その拾参
次に目を開けた時、雪ちゃんは消え、女が戻っていた。
『そんな血だらけで何が出来るの。もうじき、あなたの両手は完全に使えなくなる。
そして、毒が回って死ぬのよ』
女は勝ち誇って笑う。
雪ちゃんを苦しめているのに、こいつは。
私は奥歯を噛み締めた。
「私は死なない。これ以上、お前に雪ちゃんの手を汚させない。
それが私の、雪ちゃんの友人である私の責任だ!」
切っ先が私の両手を振り払う。
私の目の前で閉じられていた二つの刃が開かれる。
『静かにして。きれいに顔の皮を剥げないでしょう』
ギラギラと輝く刃が、私に迫る。
立って。
立たなきゃ。
立つんだよ!
逸る意識に反して、景色がゆったり進んでいく。
刃を開いて私に向かっていた女が何かに気が付き、足を止め、そちらを向く。
刃を閉じ、盾のように鋏を構える。
構えた鋏に、切っ先が伸びる。
火花が散る。
炎が照らすのは、女の蒼白な顔と横から女に迫っていった影。
「ごめん、待たせた!」
と、私を見て言うのは、片切孝太郎だった。
「よく耐えてくれた。やっぱり君はすごい。勇敢だ」
にっと歯を見せる彼の頬には、私が見舞った拳の跡がついている。
『刀狩り!』
飛びのいて私たちから離れた女が叫ぶ。
鋏の刃を広げて、彼に向っていく。
向けられた殺意を躱して、片切は自らの刃を振るう。
刃と刃がぶつかり合い、煌めきが燃え上がる。
片切は何も関係がないのに。
命を懸けて、戦っている。
私は何をしている。
情けない。
何か力にならないと。
私は息を吸った。
「気を付けて、その刀は」
毒があると言いかけたその時、女の突きが片切の肘の内側を貫いた。
『入った!
腕はもう使えない!』
下品に女は笑った。
片切は、貫かれて力を無くし垂れ下がった自分の腕を見つめている。
片腕じゃあんな巨大な鋏に太刀打ちできない。
私がもっと早く言っていれば。
「ありがとう」
私は顔をあげた。
彼は今、お礼を言ったの?
私の判断が遅かったから、腕を犠牲にしてしまったのに。
見つめる私に彼は笑った。
麻痺をしているはずの腕が、手が、再び、柄を握り締める。
片切は、女に向かって、刀を振り下ろす。
『何で、なんで、まだ腕が使える?』
それは全くの想定外だったのだろう、女はあからさまに狼狽えながら、斬撃を相殺するのに苦戦している。
「刀狩りの相手は初めてか?
毒なんかに屈するほど、やわじゃないんだよ、俺たちは」
一閃。
距離を取る女に、彼は切っ先を向ける。
「粉々に砕いてやる」
女は一瞬、呆気にとられて、ぎりぎりと歯を鳴らした。
『ふざけるな』
うぅうぅと低い声でうめきながら、女はもだえるように体中を掻きむしる。
『やっぱり附子だから。この子が附子だからだめなんだ。
美しくならなきゃ美しくうつくしくうつくしく』
狂ったように呟きながら、女は懐の中に手を突っ込む。
ずるずると引きずり出されたのは風に揺れる何か。
――――『そいつは、顔の皮を被っていた。自分が奪った女の皮を』
弥一さんの言葉が思い出された。
腐った臭いをまき散らしながら、女は高らかに笑う。
もう二度と細められることのないふたつの穴の奥で。
もう二度と閉じられることのない穴の奥で。
この女は、雪ちゃんの心も、今まで殺した女性たちの尊厳も踏みにじって、笑えるのだ。
人でなしめ。
濁った空気を破ったのは、片切だった。
皮を被った女はひぃひぃと泣くように笑いながら、二つの刃を振り回す。
それは少しずつ、でも着実に、片切の全身に傷をつけて、毒を回していく。
彼は斬撃をいなしても、女の刃に力をぶつけても、決して、女自身に攻撃をすることはない。
雪ちゃんの体を傷つけないようにしているのはすぐに分かった。
不利にもほどがある。
刀狩りという連中は、こんな不利の中で戦うのが当たり前なの?
私は私がふがいない。
ただ見ているだけなんて。
私は痺れる手をなんとか動かして、着物の裾を持ち上げて、歯で裂きちぎった。
それを傷ついた手のひらに巻いて止血する。
立ち上がろうと両手をついても力が入らなくて、枯れ葉に顔が沈む。
私は芋虫みたいに這いながら、二人から離れた。
片切の負担にならないようにするためだ。
足手まといはごめんだ。
私には何も出来ないから、せめて、邪魔にならないようにしないと。
私は二人を振り向いた。
二人は刃を合わせて、にらみ合っている。
『斬れないと思っているでしょう』
女が、いひいひと不快に笑う。
『当たり前。同じ七善刀でなければあたしは砕けない。
その鈍では、あたしを殺すのは不可能なのよ!』
拮抗状態から先に抜けだしたのは女である。
弾かれた片切が僅かに体勢を崩す。
女は閉じた鋏を突き出した。
片切は咄嗟に刀を構える。
ガリガリと互いの刃が削られる。
女の突きの勢いが弱まり、脇腹を貫通するは避けられたが、それでも深く突き刺さっているのには変わらない。
息を吐いた彼のその口から、液体が飛ぶ。