弱虫カルデッド
作者:裏山おもて
「僕らは弱虫なのさ、誰よりも」
弱 虫 弱 虫 弱 虫
『失せ物探し専門探偵・不二探偵社』
ため息を漏らして、少女――マナは顔をあげた。
月が照らしたのは、古めかしい雑居ビル。
駅から徒歩三十分。
工事現場のすぐ横。
まるで廃墟のようにぽつんと佇む無機質な建物の窓には、大きく『不二探偵社』と書かれてあった。
「ようやく見つけた……」
ながいあいだ歩いてたから、もうヘトヘトだった。
足の裏がじんとする。
虫も静まり返った夜半でも、ビルの二階からは灯りが漏れていた。すこし開けられた窓からは声が漏れてくる。
間違いなさそうだ。
マナは一冊の本を胸にぎゅっと抱きしめて、階段を登った。
「――おいフジ、冷蔵庫にあったプリンは?」
「さっき食べた」
「はあ!? あれオレのなんやけど!?」
「ああ、そうだったのか」
「そうやったんか、ちゃうわ! ほかになんか言うことあるやろ!」
「……ほかに?」
「ほかに!」
「……あ、ごちそうさまでした」
「お粗末様でした!」
ドアがすこし開いていた。
『事務所』と書かれた二階の扉から、子どもと大人の声が喧嘩するような声が聞こえてきた。ノックしようとしていた手をついて止めてしまって、いけないと知りつつも開いたドアの隙間からなかを覗いてみた。
ソファにゆったりと座って穏やかな笑みを浮かべるのは、フジと呼ばれた青年だ。
その青年と向かい合って、スプーンを握りしめて半泣きになっている少年がひとり。背は低く声変わりもまだのような高い声で、
「ってそうやない! 謝るとか誠意見せるとかあるやろ!?」
「いやほんと美味しかったよ。どこのプリンだい?」
「中央商店街のケーキ屋のプリンやけど!」
「そうか。わかった。あした買いに行こう」
「うんうんそれでええんや。勝手に食べたお詫びにショートケーキも買ってきてええねんで」
「え? なんでアカのために買ってくるの? 自分用だけど」
「なんでそうなるん!」
涙目の少年。
アカという少年のほうは、パッと見て小学生か中学生くらいだろうか。こんな夜中まで起きてて大丈夫なんだろうか、と余計な心配が浮かぶ。マナの弟もまだ小学六年生だけど、九時には寝てるのに。
「……いいかアカ。そこは会社の冷蔵庫だ。そしてここは僕の会社だ。つまり僕の会社の事務所の冷蔵庫のなかのプリンはすべて僕のものだ。オーケイ?」
「理論的に言っとるけどそれただのジャイアニズムやからな」
……そろそろいいだろうか。
マナは開いている扉をコンコンと叩いた。
すぐに青年がこっちを見て、驚いたように目をひらく。
「おっと、こんな時間にお客さんかな。いらっしゃい」
「すみません……遅くに」
ぺこりと頭を下げると、青年――フジはにこやかに笑みを浮かべて立ち上がった。
「とんでもない。うちは二十四時間いつでもお気軽に、がモットーだからね」
「まあほとんど客なんてこーへん――あ痛っ!」
唇をとがらせたアカに、フジが拳骨を振らせて、
「ようこそ不二探偵社へ。まずはコーヒーか紅茶、どちらか選んでね」
弱 虫 弱 虫 弱 虫
むかしからコーヒーは苦手だった。
はじめて飲んだのが、確か六歳のころだったと思う。一口飲んであまりの苦さに吐いた。砂糖をどれだけいれても苦い味は消えてくれない。それどころかもっと不味くなっていく気がして、飲みたいなんて思ったことはない。
絵具をたくさんまぜて汚くなるのとすこし似てると思っていた。
「アカは不器用で料理も下手くそなんだけど、コーヒーだけは煎れるのがうまくてね」
コーヒーが苦手だと言ったら、フジが飲んでみてと言って差し出したコーヒーカップ。
いままでのコーヒーの印象ががらりと変わる味だった。
「やっぱり苦いけど……でも美味しいです」
「よかったねアカ。珍しく褒められたよ」
「珍しくは余計や」
「まだちいさいのに、すごいですね」
「ちっちゃいも余計や」
アカはちっとも嬉しくなさそうに顔を背けた。
「……まあ一息ついたし」
フジがカップを置いて、
「僕は不二一人、しがない探偵だよ。……君は見たところまだ高校生かな? 名前、なんていうの?」
「猫目マナ……です」
「マナちゃんか。なんかこう、力が湧いてきそうないい名前だね」
「あ、ありがとうございます」
名前を褒められるのは初めてで、すこし気恥ずかしくなった。
「ちなみに、コーヒーだけが取り柄のちっちゃいのは赤城夜流。アカちゃんって呼んであげるといいよ」
「だれが赤ちゃんやコラ!」
事務所の奥はキッチンとテーブルがあって、椅子に座ってポテチを頬張っているアカ。
苦笑したマナは、呼び方よりも気になって、
「あの……おふたりはどういう関係なんですか? 親子でも兄弟でもなさそうですし」
「アカはここの居候なんだ。僕はその保護者」
「誰がや! れっきとした社員じゃボケ!」
「えっ、その年で社員なんですか居候さん?」
「そうや! でもちゃうわ! あ、いまのは社員やけど居候とちゃうって意味であってやな、居候であって社員とちゃうって意味ちゃうから間違わんよ――」
「まあアカちゃんのことは置いといて」
「ひとの話は最後まで聞けってむかしオカンがゆってたぞフジ!」
キャンキャンと吠えるアカの声をさらりと無視して、フジはマナの腕のなかを指さした。
マナの腕の中――そこにずっと抱えられていた、一冊の本を。
「ところでマナちゃん、聞いていいかい。ここは失せ物探し専門の探偵社なんだけど……見たところ、君は何かを探しているようには見えない。むしろその大事そうに抱えた本のことで、なにか僕らに頼みたいことがあって来た……そんなふうに見える」
「はい、そうです」
マナは伏し目がちにつぶやいた。
「こんなお願いは失礼かもしれませんけど……お願いです探偵さん。探すのが得意なら、探されないように隠すのも得意なんですよね? どうかこの本を、誰にも見つからないようどこかに隠してくれませんか?」
弱 虫 弱 虫 弱 虫
真っ暗な道を、必死に走っていた。
後ろから追ってくるのは足音だけ。
闇のなか、遠くにある光を目指してひたすら逃げていた。
足音はぴたりとついてくる。
光はいっこうに近づいてこない。
足がもつれ、息があがっても走り続けた。
ただ逃げるために。
本を抱え続けて走り続ける。
いつ捕まえられるかもわからない。
いつまで逃げ続ければいいのかも、わからない――
「起きろ」
「――きゃっ!?」
聞き覚えのない低い声に、マナはとび起きた。
その拍子にソファから落ちて背中を打った。痛みに悶えながらも見慣れないタイル張りの床を這って逃げる。
冷たい床。
どこだここ。
すぐそばに自分の靴が脱いであったから、とっさに胸に抱えた。
「落ち着いて、マナちゃん」
パニックになりかけたマナに、事務所の窓際――椅子に座って笑いかけてきたのはフジだった。
……そういえば、昨夜は時間も遅かったから、そのまま寝かせてもらうことにしたんだった。疲れてたからかぐっすり眠って、少し怖い夢を見てしまった。
「ご、ごめんなさい」
「気にするな」
またお腹に響くような低い声。
ソファの横に立っていたのは背の高い男だった。熊みたいな骨の太そうな体つきで、頭が天井につきそうなほどだ。
それよりマナの目を引いたのは、両目に巻かれた包帯。
これじゃ何も見えないだろう。
「……朝食だ」
そんな巨漢がちょこんと持っていたのは、お皿に乗ったトーストと目玉焼きだった。目に包帯を巻いてるのに、マナが見えているように皿を差し出してくる。
彼がつくったのだろうか。よくみれば腰にエプロンを巻いていた。しかも犬の刺繍がはいってて可愛い。
「あ、ありがとうございます……」
「うむ」
皿を受け取るとキッチンへ戻っていった。テーブルにはすでに紅茶が置いてあった。
すこし戸惑っていたら、フジがくすりと笑った。
「彼は犬塚剣……料理が得意な探偵助手さ。女の子にはすごく優しいやつだから、怖がらなくていいよ。ま、見た目はあんなだから朝一番は少し驚くよね。少しうなされてたようだったけど、大丈夫?」
「えっ……あ、はい。だいじょうぶです」
「そう。なら冷めないうちに食べなよ」
ケン、か。
大きな男のひとは苦手だけど、さすがに起きて早々逃げるのは失礼だったかな。
あとで謝ろうと決めて、トーストを食べる。
「ちなみに不二探偵社は僕とケンとアカの三人だけだし、警戒しなくていいからね」
「はい……あ、居候さんはどうしたんですか?」
「奥の部屋で寝てるよ。アカは夜型だから夕方まで起きないんじゃないかな」
学校はいいのだろうか。
少し気になったけど、マナが口を挟むことじゃない。
他人の事情に首をつっこんでいいことなんて、なにひとつない。
トーストを食べ終わると、すぐにケンが食後のデザートを持ってきてくれた。
「助手さん、ありがとうございます……それと、さっきはすみませんでした」
「気にするな」
空いた皿をぶっきらぼうに手に取り、またキッチンへ戻ってくケン。
それを見てフジが小さく笑い、立ち上がった。
「じゃあ朝ごはんも食べたことだし、仕事の話をしよう」
「……はい」
「君はその本を隠したい。場所は僕たちに任せる。事情は聴かない。報酬は前金で一部受け取って、一か月間誰にも見つからなければ半分。さらに一か月見つからなければ全額。これでいいね?」
「はい」
「ならさっそく出かけようか。仕事は早いほうがいい……あ、べつにほかにやることがないからじゃないよ? まあ、ほかに仕事もないんだけどね」
南へ向かうバスに乗って、およそ三十分。
雲一つない晴天で、秋だというのに汗ばむ気温になっていた。風が吹けば涼しいのに、残念なことに空も海も凪だった。
太陽を反射した海面がキラキラとまばゆい。水平線が彼方に見えた。
海岸線から突き出た灰色の港。コンテナがたくさん並び、大型船が遠くにいくつも見える。
コンテナ車がたくさん走り、いろんな会社のトラックが舗装された道を行き交う。
どう考えても、人目につかないところじゃない。
「……こんなところに隠すんですか?」
「いや、ここには隠さないよ」
「じゃあどうしてこんなとこに……」
本をぎゅっと抱えて、周りをキョロキョロと見回す。
作業着を着た人たちが珍しそうにマナを見てくる。
フジはくすりと笑った。
「君の本を探してる誰かがいたとして、彼は僕らの足跡を追うだろう? なら、すこしは僕らは目撃されとかないとね」
「なんのために?」
「いかにも隠しそうな場所で目撃情報があったら、君ならそこを探そうとしないのかい?」
両手を広げたフジ。
そのうしろには、見渡すかぎりのたくさんのコンテナ。巨大な港にふさわしい、迷路のような倉庫街。
「隠すために大事なのは隠すこと自体じゃないんだ」
「つまり、ここに来たのは……ブラフ?」
「そうともいう。うん、みんなこっちを見てるし目的は果たしたね。その本、帰りは服の下にでも隠しておいてね」
そういってまた港の入口へと歩いて戻っていくフジ。
マナは言われたとおりに、本を服の下に隠しておいた。
弱 虫 弱 虫 弱 虫
そのあと二人で街をぶらぶら歩いた。とくに目的もなく、とりとめのない話をしながらウィンドウショッピング。あまり知らない街で、あまり知らない男の人と歩くなんてすこし違和感。でもフジは優しくて、話も面白かったから退屈じゃなかった。
本はここにはない。
二人でバスから降りるとき、バス停の列のなかにケンがいた。すれ違いざま、フジがケンに本を渡した。まるでアクション映画でスパイが秘密道具を取引するみたいに一瞬のできごとで、マナは驚嘆した。
「本はケンが預かってくれる。ケンの家ほど安全な隠し場所はないからね」
「ケンさんの家、ですか?」
「うん。ああ見えてケンはもともと有名な小説家だからね。書斎には本が十万冊くらいあるんだよ。……あれ? 数万だったかな? まあとにかく数えきれないほどたーくさん。しかも家にはメイドさんが常駐してるし、家の警備は厳重」
「……木を隠すには、ですか」
「そういうこと。あ、あそこのケーキ屋のプリン、めっちゃ美味しいんだよ。マナちゃん食べる?」
「いえ、あたしは……てかそのプリン、もしかしてきのう居候さんの食べたやつじゃ――」
「あっちのクレープ屋も美味しいよ!」
わざとらしく早歩きするフジだった。
マナはため息をついてついていく。
……なんか、変なひとだなぁと思う。
だけど不思議と安心した。このひとなら正直に話してもいいんじゃないかって思えた。バカにしたり、疑ったり、笑ったりせずに話を聞いてくれるんじゃないかって。それでいて受け止めてくれるんじゃないかって。
これ以上逃げなくてもいいんじゃないかって。
そんな幻想を、ちょっぴり浮かべた。
ずっと手のひらで踊らされてたことも、知らなかったから。
「――しばしの休息は満足できましたか? マナさん」
「え?」
蛇のように、マナの首にねっとりと腕が巻き付いた。
人通りの多い商店街。
なんの気配もせずに、近づいてきたことも悟らせずに。
黒い外套を羽織った男が、マナの後ろに立っていた。
「マナちゃん!?」
「動かないでくださいね。動けばこの子の首がぽっきりと折れちゃいますよ?」
耳もとで撫でるような声を出されて、背筋がぞわりとした。
もう見つかった……!?
マナは男の腕のなかでもがく。
「この数日間の旅行は楽しめましたかマナさん?」
「な、なにをっ」
「私たちから逃げられると思ってたんですか? もしそうだとすれば驚くほどの愚か者です。もしそう思っていなかったのなら、やはり愚か者ですね。さっさとあの本を使って頂けるのなら、あなたの安全は保障すると何度も言っているのに」
「い、嫌よ! あんたたちに従うくらいなら死んだ方がマシ!」
「……やはりあなたは愚か者です。死んだ方がマシだなんて、死を知らないから言えるのです」
うるさいうるさい!
マナは必死に抵抗する。
でも男の腕はびくともしない。不健康なほど細くて白い腕なのに、獲物に巻きついた蛇のように離さない。
息が苦しい。
「た、探偵さん……たすけて」
「おっと、動くなと言ったでしょう?」
じりじりと気づかれないように近づくフジに、フードの男が鋭い視線を投げる。
フジは唇をかみしめていた。
「……マナちゃんを離せ」
「どこのどなたか存じませんが、あまり出しゃばらないほうがいいですよ。この子は関わった者を不幸にする魔女のような女なのです」
「う、うるさ――うぐっ」
反論しようとしたらさらに強く絞められた。
息ができない。
苦しい。
視界がぼやける。
「おおかた事情も教えてないんでしょう? あの本がどれほど貴重なものかも、その真なる価値も。そうやってあなたは秘密を隠したまま他人を巻き込んで、不幸にする。ほら見てみなさい、また誰かがあなたのせいで不幸になる」
「や、やめ……」
マナのぼやけた視線の先。
動けないフジの後ろに、いつの間にか立っていたのはフード姿の男。
その男が手にしていたのは、鋭いナイフ。
フジはこっちを睨みつけていて、気づかない。
「う……し……ろっ!」
なんとか声をしぼりだす。
だけど届かない。
男が振り下ろしたナイフは、フジの背中に刺さり、体を貫通する。
見間違うことなく、心臓の位置。
血が散乱する。
悲鳴がおこった。
周りにいた街のひとたちが叫びをあげて逃げていく。
フジは目を見開いて自分の胸から突き出た金属を見下ろし、膝をつく。口から血が漏れる。
ぼたぼたと落ちてアスファルトに赤い水たまりが広がる。致死量をはるかに超えた出血。言葉もなく、ぐらりと体を崩して倒れ込むフジ。
「ただの人間など放っておきなさい。我々は生まれたときから強者としての資格があるのです」
マナの意識は、そこで途切れた。
弱 虫 弱 虫 弱 虫
『――本とは歴史だよ、マナ』
そう教えてくれたのは父だった。
『書いた者の、生まれてからその本を書くまでの歴史が詰められたものが本なんだ。知識、経験、感情……それらが合わさり人間をつくっていくように、本もまた作られる。一人だけのものとは限らない。ひょっとすれば何人もの人々の歴史が詰め込まれているのかもしれない。だからこそ、本というものは貴重なんだよ。哲学書、歴史書、小説などいろいろな本がる。ときにはつまらなく感じるものと出会うかもしれない。だけど、その本にも必ず価値はある。私はそう思う』
図書館の司書をつとめていた父が遺してくれた言葉だ。
その父に託された、一冊の本。
そんな本を、誰かの欲のために使いたくはなかった。
たとえ孤独になろうとも。
痛みを与えられようとも。
「……本当に、強情な親子ですね」
どこかの倉庫だった。
気が付けば、鉄の柱に縛り付けられていた。薬を打たれたのか足の自由が効かない。
冷たいコンクリートに座っているマナを、黒い外套を着た男たちが取り囲んでいた。
「マナさん……たとえ他人を不幸にしても、あの本を使う気はないのですか?」
「あなたたちが使ったら、もっと多くの人を不幸にするでしょ」
「バカバカしい。それがどうしたというのです? あなたも知っているでしょう? 他人と違うというだけで迫害されるこの世界の理不尽さを。遺伝学的にも普通の人間より上位にあるはずの我々が、いままでどれほどの痛みを受けてきたのかを」
「だとしても、他人を傷つけていい理由になんてならない」
「そんな倫理観を植え付けているのも、力を持つ者を恐れた弱い人間なのです」
男は大きくため息を吐いた。
「あの魔導書と貴方がいれば、こんな理不尽な世界など簡単にひっくり返せるのです。魔術のひとつも使えない人間風情、我々が支配し、管理するのが当然ではありませんか。不条理に迫害される人生も、逃げ続ける人生も必要ないのですよ? あなたは特別な――我々のなかでも特別な人間なのですから」
逃げなくていい世界は魅力的だ。
幼い頃から虐められてきた。
ごくふつうの親に生まれ、ふつうの学校に通い、普通の生活をしていたはずだった。自分が他人には見えないものが見え、使えないモノが使えることに気づいたのは幼稚園児の頃。友達や先生に自慢げにその力を見せたら、『魔女』と呼ばれて恐れられ、虐められた。クラスメイトからは気味悪がられ、先生からはお前が悪いと言われ、マナの味方は両親だけだった。
そんなマナの噂を聞きつけて仲間にむかえてくれたのが目の前の男たちだった。彼らもまた、マナほどではないにしろ特別な力を持っていたのだった。
自分の居場所ができた――そう思ってた。
だけど。
父が『始祖の書』と呼ばれる魔導書を持っていると知った彼らは、父を殺めてその本を奪った。
そしてその本がマナにしか使えないと知ると、マナに使うよう強制してきたのだ。
マナは拒否して逃げた。
あの頃のように、ただ怖かった。
周りがみんな怖かった。
「たしかに、もう疲れたし、逃げたいよ」
「なら私たちと協力していこうではありませんかマナさん」
「でもね、それでも優しい人たちはたくさんいる。そんなひとたちを犠牲にしてまで自分が住みやすい世界をつくるなんて……あたし、できない」
「……本当に強情なひとですね」
冷たい目。
これからなにをされるのか不安だった。正直、体はずっと震えてる。父を殺されるまで同志として過ごしてきたひとたちだ。仲間には暖かい反面、敵だとみなした者にはおぞましいほど酷い扱いをすることくらい、知っている。
でも、負けない。
ここで負けたら巻き込むだけ巻き込んでしまったあの優しい探偵に、謝る権利すら失ってしまうから。
「そ、それに、ここに本はないから協力できないわ。残念ね」
「声が震えてますよ」
男が、マナの顔を掴む。
無理やり目を合わせられる。
「我々の遺伝子には、過去の痛みが刻まれています。あの中世の時代に我々の先祖が受けた屈辱を、よもや同志に味わわせようとは思いませんでした……残念なことです」
男が取り出したのは、一本の長い鉄釘。
それをマナの足――ようやく感覚が戻ってきた足の指にあてがう。
つい、息を呑む。
「本はどこです?」
「……言わないわ。ここで言ったら、死んだ父と、探偵さんに顔向けできない」
「そうですか。その覚悟がいつまでもちますか……ねっ!」
男が鉄釘をふりかぶって勢いよく振り下ろした。
歯を食いしばり、目をぎゅっと閉じる。
鈍い音が響く。
脳を貫くような激痛は――――こなかった。
「……だれが死んだって? マナちゃん」
フジが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
一瞬、天国かと思った。
違うと分かったのは、フジの手には一本の鉄釘があったから。その鉄釘を振り下ろそうとしていた男が、フジの足もとで目を剥いて気絶していたから。
フジは黒い外套を脱ぎ捨てて、くるりと背を向けた。
ざわめく周囲の男たち。
「た、探偵……さん?」
「潜入するのもなかなか楽しいね。アカとケンもそろそろ来るみたいだけど……ほうら」
フジが指さしたのは、男たちの背後――倉庫の扉だった。
鉄の巨大な扉が轟音をたててひしゃげた。
銀色の光が注ぎ込む。
もう夜だったのか……そういえば今夜は満月だったな、とふと頭の隅で思い出した。
月の光を浴びて立っていたのは、大柄の男。
両目に包帯を巻き、熊の刺繍がはいったエプロンをつけた探偵助手、ケン。
彼は巨大な鉄扉を片手で軽々と持ち上げると、
「死にたいやつはいるか」
ぼそりと低い声でつぶやいた。
突然の闖入者に戸惑いつつも、周囲の男たちはすぐに動いた。それぞれ懐から取り出したのは拳銃。どんなに優れた人間でも一撃で殺すことができる、凶器だ。
銃声の雨が鳴り始めた。
ケンにむかって銃を撃ち始めた男たち。鉄の扉を盾にするケン。跳弾が床や天井に当たり、火花を散らす。
「取り囲んで撃て!」
ケンを包囲するように広がっていく男たち。鉄扉の盾一枚じゃ、すぐに防げなくなるだろう。
そう思った矢先、男たちがいきなりうめき声をあげて倒れはじめた。
「気をつけろ! なにかいるぞ!」
離れたマナの視界でも、その影を捉えるのがやっとだった。
残像くらいしか目にすることができない。あまりの速さに、何が起こってるのかわからないだろう。
小学生ほどの小柄な影が、男たちを次々と昏倒させていた。
「……探偵さん、これって……」
「僕らは生まれながらに弱い」
フジが自嘲するように笑う。
「どれだけ力があっても、僕らは弱いんだ。たとえばケンは月が嫌いだ。彼は月を見てしまうと、獣へと姿を変えて理性を失ってしまうからね。どれほど愛する人であろうと、相手を守ろうとしていようと、その手にかけてしまう……だから両目を自分で塞いでいるんだ。自分を恐れてるのさ。もう二度と、愛する人を失わないように」
ケンは軽々と鉄の盾を振り回し、銃弾を防ぐ。
「アカは夜の王と呼ばれるほどの力をもってる。でも、そのぶん彼を傷つけるものが多い。太陽を浴びれば死に、水に浸かれば死に、銀を打ち込まれれば死に、ニンニクを食べれば死に、血を飲めなければ死ぬ。彼は誰よりも傷つきやすいから……誰よりも、優しくなれる」
小さな影は誰一人殺すことなく、男たちを気絶させていく。
目の前で起こっていることがマナには信じられなくて、でも、どこか納得できた。
「……探偵さんも、弱虫なんですか?」
「ああ、僕は――」
パン!
と、渇いた音が木霊する。
床に横たわっていた男が、蛇のような細い指先で引き金を引いていた。
硝煙の臭いがマナの鼻をついた。
ぐらり、とフジの体が揺れる。
……揺れただけだった。
心臓を撃ちぬかれてなお、フジは笑みを浮かべて立っていた。
そんな馬鹿な、と男が手を震わせて銃を落とす。
「僕は死なない体がある……いや、死ねないんだ。この長い長い時の流れのなか、みんなが老いてゆくのをただ見ているだけ。僕は悠久の孤独が怖い。誰かに寄り添ってもらわないとおかしくなってしまいそうなんだ。たしかに、僕たちは他人とは違う力があるかもしれない……でも、だからこそ僕らは弱虫なんだ。誰よりも」
無機質な残響が消えると、あたりは静まりかえった。
入口のそばにいるアカとケンのところまで、フジは歩いていく。
遠くからサイレンの音が近づいてくるようだった。
「僕ら弱虫は、誰にも知られないようにひっそりと生きるのさ。君は、弱虫かい?」
縛られていた手はいつのまにか自由だった。
足も動く。
……父を殺めた男たちは憎いし、怖い。
いまならマナだけでもどうにでもなるかもしれない。
この手で殺めることだってできるだろう。
だけどマナは、銃を取り落としたまま蒼白になっている男を見下ろして、笑う。
フジの真似をして笑う。
大げさなほど、穏やかに。
「あたしも、弱虫です」
「そう。なら、僕らと一緒にくるかい?」
「はい!」
三人に駆け寄る。
これでいい。
きっと、これでいいんだ。
「ってことでこれからよろしゅうな、お嬢ちゃん」
「よろしく頼む」
「はい、よろしくおねがいしますね助手さん。あと居候さんもよろしくねよしよし」
「うおああ鬱陶しい頭撫でんな! オレ居候ちゃうし、それと年上には敬語使うもんやで!」
「居候さんって何歳? 十二歳くらいじゃ……」
「こう見えても二十年生きとるねん! ほら、成長遅いだけやから」
「あ、ならわたしのほうが年上だよ。あたし、これでも三十歳だから」
「……え? ええええええ!?」
目を丸くするアカと、ぴくりと口元を震わせたケン。
年齢は言わない方がよかったかな、とフジの顔をうかがう。
「僕にとってはみんな似たようなものだよ。気にしない気にしない」
「そらフジにくらべたら総理大臣かて子どもみたいなもんやろうけど」
「アカは赤ちゃんみたいなものだよ」
「やかましい!」
「……とにかくさ、マナちゃん」
フジが差し出してくれた手は、すこし暖かくて。
思ったよりも、大きかった。
「ようこそ、不二探偵社へ」




