第一章『秘められた想い③』
リトシュタイン帝国は、類を見ない大国だ。
隣国のほぼすべてを占領し、植民地化して独裁政治を行っている。
大陸でも最大の軍事力を誇るこの大国に勝てる国など、到底あるはずはない。
その考えに狂いはないと、
皇帝マイクロソフト・シュヴァイツェンは、信じて疑わなかった。
リトシュタイン帝国が手配した軍備隊に案内されて王城に入ったものの、アレクシアの姿をしたトランスフィールドは、すぐさま他の者から引き離された。
「招いたのはアレクシア・クリスタ公女だけのはずだ」
その言葉どおり、ルフトの姿をしたアランは別室へあっさり連れられてしまった。
だが、もちろんこのまま引き下がるわけにはいかない。
警護の隙を見て部屋を抜け出すと、アランはすぐさま皇帝がいるという部屋を目指した。
剣などの武器はすべて没収されてしまったため、丸腰なのは仕方ない。
もちろん、それはトランスフィールドも同様だ。
なんの用意もなく皇帝に謁見することに、彼女は少しばかりの不安を覚えていた。
案内された部屋は、皇帝の私室というよりは大広間に近い。
幾重にも垂れ下がったカーテンが、空間を区切るように揺れ、他人からの視線を惑わしている。
そのカーテンにまぎれるようにして忍び込んだアランは、ルフトの姿で息をひそめた。
…思ったより警備が薄い。
バフィトは小国だとバカにされているのか。よほど甘く見られているのだろう。
その場にしゃがみ込み、アランはトランスフィールドの姿を目で追った。
少し先の方に立った女性が、おそらくアレクシア・クリスタに化けた風配師だろう。
彼女が静かにソファに座るのを見つめていると、その傍らに寄り添うように若い男が腰かけるのが見えた。
(…あれが、リトシュタインの皇帝か。そしてサキソライトの兄でもある)
アランは、思わず2人を凝視した。
皇帝が当たり前のように自分の隣に座るのを見て、アレクシアに化けたトランスフィールドは眉をひそめた。
テーブルに置かれたお茶と菓子に手を付ける気分もなく、困惑した表情を隠すつもりもなかった。
「…プルーデンスを返して頂けませんか、皇帝陛下。人質をとっての交渉なんてフェアじゃないわ」
「人質ではない」
と、彼は即座に否定した。
「プルーデンス王太子は丁重にお迎えしたのだ。こちらが招待したのだから、危害は加えていない。快適にお過ごしいただいているとも」
「疑わしいわね。あんな大型爆弾を投下して町をひとつ潰しておいて。とても信じられないわ」
「そちらこそ。そんな言い草で、交渉が成立するとでも思っているのか。もう少し軟化した態度を取らないと、次は放射性降下物で国ごと吹っ飛ばされるかもしれないぞ」
「…っ」
とたんにふくれっ面になってしまったアレクシア・クリスタに目を細め、皇帝は楽しげに小さく笑った。
「実に可愛らしい。まこと噂に違わぬ美人だ。…ダリール大公は良いものを私に残してくださった」
「は?!」
その直後。
いきなり皇帝に腕をつかまれた彼女は、その胸内に引き寄せられて、そっと頬を撫でられた。
「あ、あの…」
ぞわりと悪寒が走る。
カーテンの陰で見ていたアランも、ぎょっとして身を乗り出した。
「私とアレクシア・クリスタは、もともと許婚者同士なのだよ。先の大公がお決めになったことだ」「?!」
「なんだ、知らなかったのか」
…知らなかったどころではない。
布越しに聞き耳を立てているアランもまた、その事実に驚愕した。
「見返りはなんです? そうまでしてファミリアの力が欲しかったのですか」
「拗ねなくてもいいだろう。もちろん、君のことも欲しかったさ」
「…っ」
皇帝に手を握られ、思わず振り払いそうになった。
それをぐっと堪えたものの、胸の中に黒いわだかまりが渦巻く。
「バフィトが狙いというよりも、目的はやはりファミリアなのですね」
確信をつく言い方に、皇帝はふっと口の端を曲げた。
「アレクシア・クリスタ。君の故郷であるダリールの土地は、かつてはファミリアに溢れた豊かな場所だったのだろう? それに目をつけた君たち大公一族の先祖が、あそこまで豊かな国にしたのだと聞いた。…クーデターには屈したものの、大公に落ち度はなかったと思っているがな」
「そういうことならば! 陛下、ぜひ同盟を!」
と、思わず声を荒げた。
「同盟か。君と婚約していたダリール公国時代であれば、それもありかと思うが。とうに終わった話だからな、…今は違う」
ダリール公国において《神の使者》とも謳われたファミリアに、リトシュタイン帝国は敬意を表した。
そして、
新たにバフィト王国が建国された折には、リトシュタインを手本とする軍閥政治に寛容だった。
しかし、
今のバフィトには、皇帝の心を動かすような魅力的な要素が何ひとつない。
支配下に置く以外になんのメリットがあろうかと悩むほどだ。
「陛下は、バフィトを見下しておられるのですね」
「身もフタもない言い方をするな」
と、彼は苦笑した。
「バフィト子爵がバフィト王国を建国したことについては、はなはだ遺憾に思っているよ。クーデターの一件はともかく、あの偉大なるファミリアを殲滅したことについては、激しく不満を感じている。…オレはね、アレクシア・クリスタ。君の力を借りて《幽花宮園》なるものを作ろうと計画しているのだ」
「え、っと──?」
その意味が分からず、きょとんと首を傾げた。
不思議そうな彼女を見て、皇帝はなおさら得意になった。
「ファミリアと軍事兵力の融合だよ! それによって、さらなる強国が完成する。そのためにアレクシアの力が必要だと思ったんだが。…ほとんど伝説だと思われていたプリンシパルが実在するとなれば、話は別だ」
「! …なぜ、花槽卿の話を」
「サキソライトから聞いた」
皇帝は子供のような表情になって、浮かれた。
「わが妹ながら、あれは実に優秀な部下でもある。いい働きをする」
「…それで、…あなたの今後の目的は何ですの?」
「バフィト軍隊を殲滅させて、アレクシアとプリンシパルの両方を手に入れる。プルーデンス王太子、はそのための人質だ」
「──!」
先刻までの友好的な会話が、一瞬で払拭されたことにぞっとした。
青ざめた彼女に目を細め、皇帝マイクロソフト・シュヴァイツェンは、にかりと笑ってみせた。
「…ところで。このアレクシアは本物だと思うか、ジェスター」
その言葉にぎくりとした直後。
物陰から、のぞりと黒マントの人物が現れた。
──もちろん、忘れられるわけがない。
アレクシア・クリスタの顔を持つ死神のような輩を前に、皇帝は2人の公女の顔を交互に見つめた。
そして、腕を振り上げて指をぱちんと鳴らした瞬間。
ジェスターは目の前にいるアレクシア・クリスタには目もくれずに、まっすぐアランに襲い掛かってきた。
「うわっ!」
カーテンに隠れていたアランが、ルフトの姿のまま床に転がっていく。
武器すら持ち合わせず、宿敵ジェスターを前にして丸腰で対抗するしかない現状にうんざりする。
「アラン!!」
「来るな。トランスフィールド!」
悲鳴のような声を聞き、慌てて後方へと下がらせたものの、アレクシアの姿をした風配師は迷うことなくアランの前に飛び出してきた。
その時だ。
「───えっ?!」
違和感を感じたアランがはっとする間もなく、飛び出してきたアレクシア・クリスタの姿が、一瞬のうちに別の人影へと変貌した。
「…うそ、だろ」
その成り立ちから漂う、桟敷の香り──
全身を覆う花と葉の文様。
自分をかばうように立つ目の前が、プリンシパル・ヴァンその人だと気づいて、目を疑った。
「…本物、か?」
その震える声に、ヴァンはおかしそうに目を細めた。
「ひさしぶり、でいいのかな」
そう言ったとたん。
感動の再会もむなしく乱暴に腹を殴られ、ヴァンはかわす余裕もなく床に転がった。
「ふっざけんな。そんな怪しげな男になって今さら登場か!」
「わかった、悪かった…」
「つか、トランスフィールドはどうした! 私の替え玉は風配師に頼んだはずだぞ」
「彼女はお留守番だ。淑女は戦線に出るべきじゃない、そうだろう?」
「うっ。それは、私も思っていたけど」
痛いところを突かれ、トランスフィールドじゃなかったことに今さらながらホッとしていると、眼前で皇帝マイクロソフトが立ち上がった。
傍らで、ジェスターもまた同じように愕然としている。
「まさか…本物のプリンシパルか…」
うろたえる2人を前に、ヴァンは慇懃に頭を下げた。
「初めまして、でよろしいのかな。…しかしながら、先ほど提案は承服いたしかねますな、陛下。婚約の件に関しても、植民地化の件にしても、こちらとしては戦で迎え撃つ覚悟でございます」
とたんに皇帝は、むっとして表情を歪めた。
「…はは。…そんな戦力もないくせに」
「国が、ではございません。もっとも力の差は問うまでもありませんが」
そう言うなり、片腕を掲げたヴァンの手のひらから、ぶわっと大量のファミリアが噴出した。
「うわっ!」
瞬く間に大量の光に包み込まれ、視界を遮られた皇帝が喚き散らした。
「プリンシパル! バフィト国王は死期が近いのだろう? いずれいなくなる男に傾倒してどうする?! おとなしく私の下につけ、プリンシパル」
しかし、その声は届くことなく。
気が付くと、アランやトランスフィールドともども、ヴァンの姿は消失していた。
「くそっ」
茫然とした皇帝が、信じられないというように呼吸を荒げた。
「ジェスター。あのプリシパルは本物か?」
「おそらく。完全にだまされました。プリンシパルとしての協力なオーラを完全に消していました」
「なるほど、見事な手際だ。そして美しい男だ、さすが。…あぁ、そうだな。私にも分かる。あのオーラ間違いない。この帝国にファミリアの力が加わったら、どれほど素晴らしいか! いずれ迎えに上がらねばなるまいな!」
まるで子供のようにはしゃぐ皇帝に、ジェスターは顔をしかめた。
まさかこんな展開になるなんて、想像もしていなかった。
アレクシアに変身していたのがヴァンだと見抜けなかったことは、素直に悔しかった。
「ジェスター。そんな顔をすることはないぞ。私の可愛いドール」
そっと手を伸ばし、皇帝は優しくその額にキスをした。
「お前は完璧だ。なんの落ち度もない。いつも私の期待にこたえてくれる」
「では、なぜプリンシパルだけではなく、アレクシアまでもお望みなのですか。あなたには、この私がいるのに、私もアレクシアなのに…」
ドールは所詮ドールだといわれているようで悲しくなる。
だが皇帝は、バカバカしいとばかりに笑みを浮かべてみせた。
「もちろん、お前のことも、愛しているさ」
その真偽は、どこにあるのだろう。
傀儡であるジェスターの中に、一抹の虚しさが広がっていった──
アランがアレクシアで、アレクシアだと思ってたトランスフィールドが実はヴァンで…笑。ややこしすぎますね。私も書いててワケが分からなくなりました。
(-_-;)