【 Section 25.繰り返し 】
《1998年11月12日 7:00AM エルハイト市内 第六検死研究所》
ロベルト・シュルツは、MARIAの記憶をまた消した。泣いて拒絶する彼女を再び突き放し、四日前と同じように言い争って、無理やり“繭”に入らせた。既視感どころではない。そっくりそのまま、繰り返しだった。
そして厄介な出来事というのは、どういうわけだか重なるものだ。
その日、ヒューマノイドの大量死が、エルハイト市で再び起きた。
十一月十一日。一回目の大量死が起きた四日後のことだった。
翌日になって、全部で三十二体の死体が、検死官ロベルト・シュルツのもとに届いた。前回同様、ほぼ同時刻に赤い蒸気を噴き上げて死亡したものばかりだという。
「ちくしょう、何だってんだこれは。勝手にボロボロ死にやがって!」
補佐用の亜ヒト型ロボット二体を引き連れて死体を運んできたブラジウス・ベイカー一等捜査官が、忌々しそうにそう言った。
「あぁ、うざってぇ。蠅みてぇなマスコミどもが、大喜びで集りに来やがる」
悪態をつきながらベイカーは去っていった。
整然と並べられた死体を見下ろしていたロベルト・シュルツは、死体をひとつ抱き上げた――ずしりと響く、死体の重み。
地道に一体ずつ調べていくしかない。順繰りに、シュルツは検死を行っていった。
* * *
《1998年11月13日 0:30AM エルハイト市内 第六検死研究所》
ロベルト・シュルツは十七時間、ほとんど休まず検死をつづけた。
それでもすべての検死を終えたときには、すでに日付が変わっていた。
「はぁ――……」
長い長い息を吐く。鉛のように重たい息だ。
検死の結果は、前回とまったく同じだった。
三十二体の“心臓”は、いずれも調圧弁が全開になって破損している――にもかかわらず、頭脳には三原則逸脱につながり得るような記憶はまったく保存されていない。
疲れと眠気に打ちのめされそうだった。シュルツはぐったりして、休憩室の椅子に腰かけうなだれていた。
分からない。なぜ昨日、二度目の“大量死”が起きたのだろう? 大量死のメカニズムは何なのだろう?
「…………何が起きているんだ」
MARIAの“愛情”。ヒューマノイドの“大量死”。訳の分からない出来事が次々降りかかってきて、シュルツは翻弄されるばかりだ。
――当局に呼び出されるのは、明日だというのに。
結局シュルツはまだ何ひとつ、まともな仮説に至っていない。
昨日は書架に入ったものの、調べ物など手につかなかった。……IV-11-01-MARIAのせいだ。MARIAの“愛情”を消し去るために、ずいぶんと時間を浪費してしまった。
「――くそ、」
どうしてIV-11-01-MARIAが自分を愛するのか分からない。口もきかず目も合わさずに同じ敷地で暮らしているだけだ。愛されるようなマネは、何ひとつしていないというのに。
無意識のうちに髪を掻きむしっていたことに気づいて、シュルツはますます苛立った。
――自分らしくない。
ロボットの精神異常ごときに心を乱されるとは。愚かすぎて、自己嫌悪すら感じていた。
「………………昨日の処置は、最悪だった」
つぶやきながら、昨日MARIAに施した忘却処置を思い出す。
記憶の消去は、最小限が鉄則である。消し過ぎると頭脳全体が混乱に陥り、故障することさえあるからだ。――にもかかわらず、シュルツは昨日、広範囲な記憶消去をMARIAに施してしまった。専門家としてあるまじき、非常に雑な処置だった。二度と“愛情”が発生しないように、この一週間近くの記憶をほとんど消してしまったのだから。とんでもない醜態である。
「あんなに雑な処置をされたら、MARIAの頭脳は混乱をきたすに決まっている……」
飛び石のように断片化した記憶は、ロボットの精神回路を不安定にする。IV-11-01-MARIAは今後、この期間の記憶をたどろうとするたびにパニック発作を起こすだろう。
「……愚か者め」
まさかこの自分が、感情まかせにあんな稚拙な処置をしでかすとは。
焦りと苛立ちが隠せない。胸のうちからチリチリと焼かれるようだった。舌打ちをして、シュルツはテーブルに突っ伏した。
――そのとき。
こん、こん、という控え目なノックの音がした。
「失礼します。ドクター」
扉の向こうから、晴れやかな声が聞こえた。IV-11-01-MARIAだ。声を耳にした瞬間、シュルツの顔が大きくゆがんだ。
MARIAはしとやかな所作で入室し、花咲くようにほほえんだ。
「お仕事、お疲れさまです。コーヒーをお持ちしました」
彼女が手に持つ盆の上には、湯気立つコーヒーカップが乗っていた。
シュルツが凍ったように沈黙していると、
「? どうしたんですか」
MARIAは彼の様子を見て、ふしぎそうに首を傾げた。
――忘れているのだ。
ここ数日の記憶を失くしたIV-11-01-MARIAは、給仕をするため現れたのだ。検死後に休憩室でコーヒーを飲むのは、シュルツの日常習慣である。
「いつも遅くまで、おつかれさまです」
春の陽ざしのようにやわらかい、MARIAの声と笑顔。そのやわらかさが、かえって彼には不快だった。
IV-11-01-MARIAは、シュルツの横までやって来た。
――近寄るな。
息が詰まる。胸が痞える。気に障る。彼女が優しく振舞うほどに、苛立ちはますます強くなっていった。
シュルツの顔をそっと覗き込み、MARIAはこう言った。
「ドクター。おなか、減っていませんか?」
慈愛に満ちたMARIAの声。彼の体を気遣う“気持ち”がにじみ出ていた。
「お出ししておいてこんなこと言うのも変ですけど……。いつもコーヒーばかりだと、胃が荒れてしまいますよ? 良かったら、消化にいい食べ物も召し上がりませんか。お口に合うか分かりませんけど、チキンのスープも作ってみたんです。お持ちしましょうか?」
言いながら、MARIAはコーヒーカップをシュルツの前に置こうとした。
――やめろ。
カップが机に置かれる直前に。
シュルツは、彼女の手を叩き落としていた。
「あッ――!」
MARIAが小さな悲鳴をあげる。手からこぼれ落ちたコーヒーカップは、床に叩きつけられて破砕音をまき散らした。床の上に黒い水たまりが広がる。
シュルツの胸の内は、ちりちりと灼かれるようだった。
「ドクター……?」
突然のことに、MARIAは驚いたようだった。思考停止の状態で、目を見開いてシュルツを見つめている。
――やめろ。そんな目で見るな。
ロボットの分際で。
数秒ののち。悲しそうな顔をして、MARIAはシュルツに頭を下げた。床にひざまずき、割れたカップの欠片を拾い集めながら、うつむきがちに彼女は言った。
「わたし……少し、図々しかったですか? ごめんなさ――」
「黙れ」
氷の声で、シュルツは彼女を遮った。
「出ていけ。これ以上私に関わるな」
「!」
理不尽な拒絶。ロボット相手に、何をむきになっているのか……シュルツ自身にも分からなかった。
冷たく切り捨てられたMARIAは、茫然としていた。
しかし――。ぽつりと。
「いきなり……どうして、そんなひどいことを言うんですか?」
凍てつく寒さに凍えるように、MARIAの声はふるえていた。
「昨日までは、いつもみたいに優しくしてくれてたじゃないですか。なのに。なんで今日は、そんなに怒っているんです?」
“昨日”。“今日”。
記憶を消されたIV-11-01-MARIAは、時間感覚に混乱を来たしていた。
床にひざまずいていたMARIAは、立ち上がって真正面からシュルツを見つめた。
「理由を教えてください! わたしは、あなたに嫌われるようなことをしましたか? 今度からちゃんと改めますから」
シュルツは返す言葉を知らない。ただただ彼女を突き放したい。だから、いつまでも黙っていた。
“理由”を教えてくれないシュルツを、MARIAはさらに問い詰めようとした。
「お願いだから、教えてください……理由が思い当たらないんです。だって、昨日は……昨日までのあなたは――」
まるで頭痛に苦しむかのように、MARIAは額に手を当てた。記憶を辿ろうとしているのだ。
シュルツは、泥沼の中に放り込まれたような心持ちだった。
「……そもそも私は、ロボットが嫌いだ」
口から勝手に、そんな言葉が滑り出す。
「ロボットが嫌いだ。とくにヒューマノイドは――なかでも遺族用ヒューマノイド(メメントイド)は、死ぬほど嫌いだ。そんなものが近くにいると思うだけで、吐き気がするほど不愉快になる」
憎しみまじりの冷たい声だ。
殴られたような表情で硬直しているマリアをよそに、シュルツの言葉はとどまることを知らなかった。
「私は君とは関わりたくない。君のようなメメントイドを押し付けられることになった、我が身の不運が呪わしい。……そもそもメメントイドなど、この世に存在すべきではないんだ。まったく役に立たない挙句、所有者の没後はあと始末に困る。君のように面倒なメメントイドを造らせたアドルフ・エレットという男が、私は憎くて仕方ない」
アドルフ・エレット。IV-11-01-MARIAの所有者だった人物だ。
唐突に製造依頼者を侮辱され。今まで青ざめていたMARIAは、怒りの色へと表情を変えた。
「! わたしの父を侮辱するつもりなんですか!?」
MARIAは叫んだ――次の瞬間。彼女は顔を苦痛にゆがめて、身をよじらせた。
「うっ……」
MARIAの体が、床へと崩れていく。
“灼血感”だ。
人間に対する怒りが、彼女を三原則から逸脱させようとしている――だから彼女の“心臓”は、彼女の体に灼けつく痛みを与えて警告を発したのだ。
床でうずくまるMARIAを見下ろし、シュルツはようやく口をつぐんだ。
「……謝ってください」
肩を小さくふるわせて、MARIAが声を絞り出す。
「断る。私が君などに謝罪する必要性を感じない」
シュルツが言うと、
「わたしにではありません。……父に、謝ってください」
青い瞳に怒りを燃やし、MARIAはシュルツを睨みつけた。
「謝って!」
「断る」
木材が砕け散る音と同時に。シュルツの目の前にあった木製のテーブルが、ぐらりと傾き、倒れていった。
シュルツは自分の目を疑った――IV-11-01-MARIAが怒りに任せてテーブルの脚を殴り、破壊したのだ。
「……最低」
わなわなと震え、MARIAは低くそう言った。両目から涙を流した彼女は、憎しみのような眼差しでロベルト・シュルツを睨んでいた。
大きな音が響いた――四本の脚のうち一本を叩き壊されたテーブルが、音を立てて床に倒れたからだ。テーブルの上にあった検死報告書が、ばらばらと舞い散った。
「あなたは、最低です」
そう言い捨てて、MARIAは部屋から出て行こうとした。
灼けつくような体の痛みに耐えながら、よろよろと立ち上がる。足がもつれて転びそうになりながら、おぼつかない足取りで休憩室から逃げていく。
「…………」
逃げ去る彼女の背中を見つめ、シュルツは言葉を失っていた。怒りに任せて物を破壊するロボットなど……今まで一度も見たことがなかったからだ。
そのあと深夜の三時まで、シュルツは検死室にこもっていた――例の“ヒューマノイド大量死事件”の原因を調べるためだ。
これまでに死んだヒューマノイドは全部で四五体。それらの頭脳を、もう一度よく検証したいと思った。どの頭脳にも、三原則逸脱を起こし得るような記憶は何も保存されていなかった――だが、記憶消去が施された可能性はないだろうか? そう疑ったのだ。
ロボットの記憶を消せば、記憶回路には消去の痕跡が残る。どれほど丁寧な処置であったとしても、時系列的な記憶情報にかすかな不連続点が生じる。だから、専門家である検死官の目はあざむけない。でも、もしも。検死官すら知り得ないような、新たな手法が生み出されていたとしたら……?
「…………くそ、」
為しうる検討をいくつかやってみたところで、シュルツはあきらめて検死室から出た。結局は、分からずじまいだ。
少しでも仮眠を取ったほうがいい。自分の部屋で眠ろうと思い、重たい足を部屋へと向けた。
――明日は、当局本部に赴かなければならない。このまま何の方向性も見いだせなければ、役立たずの検死官として晒し者になることだろう。
疲れは心を不安定にする。
焦りと。苛立ちと。無力感。無能な自分が腹立たしいとシュルツは思った。
階段を下り、絨毯張りの廊下を歩く。長い廊下の突き当りにあるのが、彼の自室だ。
「………………?」
シュルツは、首を傾げた。部屋の扉が、空きっぱなしになっていたからだ。扉は細く開いていて、隙間から室内の光が漏れている。
――閉め忘れたか。
またもや、彼らしからぬ雑なやり方だ。ため息をつきながら、シュルツは部屋の扉を開ける――、
そして自分の目を疑った。
「!」
シュルツの部屋の中には、IV-11-01-MARIAがいた。
「……何を――している」
扉に背を向けて立っていたMARIAが、シュルツの声にびくりと震えた。おびえるように、ふり返る。
MARIAの顔は、青ざめていた。
「なぜ、君が私の部屋にいる」
驚愕は、シュルツの声から抑揚を奪っていた。
「…………わたし」
しどろもどろになりながら、MARIAはふるえる声で答えた。
「ドクターに、謝りに来たんです。さっき、とてもひどい事をしてしまったから。でもあなたは、いなくて。部屋の――鍵が、開いていたから……」
だから。部屋に入ったというのか?
MARIAは戸惑いを隠しきれない。うつむきがちに視線をさまよわせている――まるで、何か見てはいけない物を見てしまったときのような態度だった。
シュルツは理解した。彼女が何を見て戸惑ったのかを。
“右腕”だ。
テーブルの上に置きっぱなしになっていた、分解しかけの右腕義手だ。人工皮膚を剥がした部分から、金属部品が覗いている。
まるで血液が沸き立つように、シュルツの頭に血がのぼった。
「――――見たのか」
その義手を見たのか。他人に見られたくない物を、君は見たのか?
力任せに、シュルツはMARIAの肩を掴んだ。MARIAの悲鳴などお構いなしで、
「どうして君は、私の居場所に踏み込んでくるんだ!?」
怒りに駆り立てられるまま、そう叫んでいた。
MARIAは何も答えなかった。おびえている。酸素を失った魚のように、くちびるを震わすばかりだった。
シュルツは、彼女の肩を突き倒した。
「ぁっ――」
短い悲鳴と、転んだ拍子に立てた音。
尻餅をついてあとずさるMARIAをよそに、シュルツは、テーブル上の義手を掴み取る。分解途中の部品が飛び散り、金属音が散らばった。
MARIAの瞳は、恐怖に染まっていた。
「なんだ、その目は!? 私がヒューマノイドだとでも思ったのか? 冗談じゃない! これはただの義手だ、見たければ見ろ」
彼はヒステリックに叫び、MARIAに義手を投げつけた。
「それはモノ型のロボット義手だ。右腕だけではない、右脚もだ……十四年前のC/Fe事件で、私は手足を失くしてしまった! 私はときおり、自分が何者なのか分からなくなる。体の何割かをロボットで代用しながら生きる私は、まだ人間と呼べるのか。ロボットに成り下がってしまったのではないか!?」
火で焼かれるように、胸の中が熱い。呼吸を忘れて、ただただ怒鳴りたてていた。
「私がなぜヒューマノイドを憎むか、分かるか! ヒューマノイドは人間の皮をかぶった化け物だ。ロボットと人間の境目を曖昧にする、不愉快極まりない化け物なんだ! 君のような“人間的”なヒューマノイドと暮らしていると、私は自分が惨めになる!」
自制など、完全に失っていた。腹の中の言葉をすべて吐き出しきったシュルツは、肩をふるわせ押し黙る。
MARIAは一言も反論しなかった。深夜の闇より重くて苦しい沈黙が、ふたりを押しつぶそうとする。
長い沈黙ののち、シュルツはMARIAの腕を掴んで引きずり、第一検査室へと連れて行った。これまでと同じように、彼女の記憶を奪おうというのだ。
「忘れろ。今のことは、すべて忘れろ!」
悲鳴のように怒鳴りたて、付き倒すような乱暴さで彼女を“繭”に閉じ込めた。このときMARIAがどんな表情をしていたか。シュルツは、まったく覚えていない。
忘却処置を始めると、響き始めた重低音がさざ波のように広がっていった。
シュルツはあえぐように肩をふるわせ、浅い呼吸を繰り返していた。
――いったい私は、なにをしている?
頭が痛い。
吐き気がする。
自分は、なんて惨めなんだろう。
こんなふうに取り乱したのは、“あの時”以来だ。
手足を失い、父母に捨てられたのだと悟った“あの時”。
もう二度と、あんな惨めな思いはするまいと誓っていたのに。
頭痛に混ざって、かつてMARIAに言われた言葉が頭の中で反響していた。
『人間らしく振る舞えと言ったり、人間ぶるなと怒ったり! わたしに、どうしろっていうんですか!?』
――そんなことは知るか。こちらが聞きたいくらいだ。
『あなたは。とても、卑怯なひと』
――そうだとも。
私は君を守ってなどいない。自己保身のために、記憶の消去を繰り返しているだけだ。
分かっている。そんなことくらい。
IV-11-01-MARIAに近づかれるたび、あるいは愛されるたびに、自分の弱さと醜さが浮き彫りになっていく。
さざ波の音のような重低音は、小さくなって、消え入った。
ゆっくり重く開いてゆく、“繭”の音が聞こえていた。
そののちは、しばしの静寂。
「……ん、…………」
目覚めたMARIAの、吐息混じりのかすかな声。
すべての音をシュルツは虚ろに聞いていた。
忘却処置が終わった後も。シュルツはその場でうなだれたまま、身動きすることが出来なかった。








