わないから、目の置き場がない。
私は、曖昧に笑いながら目を逸らし、話を変えた。
「怪我は大丈夫?」
「あぁ。俺は人より頑丈だから」
視線を戻す。
足を見ないようにすると、開いた胸元から包帯が見えた。
でも、長いお仕置きで固まった体を動かしている所を見ると、痛みはないのだろう。
とりあえず、一安心。
私は頭を下げた。
「助けてくれてありがとう」
「それは俺の台詞だ。ありがとう」
片切も着崩れを整えて、頭を下げていた。
ふと彼の上げられた目と私の目が合う。
なんだか、どぎまぎする。
際どいのを見てしまったからだ。
私は咳払いをした。
「如月さんからいろいろ聞いた」
「情けないだろ」
「最初から、私が輝義の娘だって知っていたの?」
「行くはずだった隊士の任務書を偶然、覗いて、知った。
逢魔刀の標的に成り得るから、保護対象として君の情報が書いてあったんだ」
「……父が殺されていたことは?」
「それは知らなかった。ただ俺は君にも鑪が接触するかもしれないと思ったんだ」
逢魔刀に父の死を教えられたのは、私だけではなかったらしい。
「本当に私を利用したかったんだ」
そうでなければ、戦いを生業にしている彼が、素人の女に背後を取られるなんて失態はしないはずだ。
あれは、私と接触するための、鑪に近道するための、きっかけづくりだったのだろう。
私はまんまと乗せられたわけだ。
「謝らないぞ。俺は間違ってない」
片切は子どもみたいに唇を尖らせる。
その様子に、私は思わず笑った。
「元気が出たみたいだな」
「え?」
「不安そうだったからさ」
彼は困ったように笑った。
気を遣わせてしまったようだ。
しっかりしなければ。
私は背筋を正した。
「もう不安じゃないよ。あなたを……孝太郎を信じるって決めたから」
名前を呼ぶのはくすぐったい。
彼はよく初対面で呼び捨てが出来るものだ。
私が居心地を悪くする一方で、孝太郎はニヤニヤして私を見ている。
私は慌てて取り繕った。
「だ、だって、これからは嫌でも一緒にいなきゃいけないでしょ、嫌でも。
孝太郎だけ呼び捨てなんて不平等」
「傷つくなぁ。そんなに嫌を強調するなよ」
私たちは笑いあった。
初めて会ったときの緊張感が嘘みたいだ。
笑いが引いた後、孝太郎は真面目な表情に変わった。
「なぁ、灯。俺は」
と、言葉を切り、私を見つめる。
「君がもし、万が一、暴走したら、俺は君を殺すつもりでいる。そして、俺も腹を切る」
「あなたが死ぬことはない」
「君を巻き込み、引き連れる俺の覚悟だ」
「覚悟」
「俺に殺される覚悟。君にはあるか?」
私に責任を問うた如月さんと同じ、強い意思を私に伝えてくる目。
きっとそれは戦う人の目だ。
切っ先のように美しい。
刀は私にとって何よりも正しいものの象徴だ。
私は頷いた。
「でもそうなったら私は傷つけてしまった人たちに呪われながら生きるって決めてる。
それを鑪にさせて、腐った心を討つのが私の復讐。
この考えは絶対に曲げられない」
私が言うと、孝太郎は呆れたように笑った。
「頑固だな。その頑固さがあれば万が一なんかないだろ」
言いながら、彼はうんと背伸びをした。