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貴方の血を頂けませんか?  作者: 館の主
11/13

君に捧ぐ永遠

作者:AQ


「貴方の血を、頂けませんか?」

 そう言って、色素の薄い瞳を細めながら彼女はふわりと微笑んだ。

 まるで花が綻ぶような、可憐な笑み。

 何もかもを諦めてしまった、空っぽな僕の心に、その笑顔がすうっと染み込んでいく。

 僕は返事をしようとしたけれど、どうしても声が出なかった。

 だから口の端がかすかに持ち上がるだけの、精一杯の笑顔を返した。


 †


 高校に入学してから、丸一年と一週間が経ったその日。

 たいくつな授業をすべてエスケープした僕は、いつもどおり旧校舎の屋上にいた。

 穏やかな春の日差しの下、持ち込んだヨガマットの上に寝転んでお気に入りの音楽を聴くのが、味気ない学校生活における唯一の楽しみだった……はずが。

「はぁ、またかよ……」

 終業のチャイムが鳴ったすぐ後、イヤホン越しに“雑音”が響いてきた。誰かが階段をバタバタと上ってくる足音が。

 顔をしかめつつ給水塔の陰へ隠れると同時、錆びついた鉄扉がギギギーと重たげな音を立てた。

 現れたのは、新入生らしき一組の男女だ。

 しかし、まだ真新しい制服に身を包んだ彼らが、いったいなぜ旧校舎の屋上などという寂れた場所を訪れるのか?

 それは去年から流れ始めた一つの噂話のせい。

『旧校舎の屋上には“縁結びの幽霊”がいる。だからここで告白すれば成功する』

 ……という非常にバカバカしい内容。もし本当に幽霊がいたとしても、この状況をさぞかし迷惑がっていることだろう。

 当然、ここを根城にしている僕自身はいわずもがな。

 ただ最近はそんな展開にもすっかり慣れて、彼らの繰り広げる恋愛模様を純粋に愉しんでいたりする。いざカップルが成立して、そのままラブホレベルでイチャつかれたときには本気で困ったけれど。

 さて、今回の二人はいったいどうなることやら……と思いながら、給水塔の陰からそろりと頭を出してみると。

「――ルイさん、好きです。俺と付き合ってください!」

「ごめんなさい!」

 ……秒殺だった。

 生温い春風が、二人の間をぴゅうっと吹き抜ける。

 告白した男子はなかなかのイケメンだ。紺色のブレザーを着崩した、ちょっと悪そうないでたちの茶髪君。

 彼は断られるとは微塵も思っていなかったのか、「どうして?」としつこく食い下がる。

 一方、じりじりと追い詰められ、西日の当たるフェンスへ背中を押しつけた女子は――

「ごめんなさい、私、誰ともお付き合いするつもりはないんです……」

 彼女の横顔を見た瞬間、心臓がドクンと高鳴った。

 まるで天使みたいに可憐な少女だった。

 背中まで伸ばした柔らかな栗毛に、陶器のような白い肌。どこか外国の血が混じっているんだろう、西洋人形を思わせる整った面立ち。

 そして、ブレザーのリボンを押し上げる豊かな胸と、細い腰、すらりと長い脚。

 彼女を象るパーツのすべてが、男を誘う甘い毒となる。

 遠目に眺めている僕でさえドキッとしてしまうくらいだ。傍にいる茶髪君の鼻息は荒くなるばかり。

 この展開はさすがにまずいかも、と思ったとき――

「やめてください……ッ」

 容赦なくフェンスに『壁ドン』された彼女が、ついに悲鳴をあげた。

 ……こういう揉め事に関わるのは避けたいんだけど、しょうがない。

 覚悟を決めた僕は、速やかにスマホで動画撮影。『婦女暴行未遂』の証拠をしっかりと抑えた後、男を止めるべく立ち上がろうとしたのだが。

「――分かりました、本当のことを言います。貴方とお付き合いできない理由を……」

 乾いた風の中に、彼女の声が響いた。

 今までとは別人みたいに凛とした声だ。頑なに男を拒んでいた手のひらは降ろされ、伏せていた顔もスッと持ち上がる。

 それは、逃げの一手から攻撃へと転じる合図。

 彼女をおとなしいばかりの子だと思っていたのだろう、茶髪君は気圧されたかのように一歩身を引いた。

「ルイ、さん……?」

「先に約束してくれませんか。この話は誰にも言わないって」

「あ、ああ、分かった」

「もし他の人に漏らしたら、命がないと思ってくださいね?」

「えっ……?」

「でも大丈夫です、ご希望でしたら記憶を丸ごと消してあげますので……ふふっ」

 蠱惑的な笑みと、桜色の唇からキラリと輝く八重歯。

 とまどう茶髪君に対し、野生動物のようにしなやかな動きで、彼女は大きく一歩前へ。

 彼の肩に手を添え、踵をグッと持ち上げて約二十センチの距離――今にも唇が触れそうなほどの距離まで近づくと、潤んだ瞳で絡めとるように茶髪君を見つめて。

「実は私、普通の人間じゃないんです――吸血鬼なんです」

 ……。

 ……。

 ……うわぁ。

 あまりにも斜め上な展開に、思わずスマホを取り落しそうになる僕。

 当事者である茶髪君のショックは、その何倍も大きかったようで。

「いや、えっと……俺そういうデンパっぽいの、ちょっと無理かも……」

「では約束通り、この話は忘れてください。できれば私の存在そのものを忘れてほしいです」

「分かった、忘れる! じゃあ今後はお互い赤の他人ってことで!」

 びゅんっ、と風よりも早く逃げ去った茶髪君。

 一人残された少女は、雨ざらしの埃っぽい床にペタンと座り込み、「ふはぁぁぁ……」と深いため息を吐いた。

 このため息は、貞操の危機を免れた安堵によるものか、それとも己の言動の『痛さ』のせいか?

 なんて失礼なことを考えつつ、スマホの動画アプリをそっと閉じた僕の耳に、凍てつく氷のごとき声が突き刺さった。

「――そこにいるのは誰ッ?」

 ……やばい、バレてた。

 十メートルほど先にいる彼女が、憎々しげにこっちを見やり、ゆらりと立ち上がる。

 観念した僕は、降参する犯人みたいに両手を挙げつつそちらへ歩み寄り、一メートルの距離まで接近。

 ここまでくれば彼女の表情は丸わかりだ。

 たぶん彼女はものすごく怒っている。目尻はキッとつりあがっているし、頬は真っ赤だし、制服のスカートに押し付けた手は握りこぶしになってるし。

 もしやコレは「覗き見だなんて最低!」とか言って殴られるパターンかも……?

 と、いかにもラノベっぽい展開を想像した僕は、慌てて言い訳を。

「ちょっと待って。悪いけど僕のことを責められても困るよ。先にここでくつろいでたのは僕の方。後から来た君たちが、勝手にああいう“面白い話”をし始めたわけで」

「お、面白いって……」

「ああ、ゴメン。アレを面白がった時点で完全な第三者とは言えないよね。その点については謝るけど、さすがに覗き魔扱いするのは勘弁してほしい」

「……ッ、ど、どこからどこまで聞いてたんですかっ?」

「最初から最後まで。しかし最高だったなぁ、あの断り文句。まさか『吸血」

「――もう結構です!」

 羞恥心の針が振り切れてしまったのか、彼女はよく知りもしない謎の先輩の懐に飛び込んできた。茶髪君に詰め寄ったときと同じく、僕らの距離は二十センチへ急接近。

 そうして、吐息が感じられるほど密接した状態で、彼女はさっきと同じことを言った。

 トパーズみたいに煌めく瞳を細めて、僕をギリッとねめつけながら。

「この話は忘れてください! というより、私の存在そのものをスッキリサッパリ忘れてほしいです!」

「ゴメン、無理」

「なッ、私の言葉、通じない……?」

「忘れてあげたいのはやまやまだけど、あんな衝撃的なネタ、簡単には忘れられないよ。だって『吸血鬼』だよ? そういうの世間的には『中二病』っていうらしいけど」

「ちっ、違うわ、私はそんなんじゃ!」

「今さら取り繕わなくてもいいって。僕はそういうキャラ作りもアリだと思う。なんか人生楽しそうだしさ」

「うるさい、もう黙って!」

「ゴメン、もう何も言わないよ。でも最後に一つだけお節介させてほしい。ああいう“痛い理由”で男を振ってると、最初は面白がられるだろうけど、そのうち本気で君を貶めるような悪評が立つかもしれない。だからせめて『彼氏がいる』とか、もうちょっと当たり障りのない断り文句を考えた方が……って、あれ? どうしたの?」

「もうやだ……このひと、なんで私の言うこと、きいてくれないの……?」

 気づけば彼女の瞳には、今にも零れ落ちそうなほどの涙が浮かんでいた。

 僕が慌ててハンカチを差し出すと、彼女はそれを乱暴に奪い取ってごしごしと目元を拭い、くぐもった低い声で言い放った。

「今日のことは忘れて! 命令よ!」

 充血して真っ赤になった苛烈な瞳は、まさしく血に飢えた吸血鬼。

 人間離れした鋭すぎる眼光に射抜かれ、いたいけな子羊と化した僕は「なるべく忘れます。あとこの件は誰にも言いません」と約束させられた上で、ようやく二十センチの距離から解放されたのだった。


 †


「……で、“学園のアイドル”が、どうしてこんな寂れた場所にくるのかな?」

「あら、それは誰のことかしら?」

 僕の嫌味をさらりとスルーした彼女は、ヨガマットの右半分のスペースを容赦なく奪い取り、プリーツスカートの裾を気にしつつ三角座り。そして傾きかけた西日に目を細めながら、猫のようにうーんと伸びをする。

 あれから彼女――ルイは、僕の隠れ家こと旧校舎屋上へたびたびやってくるようになった。

 最初は僕から奪い取ったハンカチを返すために。その後は“とある目的”を見つけて……人目を避けつつこっそり通ってくる。

「先輩、少しだけ寝かせてくれない? こういう暑い日は苦手なの」

 あくび混じりに呟き、僕の右肩にコテンと頭を乗せるルイ。

 ワイシャツ越しにじわりと感じる熱を振り払うように、僕はわざと冷たい口調で告げた。

「眠いなら保健室行けよ……ていうか、君にはもっと他にやることがあるだろ? せっかく高校生になったんだし、部活入るとか友達と遊ぶとかさ」

「……そういうの、うっとうしい。少なくとも私には楽しめない」

 長い睫毛を伏せたまま、ボソッと愚痴を零すルイ。こういう捨て猫みたいな顔をするから、僕もルイのことを追い出せなくなる。

 それに、皆と交われないのは僕も同じだ。

 高校に入学してわずか一週間で、僕はクラスからはじき出された。居場所はここか保健室のどちらかしかない。

 まあ僕自身も独りでいる方が気楽だし、学校に通いさえすれば親も安心するから、別に不満はない。

 でもルイは、僕とは違う。

 特別容姿が整ってるってことを除けば、ごく普通の女の子なんだ。

「あのさ、ルイはもっと」

「――あっ、来たわ! 先輩こっちへ!」

 突然ガバッと跳ね起きたルイは、給水塔へダッシュ。僕もヨガマットを小脇に抱えてしぶしぶ後を追う。

 ルイは僕の百倍くらい耳がいい。

 数分後、ルイの待ち望んだ未来が訪れる。パタパタと階段を上がってくる足音の後、錆びついた鉄扉が開かれて――現れたのは、顔をほのかに赤らめた男女二人組。

 茶髪君がこっぴどく振られたことはまったく噂にならなかったようで、未だに『縁結びの幽霊様』を信じてここへやってくるヤツが後を絶たない。

 今回の二人も、盗み聞きしている僕が身悶えするほど熱烈な告白をぶちかました結果、見事両想いになり、ついでにたっぷりイチャついて帰っていった。

 ギギギー……と鉄扉が閉まる頃にはすっかり日も暮れていて、僕は再びため息を。

「はぁ……疲れた」

「はぁ……今回もすごかったわ」

 右隣から、似たようなため息とともにベクトル正反対な感想がもたらされる。

 チラッと横目に見やると、そこには恍惚とした表情で頬を染めるルイがいた。この顔にアンニュイな吐息が重なると、エロい意味での破壊力が抜群。

 でも、コレにももう慣れた。

 可憐な容姿にドキドキしていた時期は一瞬で過ぎ去り、今や危なっかしい妹を見守る兄のような気分だ。

 ルイに巻き込まれるかたちで『覗き魔』をした後には、寸評を述べ合うのが恒例行事。

「……ねぇ先輩、私思うんだけど、もうこれって部活動みたいなものじゃない? だから正式な同好会を立ち上げましょうよ。マンウォッチング同好会、もしくは恋愛研究会あたりでどう?」

「いや、どう考えても『覗き同好会』だろ」

「そんなことないわよ。先輩にとってはただの覗き行為かもしれないけど、私は真面目に研究してるもの」

「へー、いったい何を研究してるって?」

「心理学よ。人はなぜ恋をするのか……これは永遠に解けない謎だわ」

「それが建前だとして、本音は?」

「だって面白いじゃない? 『人を好きになる』って感情がまったく理解できない私にとっては、彼らがあんなことで一喜一憂してるのが」

「……その手の発言をうっかり教室でしないようにしろよ。一応学園のアイドルなんだから」

「アドバイスありがとう、学園の幽霊さん」

「なんだよ、それ」

「噂が流れてきたのよ。旧校舎の屋上には幽霊が住んでるって。教室で浮いて浮いて浮きまくった結果、屋上に住みついた幽霊さんがいるんだって」

「それが僕?」

「ええ。それに、貴方には誰一人触れたくても触れられない……そうでしょう?」

 僕を試すような台詞をさらりと言い放ち、クスクスと愉しげに笑うルイ。無邪気すぎるその笑顔に、僕は怒る気力を根こそぎ奪われる。

 確かにルイの言う通り。僕の存在は幽霊と変わらない。

 この一年間、誰一人……教師もクラスメイトも、血を分けた家族でさえ僕には触れていない。

 その理由は明白で。

「昨日ニュースでやってたわ。先輩の病気……この国でも増えてきたって」

「そっか」

 僕は夕暮れの空を見上げながら、家族のことを思った。

 ほんの一年ちょっと前まで、僕らは普通に暮らしていたのに……憧れの高校に受かった直後、僕は突然病魔に侵された。

 世界的に広まりつつある、原因の分からない未知の病。発症してから早くて数年で、急速に身体が弱って死に至る。

 僕がその病気だと分かってから、新聞や雑誌の切り抜き、医学誌の論文、ネット上の噂話と、ありとあらゆる情報を掻き集めては、毎日泣き暮らす母親。そんな母と僕を支えるために黙々と働き続ける父親。

 僕には何もできない。ただ作り物の笑顔を浮かべて「行ってきます」と学校へ通うことしかできない……。

 この悔しさにも、もう慣れた。

「まあ今のところ僕は元気だし、病気っていっても自覚症状がないから、痛くも辛くもないのが不幸中の幸いかな」

 つとめて明るい口調で言うと、ルイも笑顔を取り戻して。

「そうね、楽しい部活をつくって、可愛い後輩もできて、先輩は幸せ者よね」

「……うん、まあ、そーかもね」

「でも先輩ってパッと見は全然病弱に見えないわ。それに雰囲気は地味だけど顔もそんなに悪くもないし、意外と頭もいいし、性格もちょっとお人好しなくらい優しいし、事情を知らない人には普通にモテそう」

「ありがとう。ついでに言うと、中学までは野球部のエースだった」

「非の打ちどころがないじゃない。もう恋愛なんて飽きるほどしてきたんでしょ? さあ何があったか全部吐け!」

「ご期待に沿えず申し訳ないけど、中学までは部活と勉強だけで手一杯。……まあ、友達はそれなりに多かったけどさ」

 病気だと分かったとたん、僕を包む世界は一変した。

 建前上、この病気が他人に感染することはないとされているし、学校という公共の場であからさまに差別されることはない。

 でも本音は違う。皆は僕を恐れている。

 血液や唾液が触れるのはもちろん、ただ手を触れただけでも移るんじゃないか、同じ教室の空気を吸っただけでも……。

 そんな疑心暗鬼が僕をここへ追いやった。僕は『旧校舎の幽霊』に仕立て上げられてしまった。

 ただ不思議とそれを責める気持ちはない。

 もしも逆の立場なら、僕もそうしていたと思うから……。

「避けられるのは当たり前だよ。みんな、死ぬのは怖いんだ」

 ポツリと落とした僕の弱音は、ルイの明るい声によってすぐにかき消される。

「あら、私は怖くないわよ? そもそも人間なんていつ死ぬか分からないのに、それを恐れるなんて馬鹿げてるわ」

「……本当にルイは変なヤツだよなぁ。やっぱりアレか? 不死身の『吸血」

「――もう、その話は忘れてって言ったでしょ!」

 というやりとりが、僕らの定番。

 暗い雰囲気がぶち壊しになって、僕はつい笑ってしまう。

 子どもみたいに拗ねる“中二病”のルイは本当に可愛くて……その横顔に僕は触れたくなる。ぷうっと膨らんだ頬をツンとつついてやりたくなる。

 だけど、やらない。

 僕はもうこの世界に何も望まない。

 ただルイが、こうしてニ十センチの距離にいてくれるだけで、充分だ。


 †


 それから、季節は夢のように過ぎ去った。

 ルイがことさら不機嫌になる暑い夏が終わり、屋上からの眺めが絶景になる紅葉の秋がきて、凍てつく北風が吹くようになっても……僕とルイの関係は変わらなかった。

 北欧生まれのルイは冬にやたらと強くて、寒さのあまり保健室へ避難したがる僕を「軟弱者!」と叱っては、その温かい腕で包み込むようにギュッと抱きついてきた。

 異性とのスキンシップに慣れていない僕が、顔を火照らせてしまうのを分かっていて、くだらない悪戯をしかけてくるのだ。

 そんな悪戯ごときじゃ耐えられないくらい冬が深まると、ルイは屋上に分厚いダンボールと電気毛布を持ち込み、本物の隠れ家を造った。

 直径約二メートルの巨大なダンボールハウスは、給水塔の陰からはみ出してしまうけれど……春から夏にかけて生まれた『縁結びの幽霊様』ブームはとっくに終わっていて、屋上には誰も来なくなったから、その隠れ家が誰かの目に留まることはなかった。

 誰も来なくなって、もう『覗き同好会』の活動はできなくなったのに、ルイは変わらずここへやってくる。

 ときおり弱気になる僕を、明るく笑い飛ばしては、遠慮なく『湯たんぽ攻撃』を仕掛けてくる。

 僕の方の武器は、もうない。

 その頃には、ルイも吸血鬼ネタくらいじゃ怒らなくなった。根が単純なルイは、クラスの女子たちに吸血鬼キャラを隠せなくなってきたのだ。

 とはいえ、あくまで清楚な美少女の仮面はつけたままなので、『吸血鬼マニアのちょっと変わった子』というのが周囲の認識。学園のアイドルの座が揺らぐことはないし、むしろ親しみやすさが増して人気が上がったようだ。

 すっかりいじられキャラになったルイは、親しい女友達への愚痴とともに、吸血鬼一族だけの“秘密”をポロポロ漏らすようになった。

「――ちょっと聞いてよ先輩! 皆は誤解してるのよ! 吸血鬼にとって血を吸うって行為はすごく重たいことなのに、私がちょっと怒ると『きゃー、血を吸われちゃうー』とかね……もう信じられないっ!」

 薄暗いダンボールハウスの中、僕の右隣に三角座りしたルイがキャンキャンと吠える。電気毛布にすっぽりくるまった僕は、苦笑しつつ尋ねた。

「じゃあルイは今まで血を吸ったことって……」

「あるわけないでしょ! ニンゲンに例えるなら、それは普通のせ……性行為……よりもずっと重たいことなの! 結婚よりもずっとよ! 永遠に一緒にいましょうってことなんだからね!」

 顔を真っ赤にしてわめくルイの口元で、白い八重歯がキラリと光る。

 人より少し鋭いその八重歯は、まさしくルイが中二病を患った原因。

 ルイが生まれ育った国では、八重歯があまり好意的に見られず、同年代の男の子たちから『吸血鬼の歯』と言われて酷いいじめを受けたそうだ。

 対して、母方の実家があるこの国では、八重歯はチャームポイント。

 そのカルチャーギャップに、ルイも最初は戸惑ったらしい。いじめられっこが突然モテまくるんだから、驚くのも当然だろう。

 高校生になった今も、ルイはまだ過去のトラウマから抜け出せていない。自分のことを吸血鬼だと思い込んだままだし、自分をいじめた『ニンゲンの男』にも一切興味が持てずにいる。

 だけど……最近ルイは少し変わった気がする。

 出会った頃に比べて雰囲気がやわらかくなった。少しずつ雪解けが進んでいるんだろう。

「そういえば、ルイには“そういう相手”、できないのか?」

 妹を心配する兄貴の顔をしてさらりと尋ねると、ルイはきょとんとした顔で小首を傾げて。

「そういう相手って?」

「だから、その……血を吸うほどじゃなくても、そこそこ気に入ったヤツはいないのか? 例えば一緒にクリスマスを過ごすような」

 もしルイにそういう相手が現れたなら、僕は全力で応援するつもりだ。もしルイが望むなら、このダンボールハウスを明け渡して、僕は保健室に引っ越してもいい。

 そんな決意を胸に返事を待っていると、ルイはあからさまに不機嫌そうな顔で僕を睨んで。

「先輩は何も分かってない。今私が置かれてる状況を知ってたら、そんな質問するはずがないもの……むかつく!」

「いや、いきなりキレられても困るんだけど……」

「先輩、お昼は保健室で食べてるんでしょう? 保健のアヤ先生あたりから、私の噂話って流れてこない?」

「まあルイは人気者だし、話題に出ることもあるけど、そんなに詳しくは知らないよ」

「それでは私からきちんと説明しましょう。半年くらい前に、先輩が『幽霊』って言われてるって話したの、覚えてる?」

「ああ、そんなこともあったね」

「あれから先輩は徳を積んで、最近『神様』に昇格しました」

「……は?」

「だから、先輩は皆から神様みたいに思われてるのよ」

「……なんで?」

「先輩もたまに、クラスの用事で教室行ったりするでしょ? あとは保健室にも行くし通学路も通るし。そこで顔を合わせた皆にちゃんと挨拶したり、すごく気配りするから、密かに尊敬されまくってるわけです」

「……そっか、それは気づかなかった。単に怖がられてるだけかと思ってた」

「去年まではそうだったかもしれないけど、今は違うわ。先輩を悪く言うひとはもういない。『病気が移る』とかそういう陰口言うような人、私大嫌いだし。実際何人か殴っ……ううん、なんでもない」

「今なんか不穏な単語が聴こえた気が……」

「とにかく! 先輩は意外と人気者だってことを自覚してください。そもそも顔がよくて頭もよくて優しいんだから、基本的にはモテるんです。特に女の子は母性本能をくすぐられるって……まあ、私にはよく分からないけど」

「僕にもよく分からないけど……嫌われてなかったってことは、素直に嬉しいよ」

「それじゃ、次は私の話です。先輩が神様だとしたら、私は何だと思いますか?」

「吸血鬼だろ?」

「違います、『巫女』です。私は神様と会話できる特殊能力アビリティを持ってるんだって。すごいでしょ?」

「はぁ……」

「ということで、最初の質問に対する答えを言いましょう。いくらクリスマス前で世間が浮かれていようとも、清らかな『巫女様』である私をそういう不埒な目で見てくる男子はいません。分かりましたか?」

「はい、よく分かりました……」

 ペコリと頭を下げると、ルイはなぜか僕の頭を「いいこいいこ」と撫でてきた。

 伸ばし放題の癖毛がぐちゃぐちゃになるけれど、僕はルイの好きなようにさせてやる。

 というか、今は顔を上げることができない。『湯たんぽ』をされたときよりもずっと頬が熱い。

 ……ルイが、僕を守ってくれていた。

 僕の知らないところで、僕への陰口を止めようとしてくれていた。

 そのために人を殴ったというのはちょっとやりすぎだと思うけど、それでも嬉しい。泣きたくなるほど嬉しい。

「あのさ、ルイは何か欲しいものって、ない?」

 顔を上げられないまま、僕は尋ねた。

 ただ生きているだけで不幸を撒き散らす『疫病神』の僕にも、何かできることがあるんじゃないかと思った。どうしてもルイにお返しがしたくなった。

 なのに、ルイは僕をからかうようにクスッと笑って。

「先輩こそ、ルイサンタにお願いごとはないの?」

「ないよ。僕はなにも要らない。ルイは?」

「そうね……ちょっとだけ欲しいものがある気がするけど、今はまだいいの。もう少し様子見する」

「なんだよ、もったいぶらなくてもいいのに」

「本気で欲しくなったら言うわ。たぶん、卒業祝いでおねだりするかも?」

「じゃあルイの卒業式には、真っ赤なバラの花束を持って駆けつけるよ」

 そんな軽口を叩いた僕に、ルイは「恥ずかしいからやめて」と本気で嫌がって、その後は意味もなく笑いあった。


 ――あと二年と少し、僕は生きていようと心に決めた。


 †


 春になり、僕はあたりまえのように留年した。これで三度目の一年生だ。

 ルールとしては六年まで留年できるし、無理して学校に通わなくてもいい、ずっと保健室にいても構わないと、新しい担任教師はどことなく嘘くさい笑顔を浮かべながら説明した。

 ルイは、二年生になった。

 何も知らない新入生が、天使のように可憐な先輩に一目惚れするたびに、学校はざわざわと揺れ動いた。

 でもその騒動は、春風とともに桜が散り去るころには落ち着いてしまう。不思議なことに、誰もがルイを見ているだけで満足するようになる。

 なのに、僕は違った。

 ルイがことさら不機嫌になる暑い夏も、屋上からの眺めが絶景になる紅葉の秋も、凍てつく北風が吹くようになっても……ルイを見ているだけでは満足できなかった。

 いつだって、僕はルイに触れたかった。陽光を受けて煌く栗色の髪や、ふっくらとした白い頬や、紅をさしたような赤い唇に。

 僕がもう少し生きることを諦めていなければ、きっと触れてしまっていたと思う。

 でも僕には分かっていた。

 そう遠くない未来にこの指は腐り落ちる。触れてしまえば、ルイの心に醜い爪痕を残してしまう。

 黒く塗りつぶされた僕の未来に、ルイを巻き込むわけにはいかない。

 ただ寄り添って、笑いあったりするだけの優しくて穏やかな時間……それが僕にとってのささやかな願いであり、微かな希望の光だった。

 でも神様は、それさえ許してくれなかった。

 その冬はことさら寒くて、ついに僕は学校へ通えなくなった。日増しに弱っていく身体が凍てつく北風に耐えられず、常に熱が出るようになり、精密検査と称して特殊な病院に押し込められた。

 そこは完全な無菌室。

 僕は未知のウイルスに侵された病原体として、白いシャーレみたいな病室の中でうごめきながら過ごす。

 ルイはそんな僕に平気な顔で会いに来た。

 分厚い窓ガラスの向こうから屈託なく笑いかけて、今日学校で何があったとか、最近見た映画や本の話とか、思いつくまま一方的に喋り続けて……最後はガラスに唇を押し付けて帰るのだ。わざわざピンク色のリップを塗って。

 それをこすり落とすのが日課になった看護師のお姉さんは、「独り身の私の前であんまりイチャつかないように!」と言って、楽しそうに、少しだけ悲しそうに笑った。


 そうして冬が終わり、ルイと出会ってから三度目の春がやってきた。

 でも僕は学校に通うことができなかった。

 いつの間にか、起きているより眠っている時間のほうが多くなっていた。


 †


「先輩……?」

 耳元で、誰かが囁く声がした。

 重たい瞼を持ち上げると、そこには少しだけ大人びたルイの姿があった。

 紺色のブレザーに、丸襟のブラウス、胸元には青いリボン。すっかり見慣れた制服姿だというのに、微かな違和感を覚える。

 ……そうだ、ここは無菌室。僕に近づけるのは医者だけだ。

 怪訝に思った僕が軽く眉を寄せると。

「どうしてこんな時間に来るのかって、不思議に思ってるんでしょう? 別に学校をサボったわけじゃないわよ? 今日は学校終わるの早かったの」

 と、どこか的外れなことを言いながら、ルイは右手に持った丸い筒を掲げてみせた。

 卒業証書だ。

 永遠に手にすることのできないそれが、僕の目にはことさら眩しく映る。

 結局僕は高校一年生のまま人生を終えるのだ。律儀なルイが「先輩」と呼んでくれていた夢のような時間も、今日でおしまい。

「それにしても、今日は先輩が花束を抱えて校門で待っててくれると思ったのに、当てが外れちゃったわ」

 ぷうっと頬を膨らませたルイの姿が、浮かんできた涙で霞む。

 ゴメンと謝りたいのに、今すぐ花束を買いに行きたいのに……僕にはもう何もできない。

 こんな悔しさには慣れ切っていたはずなのに、喉から苦しげなうめき声が漏れてしまう。こんな顔はルイに見せたくないのに、顔を背けることすらできない。

 だけどルイには、僕の気持ちなんてすべてお見通しだった。

 猫みたいにしなやかに……あたりまえのように二十センチの距離まで近づいたルイは、僕を包む白いシーツをめくって、骨と皮だけになった手をそっと握ってきた。

 触れあった手のひらから、春の陽だまりみたいな熱が僕の中に流れ込んでくる。消えかけていた蝋燭の炎が、ひとときだけ赤々と燃え上がる。

 ……きっとこれは神様がくれた、僕への最後のご褒美。

 僕の表情が穏やかになるのを見届けた後、ルイは白い八重歯を覗かせながら、いたずらっ子みたいにクスッと笑って。

「ねぇ先輩、あの日の約束覚えてる? 私、卒業祝いが欲しいな」

 なんでもいいよ。

 僕があげられるものなら、なんでもいい。全部ルイにあげるよ。

「その前にちゃんと告白するわ。先輩はちっとも信じてくれなかったけど……私は、本物の吸血鬼なの」

 ああ、知ってたよ。

 僕はずっと君の傍にいたからね。

 夜になるとその瞳が紅く輝くのも、ちょっとだけ十字架が苦手なのも、にんにくを見て眉をしかめていることも。

 ときどき周りの人たちに、不思議な“魔法”をかけてるってことも……。

「まだ眠っちゃダメよ。一度しか言わないから、ちゃんと聴いてね?」

 そこで一旦言葉を途切れさせたルイは、コホンと咳払いをして、居住まいを正した。

 そして、僕の手を強く強く握りしめて――


「……私は、先輩のことが好き。これからもずっと傍にいてほしい。だから――貴方の血を、頂けませんか?」


 そう言って、色素の薄い瞳を細めながら彼女はふわりと微笑んだ。

 まるで花が綻ぶような、可憐な笑み。

 何もかもを諦めてしまった、空っぽな僕の心に、その笑顔がすうっと染み込んでいく。

 僕は返事をしようとしたけれど、どうしても声が出なかった。

 だから口の端がかすかに持ち上がるだけの、精一杯の笑顔を返して――ゆっくりと、目を伏せた。


読んでくださってありがとうございます。二人がその後どうなったのかは、読者様のご想像にお任せします。

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