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THREE:高貴なる者とは

多少加筆修正。



(渋い紅茶に汚れたカトラリー。まだまだ、こんなもんじゃないでしょ?さあ、どう歓迎してくれる?)


 ワクワクした気持ちで待っていたテレーゼの前に、パンとスープが置かれる。

 スープは見たところ普通のようだが、パンは明らかにどこかのゴミ箱から拾ってきたようなカビ臭い、硬くなったものだ。

 他の三人の前を見てみるが、どれも焼きたてホカホカの湯気まで見える柔らかそうなパンばかり。


(ここ、貴族の家だよね?むしろどこから持ってきたの、このパン。なんか誰かの食べ残しみたいな……あぁ、そういうこと。スラムの住人はゴミ箱を漁ってるとでも思ってるわけねー)


 実際彼女が過ごしていたスラムは、最下層区域(スラム)という名ではあるがとても清潔で、ガラの悪い者達が徘徊することもあったけれど基本的に治安は悪くなく、ゴミ箱を漁るどころかゴミはきちんと定期的に焼却処分するほどの徹底ぶりだった。

 が、貴族位にある者やその周囲で働く者は【スラム】というだけでゴミ溜めに湧く虫のような印象を抱くようだ。


 なるほど、と彼女は見回して視線が合った男性給仕係を「すみません」と表面上は丁寧に呼び、こちらも表面上は「なんでしょう」と丁寧にやってきたところで


「このパンはどうやって食べればいいんでしょう?随分と硬そうですが」


 と尋ねた。

 問われた給仕係は薄笑いすら浮かべ、「そのままお召し上がりください。他の皆様もそうしてお食べになっておられます」と答え、一礼して下がろうとしたのだが。


「あの」

「まだな、ふぐうっ!?」


『まだ何か?』と口を開いたところで、素早く口内に突っ込まれた異物……否、カビ臭くカチカチに硬い数日前のパン。

 口内に広がるとてつもない不快な味、こみ上げてくる酸っぱいもの、だがここで吐き出しては当主ご一家に失礼にあたるというプライドがせめぎあい、目を白黒させながら彼はパンを突っ込んだ犯人である少女を見下ろす。


「そのまま食べろと言われたのですが、どうにも私には難しそうで。なのでお手本を見せていただきたいんですが……さあ、どうやって食べればいいんですか?」


 少女は、笑っていた。

 先程カトラリーを取り替えさせた時のように、『私、何も知らないので』という顔で。

 その笑顔が、今はとてつもなく怖い。


 ()()は本当に、当主がスラムから拾ってきたというただの子供だろうか?

 貴族のマナーも知識もなにもない、あるのは前妻譲りの血筋と憎らしくも当主にそっくりなその外見だけ、という薄汚れた子供。その、はずなのに。

 出された食事を、むしろありがたがって貪る姿を嘲笑ってやるつもりだった。

 もしくは食べられないと泣く姿を当主が叱りつけてくれれば、可哀想な子供だと多少憐れんでやることだってできたのに。


 何か仕掛ければ、やり返す。

 しかしやられた分しかやり返してこないから質が悪い。

 しかも表面上はニコリと無邪気に笑い、わからないので教えてくださいと下手に出てくるところがまた憎らしい。


 もしかして、とその男性給仕は考えた。

 もしかして自分達は、手を出してはいけないものに攻撃を仕掛けたのではないか。

 あの愛らしいエリーゼお嬢様と同い年だというこの小さな異物は、実はとんでもない爆弾を抱えた刺客なのではないのか。


 ──── その咄嗟の危機敵発想が正しかった、と彼が知るのはずっと後になってからのことだが。



「あぁ、やっぱり無理ですよね?窒息する前に吐き出してください、倒れられては大変なので」


 その言葉に、男はくるりと回れ右して食堂を出ていった。

 代わりに、もう一人いた給仕の人間が恐る恐るという態度で一歩前に出てくる。


「…………あ、新しいパンを、ただいま」

「いいえ、結構です。今から()()を探すのも面倒でしょうし」

「…………」


 重たい沈黙が、ダイニングを支配していた。

 普段は和気藹々と談笑している当主夫妻とその娘も、この奇妙なやり取りを前に一様に口をつぐんでいる。

 口を出したくても出せない、どうやって何を言ったらいいのかわからない、そんなところだろう。

 エリーゼだけは空気を全く読んでいないようだが、それでも両親が黙りこくっているのを見て不安げに顔を曇らせている。


 ここまでまともなものがなかったのに、スープだけまともなはずがない。

 テレーゼはくるくるとスープをかき回し、底にへばりつくように沈めてあった小さな異物に気づくと、アメジストの瞳を細めた。

 ここまでテレーゼの三戦全勝、とくれば流石に視線をむけても近寄ってくる使用人はもういない。

 さてどうしようか、と相変わらずくるくるかき回しながらテレーゼが少し考えていると、


「わあ、このスープ美味しい!今日は私の好きな肉団子入りにしてくれたのね!」


 全く空気を読まない娘エリーゼの甲高い声が、響き渡る。

 全くスープに手を付けていないテレーゼをヤキモキしながら見ていた使用人達も、この愛らしい言葉に表情を緩め、本当に美味しそうに肉団子にかぶりつく姿を微笑ましく見つめた。

 そのタイミングを、テレーゼが待っていたなどと思いもせずに。


「肉団子、ですか?」

「そうよ!これ、滅多に手に入らないお肉だからって勿体ぶってあまり作ってくれないんだけど、でもすっごく美味しいの。ねえ、食べてみて!絶対気にいるから!」


 ようやく会話の糸口が掴めて余程嬉しいのだろう、エリーゼは満面の笑顔で自分のスープに入っていた肉団子を掬って、テレーゼに見せてやっている。


「そんなに美味しいんですか?」

「うん!すっごく!」

「そうですか。その正体が例え……()()でも?」

「え?なにそれ…………きゃあっ!!」


 パチャン、とエリーゼが手を放したことで垂直落下したスプーンが、スープを跳ね上げてドレスにシミを作る。

 が、そんなことにすら気づかない彼女は、自分の口元を両手で覆ってガタガタと震えている。


 彼女の視線の先には、テレーゼが先程の彼女と同じように目の位置に掲げたスプーン。

 その中には丸くてちょっと灰色がかった肉団子ではなく…………同じ色をした小さなネズミが浮かんでいた。



 冷静に考えれば、いくら珍しいと言っても料理長がネズミの肉を使うはずがないし、もし万が一使っていたとしてもあのような原型を留めた形で出るはずがない。

 だが現に、同じものを食べているはずのテレーゼのスープから、全く加工されていないネズミの死骸が出てきた。

 ありえないと思いながらも、もしかしてという気持ちがどうしても止められず、エリーゼはとうとう口元を押さえて椅子から滑り落ち、その場に蹲ってしまった。


 慌てて駆け寄る両親、医者を、と駆け出す執事。

 気味の悪いものを見るような目を、ただ一人冷静な少女に向ける者達。


「エリーゼ、エリーゼ、しっかりしろ!大丈夫だ、お前のスープは私達と同じ、何も変なものは入っちゃいない!だから大丈夫だ、気をしっかり持て!」

「エリーゼ、あぁ、エリーゼ……貴方に何かあったら私は……っ」


 茶番だな、とテレーゼは静かに椅子から下りた。

 そしてこの茶番は、当主である自分の父……アメデオ・クリストハルトも知っていたのだと、今彼がそう自分で自白している。

 考えればそれも当然だ、いくらテレーゼが憎いからといって使用人が独断であのような料理とも呼べないものを出すはずがないのだから。


(バカだなぁ……せっかく初日なんだし、仕掛けてこなきゃこっちもやり返したりしなかったのに)


 復讐を、と考えていたとしてもまだ初日なのだから、しばらく様子見をするつもりだった。

 この空気を読めないお嬢様が晩餐に誘ってさえこなければ、あの後彼女は離れに連れて行かれて今のような食事か、もしくはもっと簡素な食事を出されていたことだろう。

 本邸には近寄るな、余計なことをしなければ生かしておいてやる、そんな言いつけを守ったふりをしながら、こっそりと爪を研いでいるだけだっただろうに。


 カビの生えたパンといい、ネズミの死骸といい、どうにも胡散臭すぎる。

 前妻の娘が来るのは事前にわかっていたことだ、だとするならエリーゼの誘いがなかったのだとしてもあの()()をテレーゼに出すのは既に決定事項だった、ということか。

 ならばせめて、エリーゼの前では普通に食事を振る舞い、離れに移ってからその嫌がらせを始めれば良かったものを。


(うん、やっぱり何かおかしいよね、この家。いくら前妻の娘が憎らしいからってこれはちょっと行きすぎだ)


 皆がエリーゼやサアヤを大事に想っているらしいことは伝わってくるのに、その目の前でテレーゼに対して具体的な嫌がらせを行うのはやはりおかしい。

 特にエリーゼはああも無邪気に「一緒に食事を!」と喜んでいたのだ、それを台無しにしたのはテレーゼではなく使用人(じぶん)達だとどうしてわからないのか。



 ダイニングを出ていこうとして、背後から「待て、テレーゼ」と凄みのある声に呼び止められる。

 呼ばれたからにはと仕方なく振り返ると、愛娘を愛妻の手に委ねた男が彼女を睨みつけていた。

 そうでなくては、とテレーゼは体ごと向き直る。


「なにか?」

「お前は、そんなにエリーゼが羨ましいか。妬ましいか」

「……何を仰っているのかわかりかねます」

「とぼけるな。貴族の娘として育ったエリーゼに嫉妬したのだろう?所詮はスラム育ちだ、下賤な嫌がらせをするしか能がないのか。暴漢に攫われ、捨てられた可哀想な子だからと哀れに思って連れてきてやったが、まさか恩を仇で返されるとは思ってもいなかった」


 吐き捨てるようなそれは、ある程度言葉を飾ってはいるが大方は当主の本音だろう。

 可哀想だとか哀れだとかは別として。


 それに対して、テレーゼは意味がわからないと首を傾げる。


「そもそも私がこの晩餐に同席を許されたのは、エリーゼお嬢様のお誘いがあったからこそ。つまり私は、エリーゼお嬢様に招かれたということになります。なのに、その招かれた者に対して舌が痺れるほど渋いお茶を出し、汚れたカトラリーを並べ、カビの生えたカチカチのパンと、ネズミ入りの特製スープを出した使用人は、エリーゼお嬢様、ひいてはこの家に恥をかかせる行為を行ったということになりますよね?しかもわざわざこの場で私にそんな食事を振る舞ったからこそ、大事な大事なお嬢様が傷つく羽目になったのでは?普通の食事を出していれば、こんな目には合いませんでしたよね?」

「んなっ、それは屁理屈というものだ!そもそも己が招かれたなどと」

「晩餐を是非一緒に、とお誘いくださったのはエリーゼお嬢様です。貴族が、他の者に対して誘いをかける、それをその者が受けた段階で『招待』となるのではありませんか?例えそれが、スラムから拾われた望まれざる子供であっても、招いた以上は心を尽くしてもてなす。それが貴族の常識だと思いましたが。違いますか?」


 この場の誰よりも堂々と、貴族たる者の心得について語るテレーゼ。

 もはや誰も、彼女を無知な蛆虫とは呼ばない。薄汚れた邪魔者とも呼ばない。

 今こうして微笑みすら浮かべて『もてなし』について当主に向かって諭すように告げる彼女は、全く似ていないのに前妻マリアンヌに重なって見えた。

 誰よりも気高く、誰よりも厳しく、誰よりも美しかった彼女かのひとに。


「それとも、この家での『もてなし』とは、その相手を蔑み、蛆虫を見るような目で見、異物の入った食べ物を供することを言うのですか?それなら、私は考えを改めなければなりません」


 出過ぎたことを申しました、と貴族の教育を受けていないはずの彼女はそれでも綺麗に一礼してみせた。

 そして、肩越しに振り返って一言。


「このまま離れに向かいます。食事も使用人もドレスも結構、監視は外からならお好きにどうぞ。このまま構わないでいただけるなら、おとなしくしていますよ。では、失礼」






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