【 Section 54.変容 】
《1998年12月21日 10:50AM エルハイト市内 第六検死研究所》
それは敵意。あるいは、殺意。
ひざまずいたまま混乱する思考の糸を束ねようとしていたロベルト・シュルツに、背後から襲いかかる者があった。
背後の空気が動いた気がして反射的にふり向いたシュルツは、
「――――ッ!」
降りかかってきた打撃を右腕で受け止めた。
戛然と響く音。振り下ろされた鉄製スパナと、シュルツのロボット義肢が瞬時の音を響かせた。
シュルツは目を疑った。
「貴様…………?」
「てめぇ! 死ねっ」
一四〇センチ足らずの小柄な子供が、鉄製スパナを持ってシュルツに襲いかかってくる。クリス・メグレーだ。
「何のつもりだ、やめろ」
「うるさい、死ね! お前なんか死んじまえ」
がむしゃらに凶器を振り回して、クリスはシュルツめがけて飛びかかってきた。
「この人でなし! クソやろう!!」
「……うるさい!」
苛立ちに任せて、シュルツは生身の左脚でクリスを蹴り飛ばした。小柄な体躯が、背中から棚に突っ込む。棚がぐらぐらと揺れ、棚の上の工具が床に落ちてきた。シュルツは工具からクリスをかばいながら、胸ぐらを掴んで引きずり上げた。
「貴様、何のつもりだ」
「――――く、ぅう」
歯を食いしばった少年は、渾身の力を込めてシュルツのみぞおちを蹴り飛ばした。うめくシュルツの腕から逃れ、生身の左手に思い切り噛みつく。少年はシュルツの腹に飛びかかり、仰向けに突き倒して腹の上に乗り上げた。
どうしてこんな子供と争っているのか、シュルツには訳が分からなかった。
「ちくしょう……どうして……お前なんだよ」
怒りに燃える眼差しで、クリスはロベルト・シュルツを見下ろしていた。その大きな瞳に、つぅ――と、ひとすじの涙が流れる。
ロベルト・シュルツは沈黙したままクリスを見上げていた。
腹の中の憎しみを全部吐き出すような激しさで、少年は叫んでいた。
「お前じゃなきゃ。お前じゃなきゃ、マリアはダメなのに。どうしてお前はそんなにクズなんだよ!!」
どうしてお前は、マリアを一人ぼっちにするんだよ。――そうつぶやいて、クリスは嗚咽し始めた。
襟首を掴まれていたシュルツは、少年の手を振りほどこうかとも思った。だが、そうしなかった。
「クリス。マリアは、お前のところにいるのか?」
「もういない。故郷に帰るって言ってた」
「故郷だと?」
シュルツの襟首をつかんでいた両手を放し、クリス・メグレーはジャケットの中から小さな機械を取り出した。
シュルツには、その機械に見覚えがあった。
それは、クリスがいつも連れている友達ロボットROBYの居場所を表示するための追跡端末だった。
「ロビィには、マリアから離れないように言ってある」
クリスは追跡端末を、シュルツの胸に押し付けた。
「だから、とっとと追いかけろ!」
シュルツは立ち上がっていた。だがそれは、クリスに追い立てられたからではない。階上で、別の誰かの物音が聞こえたからだ。
「……どうしたんだよ?」
顔色の変わったシュルツを見て、いぶかしそうにクリスが首を傾げる。
「誰かが来た」
「え?」
「隠れていろ」
シュルツは部屋の一角にあった大きな木箱にクリスを放り込んで、倉庫を出た。
階段を駆け上り、玄関ホールへと駆ける。ホールの中央でシュルツを待ち構えるように立っていたのは、二体の亜ヒト型ロボットだった。まるで中世の甲冑を思わせる、鈍色に輝く金属製の体躯――それは、当局専用ロボットI-05-31-PRIMUSだった。捜査官を伴わずにPRIMUSだけがこの研究所を訪れたのは、初めてだった。
シュルツが現れるや、二体は恭しく頭を垂れた。
「……ドアフォンも鳴らさず勝手に入ってくるとはな。当局のロボットは、いつからそんなに無作法になったんだ?」
薄く笑って嫌味を言っても、相手は無表情にこうべを垂れたままだった。
その静けさが、不気味だ。
シュルツはPRIMUSたちの足元を見た。
一体の亜ヒト型ロボットが、胴体を破壊されて横たわっている。旧式給仕ロボットのSULLAだ。シュルツは、思わず顔を強張らせた。
「私の給仕ロボットを破壊するとは。どういう了見だ」
険しい声で問うと、
『彼は、私どもに非協力的でしたので』
PRIMUSたちがそう答えた。
不吉な緊張感が、シュルツと彼らの間を埋める。
『彼は、私どもを侵入者とみなして、警察への通報信号を送ろうとしました。事を荒立てたくはないのです。私どもは、貴方に危害を加えるつもりなどありません。また、実際に危害を加えることなどできません――第一条が、我々の行動を規定しています』
もう一体が、言葉をつづけた。
『私どもの主人は、ロボット危機管理局局長ダリウス・ヴォルフです』
PRIMUSたちはひざまずき、甲冑のような顔をまっすぐにシュルツへ向けた。
『私どもは、トマス・アドラー博士の指示のもと、局長命令によってこちらへ参りました』
――トマス・アドラー博士の、指示のもと?
シュルツの背筋が凍るのと、PRIMUSが次の言葉を発するのとは同時だった。
『ロベルト・シュルツ検死官。私どもは主人から、IV-11-01-MARIA回収の役目を仰せつかっております。IV-11-01-MARIAの管理者である貴方にも、ご同行願いたく存じます』
「何を言っている!」
シュルツは声を荒げていた。
「君達の要件が理解できない。そのようなロボットを、私は所有していない!」
『シュルツ検死官。私どもにとって、主人の命令は絶対です、どうか――』
PRIMUSが言い終わる前に、小柄な影が飛び込んできた。
「このやろう!」
クリス・メグレーが、無謀にもPRIMUSたちに飛びかかっていた。
「クリス!?」
「行け、シュルツ!」
三原則第一条の拘束を受けているPRIMUSたちには、クリス・メグレーに危害を加えることはできない。それを承知で、クリスはPRIMUSに飛びかかったのだ。大した足止めにならないことはあきらかだった。それでもクリスは、叫びをあげる。
「早く行け!」
ロベルト・シュルツは、脱兎のごとく駆け出した。
――IV-11-01-MARIAの回収だと?
飛び乗った車のアクセルを踏みしめる。
『トマス・アドラー博士の指示』。
『局長命令』。
『IV-11-01-MARIAの管理者である貴方』。
PRIMUSたちの言葉に翻弄されて、めまいを起こしそうになる。
――トマス先生は、何の目的でIV-11-01-MARIAを私に託した?
当局からIV-11-01-MARIAを隠すため、ではなかった。シュルツは恩師に欺かれていたのだ。トマス・アドラー博士は、“局長の命令”のもとに、IV-11-01-MARIAというヒューマノイドをシュルツに“管理”させたということになる。
――なんのために?
もしも。マリアが、波及性灼血によって周囲のヒューマノイドを破壊するための道具であるとするならば。トマス先生がそんな道具を完成させた意図は、どこにある? ヒューマノイドの大量破壊で、恩恵を受けるのは誰だ?
明らかではないか。トマス先生は当局に監視され、いまなお支配されているのだから。
「――くそっ」
シュルツは歯噛みした。クリスに渡された追跡端末は、エルハイト市周辺の広域地図を示していた。画面の中の赤い点が、エルハイト市から南東へ高速で移動していく。
『マリアは、故郷に帰った』――クリス・メグレーはそう言っていた。
鉄道だ。
マリアの居場所を示す点は、南東に走る鉄道の線路上を移動していた。
シュルツのもとで暮らす前、クレハ市で父を看病して暮らしていたと、かつてマリアは言っていた。
シュルツの車は、高速道路へ進入した。
目指すは、クレハ市。彼女がかつて懐かしそうに話していた、古都クレハだ。








