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一生の不覚

言いたい事と言いたくない事は、時として同じだったりする。

 結局、私は古市の背中におぶわれていた。

 いかに女子といえども、168センチある自分は決して小柄ではなく、背負ってもらうなんて初めは当然辞退していたが、古市に押し切られた。曰く、ふらついて歩いているのを見ている方が落ち着かない、とかで。

 古市もでかい。背中がやたら広い。

 …まあ、知ってたけど。

 いつもこの背中を見て走らされているのだから。

 アパートの玄関口に着くと、「鍵」とぶっきらぼうに言われ、上着のポケットを探って渡した。

 古市は私を背負ったまま鍵を開け、中に入る。そのままどさっとベッドに投げ出された。

「乱暴だなあ」

 言いながら笑ってしまう。まだ酔っているのだろう。

「明日はお前、早番だからな。ちゃんと起きろよ」

 一応先輩らしくそんな事を言うと、古市は出て行こうとしていた。

 そういや、入る時鍵を閉めてなかったな、と思い出す。

「泊まらないんですか?」

 仰向けに転がったまま、両腕を顔に乗せて、そんな事をいってみた。冗談だけど。

「…お前はどうして欲しいんだ?」

 何故か静かな古市の声。自分がどうして欲しいかなんて、酔っ払った頭で考えられる筈も無いと思う。私が教えてほしいくらいだ。それなのに、言葉はすんなり出てきてしまった。

「泊まってって欲しい」

 あれ? そうなのか? 我ながら子供がおもちゃをねだる様な声だ。

 恐らく部屋の真ん中で立ち尽くしているだろう、古市の気配が窺える。本気かからかっているのか、考えているんだろう。…えーと、どっちだろう。自分でもよく分からない。

「でも、他の女の名前で呼ばれるのはイヤです」

 自分の声がなぜか遠くから響く。言うつもりのなかった言葉がするりと出てきてしまった。と言うか、自覚の無かった本音が急に出てきてびっくりした。気にするつもりはなかったのに、本当は気にしてたのか、あれ。

「…悪ぃ。覚えてない」

「1回だけですけどね」

 笑って言ったつもりだったけど、そんな風に聞こえなかったかも。

「すまん」

「謝る必要ないですよ。先輩が悪いんじゃないですから」

「………」

「ちょうど自分も溜まってたから、誰かの代わりでもやれるならまあいっか、って…」

「お前なぁ…」

 あけすけな言葉に古市が頭を抱えた声を出す。

 知るか。こっちはもう3年そんな職場に居るのだ。

 男同士の日常会話なんて「ヤる、ヤらない」が殆どで、いちいち気にしててもしょうがないからスルーしてきた。これくらいでセクハラとか騒いでたら、男性職場は務まらない。そもそも正直なところを男なら良くて女は言っちゃいけないなんて不公平ではないか。女にだって欲望はあるのだ。

「…成り行きだし、あの状況だし、合意の上だから先輩は悪くない。謝る様なことじゃありません。ただ…承知の上のつもりだったのに、先輩が最後に栞の名前を呼んだ時、少しだけ悲しくなったから、びっくりしたんです」」

 それは、彼との行為があまりに気持ち良かったからで、恋とかじゃないと思う。でも、今の台詞はそうとられてもおかしくはないな。それとも本当にそうなんだろうか。それって即物的過ぎないか?

 そもそもなんでこんな事を自分は喋ってるんだろう。酒のせいで普段は奥底にある本音回路と口が直結してしまったみたいだ。いきなり知らない借金を突きつけられたようで、今、自分が一番ショックかも。

「………」

「すいません。これも忘れてください」

 今日は何回この言葉を言ったんだか。

「送ってくれてありがとうございます。もう、帰っていいですよ」

「………」

「お願いだから帰ってください。今はちょっと混乱してるけど、明日には元に戻しますから」

 固着したパーツはペンチで動かし、汚染されたチューブは分解して水洗いすればいい。大丈夫。ちゃんと元に戻せるはず。致命傷には至っていない。

 それなのに、古市は帰ろうともせず近付いてきて、ベッドの横に膝をついた。大きな手がクシャリと私の頭を撫でる。

「バーカ」

「何ですか」

「バカ一真」

「あんたにだけは言われたくなかった!」

「何でだよ!」

「失恋してざあざあ泣いてたくせに」

「うるせーよ」

「酔っぱらいの戯言なので、気にしないで下さい」

「…ったく、お前は」

 苦笑する声が聞こえた。何故か優しい声だった。

「わかったよ。この間の事は謝らない。でも―、」

 そう言って、顔を覆っていた私の両腕を開き、視線を合わせる。たぶん泣きそうな顔をしているから、見られたくなかったのに。抵抗したくても、腕に力が入らなかった。

「約束する。今度はちゃんとお前の名前を呼ぶよ」

 やばい。まぶたに熱がこみ上げてくる。泣き出すのをこらえて歯を食いしばるから、声も出せなかった。

 ここで泣いたらそれこそ泣き落しじゃないか。そんなの情けなさすぎる。

 喉の奥からくぐもった唸り声だけが僅かに漏れる。

 やばい。このままじゃ流される。

 古市はおかしそうにそんな私を見下ろすと、ゆっくり一言呟いた。


「響子」


 その一言で、なぜかもう流されてもいいやと思ってしまった。

 だから。

 彼の言う「今度」がいつなのか、突っ込めなかったのは、一生の不覚である。



最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

ひたすら馬鹿な話を、と思って書いたものですが、もしお気に召しましたら評価や感想など頂けると幸いです。 雀拝

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