SEVEN:可哀想なアテクシ
「ですから申し訳ありません……娘は、臥せっておりまして」
「そうか。臥せっているのであれば、無理強いはできまいな」
エントランスの少し先にある応接セットの前で、アメデオ・クリストハルトは平身低頭平謝りをしていた。
相手は同世代でありながら既にこの国の宰相をもう何年も務めている、セレス・ベックフォード。
ピンと伸ばされた背筋に銀縁の眼鏡、その奥から油断なくアメデオを見据える細く鋭い瞳はまるで獲物を捉えた蛇のようだ。
彼を相手に言い逃れをするなど、容易くできることではない。
ベラベラと嘘を並べれば逆に疑われてしまう危険性も高い、故に彼はヘコヘコと下げたくもない頭を下げ続けている、というわけだ。
「ですがその、宰相閣下……娘、テレーゼは昨日こちらへ引き取ったばかり。そのような娘に一体何の御用でしょう?」
暗に、もうひとりの娘エリーゼとお間違えでは?とほのめかされた宰相は、ゆるりと首を横に振って手にしていた封筒から書類を取り出した。
「これは軍の諜報部がまとめた報告書の写しだ。これによると、暴漢に攫われスラムへと捨てられたこちらの前妻マリアンヌ様が、自ら率先してスラムの環境改善に務められ【女神様】と現地ではそう崇められていたとある。そのマリアンヌ様が儚くなられた後は、当時六歳だった娘の……あぁ、この当時はマドカと名乗っていたようだが、そのマドカ嬢がスラムの者を纏めてならず者達を捕まえ、果ては国境沿いの村を守ってくれていたという。故に彼女を知る者は【奇跡の天才】と口を揃えて彼女を讃える」
「…………にわかには信じられません。アレはまだ十歳になったばかりの子供なのです」
「ほう?軍の諜報部が調べ尽くした上で皇帝陛下にご報告差し上げたものを、信じられぬ、と?」
ギラリ、と眼鏡の奥の瞳がこれまで以上に鋭く光ったことで、アメデオは再び頭を下げた。
が、どんなに『素晴らしい功績がある』と讃えられても、彼にはあの痩せっぽちの娘がそれほどの偉業を成したのだとはどうしても信じられない。
半年違いでギリギリ同い年のエリーゼは、十歳になってようやく初等教育から始めたばかりだというのに、教育もろくに受けていないはずのテレーゼがスラムを立て直したばかりか、国境沿いの村を襲撃から守っていたなどとどうして信じられようか。
「……まともな教育も受けておらぬのに信じられない、という顔だな」
「…………は」
「まぁいい。確かに現状、我が国には身分問わず通える教育機関などないからな。あるのは貴族、豪商のための酷く金のいる学校か……ある程度裕福な平民の通う地域の学び舎か。が、ここ数年でもうひとつ……神殿が運営する無償の日曜学校というものができたと聞く」
「日曜学校、でございますか?」
聞いたことが無い、とアメデオが首を傾げると、ベックフォード宰相もそうだろうなと応じた。
「貧しい平民やスラム、辺境の子供というのは物心つくと生活のために働かねば生きてはいけない。そんな子らのために、唯一の安息日である日曜日に神官が文字や計算といった簡単な勉強を教える、という趣旨のものであるそうだ。 ──── ちなみに、発案者はマドカ嬢であると報告を受けている」
「………………」
また『マドカ嬢』か、とアメデオの表情がわかりやすく歪む。
先程からこの若き宰相は彼の神経を逆撫でするようなことばかりを口にする。
最初こそ取り繕って笑みを浮かべていたが、今はその余裕もなくともすると口調までイライラとしたものになってしまいそうになる。
ここは早く用件を告げてもらい、さっさと帰ってもらうに限る……そう判断した彼は、「それで、肝心のご用件はどのような?」と努めて謙った物言いをした。
「お忙しい宰相閣下のお時間をこれ以上我が家のために浪費させては申し訳ない。どうぞ、ご用件を」
「……私に長居されては困るような理由でも?」
「いいえ、決して!ただ、その……前妻の娘の話は、妻や娘の前でしたくないのです。気を、使わせてしまいますから」
「ふむ、なるほど」
探るような眼差しを和らげ、ベックフォードは二、三度頷く。
そしてようやく、本題を切り出した。
「教育の行き届いていないスラムや辺境の村に、マドカ嬢……いや、テレーゼ嬢は変革をもたらしてくれた。そのことに、我らが皇帝陛下がいたく感銘を受けられたようでな。このような才能を埋もれさせるのは非常に惜しい、是非とも城に仕官させたいと大層お気に召した様子。だが我が国では成人せぬ子供は仕官できぬ故、それまでは然るべき教育者の元で専門教育を受けさせよとの仰せなのだ。そこで、だ。今我が国とレグザフォードが共同にて高等教育学校の設立計画を進めている。上手く行けば今年中には準備が整うだろう。そこにテレーゼ嬢を入学させてはどうだろうか?」
「…………は?」
今度こそ、アメデオはポカンと間抜け面を晒して固まった。
今、宰相は何と言ったのか。
スラム育ちでマナーも何もあったものじゃないあの娘を、こともあろうに皇帝陛下がお気に召して城に仕官させようという話になっている。
が、未成年であるためすぐに仕官はできない、その間は近々設立されるという高等教育学校に入学させ、専門教育を受けさせてはどうか。
こうとうきょういく、と滑り落ちた言葉は先程宰相の訪れを知らされた時と同じく呂律が回っておらず、思考回路も全く回ってくれない。
(テレーゼに、高等教育だと?エリーゼが初等教育を始めたばかりだというのに、あのスラム育ちの娘が何歩も先を行くというのか?しかも皇帝陛下のお声がかりで?)
冗談じゃない、とどうにか断れないかと言葉を探しているアメデオに、ベックフォードは薄く笑みを浮かべる。
「受ける受けないは自由。だがこれは、国からの声がかりであることを忘れてもらっては困るな」
「…………」
「国が、テレーゼ・クリストハルトに声をかけている。それが何を意味するのか、まだわからないとでも?」
これは崖っぷちのクリストハルト家への救済措置でもあるのだと、そう言われた気がした。
これを知ればエリーゼはさぞや打ちのめされるだろう、サアヤはさぞや哀しむだろう、だがその二人を宥めて慰めて納得させてしまえば、後は黙っていてもあの忌々しい娘の立てた功績次第でこの家は潤う。
もし目立った成績も上げられず、功績も立てられずにいるなら、その時はさっさと切り捨ててしまえばいい。
今候補にあげている『嫁ぎ先リスト』の中から最もこちらに利のある家を選び、さっさと放り出してしまえばいいだけの話だ。
「わかり」
わかりました、と頷こうとして、彼は正面に座っているベックフォードの視線が己の背後に向けられていることに気づき、肩越しに振り向いた。
「っ!?」
そして、息を呑む。
金の髪は手ぐしで梳いた程度で未だ埃だらけ、両頬は赤く腫れ上がっており、赤紫色の大きな手形がくっきりと浮き出ている。
強く掴んだ所為か左手首も赤紫色に腫れており、平民が着るようなワンピースも埃と所々滲んだ血で汚れていて見るに堪えない。
先程まで己が殴る蹴るしていた、そのせいで床に転がって到底動けないだろうと思って放り出してきた小さな娘が、足を引きずるようにして扉の前に立っている。
「テ、レーゼ……」
「あの、わたし、に御用だとうかがって……それで、」
掠れた、か細い声でそれだけ告げると、テレーゼはチラリとアメデオへと視線を向け、そして
「あ、……あぁっ……ごめ、ごめんなさ、……」
己の体を掻き抱いて、ガタガタと震え始めた。
その異常な様子に、ベックフォードがアメデオへと向ける視線に険悪な色が混ざる。
「彼女が、テレーゼ嬢か?……臥せっていたのでは?」
「いえ、私が来る前は確かに。おい、テレーゼ?」
「いやあっ!!」
名を呼ばれただけだというのに、彼女はその場に蹲り頭を抱えこんでしまう。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、おとう……旦那様。ちゃんと、言いつけを守るから。悪いこと、しないから。だから、怒らないで。ぶたないで。蹴らないで。怖い、怖い、怖い、ごめんなさい」
「な、っ!お前は一体何を言ってるんだ!!宰相閣下の前だぞ!」
「ごめんなさい!ごめんなさい!許してください!ぶたないで!」
10歳にも満たない小さな子供が己を守ろうと床に蹲り、その父親であるはずの男が顔を紅潮させ唾を飛ばして怒鳴り散らす。
宰相ベックフォードはその整った眉を不快感でひそめ、気配を消して空気と化していた護衛の兵が剣の柄に手を置いているのを、やめるようにと手振りで示した。
「テレーゼ、いい加減に、っ!!」
「そこまでだ」
勢いをつけて立ち上がったアメデオの肩を、グッと押さえてから力任せに背後に向かって押し出し、護衛の兵にそのまま拘束させる。
じたばたと暴れている往生際の悪い、すっかり化けの皮も剥がれてしまった大根役者を振り向きもせず、彼は蹲って泣いている小さな少女へと歩み寄り、その側に片膝をついた。
「テレーゼ・クリストハルト。私はこの国の宰相を務めている、ベックフォードだ。私の言っていることがわかるか?」
「…………はい……ベックフォード、さま」
「よし。もう大丈夫だ、怖くない。……君はこれから、皇帝陛下に謁見するために城へと向かう。詳しい説明はそれからになるが、君には然るべきところで必要な教育を受けてもらうことになる。すぐにこの家を出ることになるが、構わないか?」
テレーゼは怯えた眼差しでフーフーと獣のように肩で息をついている父親を見上げ、ビクリと体を揺らしてからベックフォードに視線を戻した。
そして、怯えながらも小さく頷く。
よし、と立ち上がったベックフォードは護衛の兵に目配せしてアメデオを開放させ、その怒りが再びテレーゼに向く前に彼女を兵に託した。
「先に馬車に乗せてやれ。あぁ、上手く歩けないだろうから抱えて差し上げるように」
「かしこまりました。さあお嬢さん、ちょっと失礼するよ」
「きゃ、っ」
一気に目線が高くなったことに驚く少女を軽々と抱え、青年兵士は足早に正面に停めたままの馬車へと歩き出した。
「さて、当主殿」
忌々しげに扉を睨みつける同世代の男を、ベックフォードは冷ややかな眼差しで一瞥してから椅子に座り直し、封蝋の上に皇帝の印璽が押された封筒を取り出すと、中身を広げて差し出した。
「これは、皇帝陛下の御名において彼女の衣食住を保障すること、きちんとした教育を受けさせること、成人までは身分を保証することを記した契約書だ。しっかり読んで、了承するならここにサインを」
トン、と一番下の部分を指で軽く叩く。
アメデオの視線がのろのろと契約書の上に向いたところで、ベックフォードは薄く……気づかれないように小さく笑う。
「色々書いてあるが、簡単に言えば先程述べた通りだ。貴殿側が負担すべきは未成年の間、テレーゼ嬢の生活費を定期的に払うこと、その他必要経費の請求が来たら支払うこと、その程度だな。何かわからないところは?」
「………………いえ」
あえて『疑問点』と言わず『わからないところ』と言ったことで、アメデオは即座に首を横に振った。
これ以上醜態を晒したくないと思ったか、それとも妙なところでこの同世代の男に対する対抗心が沸き起こったか。
いずれにしても御しやすくて助かった、とベックフォードはサラサラとサインする男の手元を見つめ、それを受け取るときちんと折りたたんで元通り封筒にしまいこんだ。
眠ってしまいそうなほど座り心地の良い馬車の中。
「君は、稀代の悪女になれるな」
「宰相閣下ほどではありませんが。お褒めいただけたと自惚れておきます」
小さく口の端を上げる少女の頬には、もう何の傷跡も残っていなかった。