その弐
ふふっと、如月さんの吹き出す声が、耳に入ってきた。
顔をあげると、彼女は困ったように眉尻を下げて、微笑んだ。
「安心してください。あなたは特別ですよ。
普通、人心刀になった人間は、己の心の強さに耐えきれず、理性を忘れた獣になります。
ですが、あなたは違う。心を制御できています。
それはとてもすごいことです」
そっと手が握られる。
たおやかな見た目に似合わず、私の手の甲を包む手のひらは硬い。
幾多の死線をくぐり抜けてきたことが窺い知れた。
「あなたには勇気があり、力があります。ですが力には責任が伴います」
「責任」
復唱する。
そういえば、片切も言っていた。
――『刀狩りは死んでも戦い続けなければいけない。人を守り続けなければ。
それは力がある俺たちの責務なんだ』
「灯さん。あなたは、ご自分の力に責任を負えますか?
例えば、あなたが自身の心に負けて、理性をなくし、人を傷つけたり殺したりしたら、あなたはどうしますか?」
如月さんは優しく、だが、力強く、私の目を見る。
その気迫に、私は、喉をならした。
「私は」
言葉が出ない。
無責任な言動は、人を傷つけ、追い詰める。
雪ちゃんの一件で私はそれを痛いほどに知った。
だけど今、如月さんが私に訊いているのはもっと深くて重い話だ。
もしも、人の命を奪ってしまったらどうする。
どうするべきだ?
如月さんは、私の言葉を待っている。
「私は」
迷いながら、言葉を紡ぐ。
「考えたこともありません。
だけど、私は、父を殺した鑪という化け物には、生き続けて、罪を償ってほしいと思います。
死んだら償いになるなんて私は思わない」
だから、と、私は口をつぐむ。
そよ風が暢気に、私の髪を揺らす。
責任を負う。
力を使って、命を奪い、守ることに。
命には、化け物も人も関係がない。
化け物にそれを望むなら、化け物側に立った私も、それを受け入れなければならないだろう。
だから、私は。
「生きます。犠牲にしてしまった人達。ご遺族の方々。
そういう人達の恨みをいっぱい受けて抱えて、苦しみ抜いて、私は地獄に堕ちます」
私は如月さんの目を見た。
彼女はずっと微笑みを絶やさないから、私の答えに何を思っているのか、まるで分からない。
「あなたはお強いですね」
いいとも悪いとも言わず、如月さんは庭に目を向けた。
「父の教えです」
「輝義さんですね」
「ご存知ですか」
「父も刀狩りだったんです。輝義氏の刀を愛用していましたよ。
強くて丈夫で美しいと気に入っていました」
如月さんは指先で耳飾りに触れた。紐がさらさらと揺れる。
「この耳飾りは父の遺品なんです」
変わらぬ調子で、彼女は呟いた。
遠くを見つめる瞳には悲しみの色はない。
お父さんの意志を受け継いで、彼女は前線に立っている。
私も彼女のようになれるだろうか。
父の魂を受け継いで。
「そういえば、渡さなければいけないものがあったんでした」
思い出した如月さんが私に差し出したのは、父の小刀だった。
いろんなことがありすぎて、忘れていた。
「ありがとうございます」
「いいえ。勝手に着替えさせてしまって、逆にごめんなさい。
もちろん、私がさせて頂いたので安心してくださいね」
どうやら手当ては如月さんがしてくれたようだ。
何から何までありがたい。
私は彼女から受け取った小刀を、鞘から抜いた。
刃に、空の透けた水色が反射している。
「本当に美しい刃ですね」
「はい。父の刀は私の自慢です」
鞘にしまうと、ちん、と、高い音が鳴る。
視界の端で如月さんが座り直している。見ると、彼女は私に体を向けて、頭を下げた。
「輝義さんのこと、申し訳ありませんでした」
「そんな謝らないでください。私は怒っていません」
片切から、父の行方が分からないと聞いた時。
逢魔刀から、父が死んだと聞かされた時。
どうしようもない怒りに駆られた。
けれど、私は、傷だらけで血だらけで戦う片切の、刀狩りの隊士の姿をみた。
敵に有利な環境の中、命を懸けて戦う彼らを、私は責めることは出来ない。
「父の行方を知れました。父の敵も。それだけで十分です」
父を探すのは終わり。
私の目的は変わった。
人の心を弄ぶ鑪という化け物に、生き地獄という名の復讐を。
父の仇を討つ。
「灯さんは刀狩りに入隊したいですか?」
如月さんの質問に私は首を振る。
「いえ。私には人を守るなんて出来ないです」
「でも、白河さんや片切を、逢魔刀から守ってくれました」
「あれは知り合いだったし、必死だったからです」
もう二度と、あんなことは出来ない自信がある。
片切のような矜持を持って、私は戦えない。
風が吹く。
目の前の景色は、私がこれから行く道とは正反対だ。
「そういえばここはどこなんですか?」
「ここは刀狩りの本部の療養所です。場所的には、央都の地下ですね」
「地下!」
私はすっとんきょうな声をあげた。
「じゃ、じゃあ、あの空は? 風は? 太陽は?」
全て作り物?
それでは説明がつかない。
空は、まあ、天井に絵が描いてあるのだろうが、風や太陽の心地よさ、暖かさは一体、どうやって再現しているのか。
思わず質問攻めをしてしまう私を無視して、如月さんは立ち上がった。
「さて。そろそろ、片切隊士の様子を見に行きましょうか」