第15話:「消された声」
夜。
スマホの画面が、ぽつんと青白く光っていた。
部屋の明かりは消していた。静かな夜だった。
カーテンの隙間から街灯のオレンジが差し込み、俺の部屋をぼんやり照らしていた。
佐々木空也。十六歳、男子高校生、平凡。
今夜は、ほんの少しだけ非凡な状況にいた。
志乃からの通知が届いたのだ。
『レンくんの声、すごく面白い音になったの。
一緒に聴いてみない?』
……え?
なにその誘い文句。ホラーの予告編かよ。
でも。
俺はスマホを見つめたまま、思ってしまった。
(……これってさ。もしかして……デート?)
いやいやいや。ない。絶対にない。
でも、“夜中に二人きりで会う”って……それって、たぶん……アレだよな。
学校外交流。
略して──学外恋愛試験(GRT)。
着替えながら、自分でもバカだなって思う。
でも足は止まらなかった。
心のどこかで、“志乃とふたりきり”に浮かれてる自分がいた。
パーカーのポケットからスマホを取り出し、指を走らせた。
『どこ行けばいい?』
返事はすぐ来た。
『学校の放送室で待ってる』
……知ってた。
やっぱりそこなんだ。
よりによって、学校。夜の。放送室。
(いや、まだ希望はある。深夜の校内デートってパターンかもしれん……)
脳内会議が白熱する中、気づけば俺は靴を履いて、家を出ていた。
夜の校舎は、思った以上に静かだった。
裏口から忍び込んでドアを閉めた瞬間、外の世界の音がふっと消える。
(うわ……なんだこれ)
風の音、遠くの車の音、全部が吸い込まれていくみたいだった。
代わりに響くのは、自分の足音と、蛍光灯のジジッという点滅音。
そして、放送室の前。
ドアの向こうから──音が、聴こえた。
ぐにゃりと歪んだ、リバーブのかかった声。
人の声みたいで、人じゃない。
(……これが、神城の声?)
ノックの代わりに、俺はそっとドアを押した。
中は暗かった。
照明は点いていない。
でも、志乃はいた。
白いカーディガンにチェックのスカート、パンプス。
制服じゃなかった。初めて見る私服。
俺の頭の中で、ガチャのSSR演出が再生された。
(激レア……!)
「こんばんは、空也くん」
その声が、いつもより柔らかくて。
(……やばい。今日の志乃、なんか雰囲気違う……)
「来てくれて嬉しい。一緒に、聴こ?」
志乃は俺の手を取って、放送室の中へ引き入れた。
真っ暗な室内。スピーカーだけが鳴っていた。
「う、わ……これ……」
スピーカーから流れていたのは、神城レンの“声”だった。
けれど、もはや人の声とは思えない。
ぐしゃぐしゃに潰されて、ノイズに埋もれていた。
「レンくんの声だよ。ノイズ、混ぜてみたの」
ミキサーのつまみを操作しながら、志乃は言う。
「たとえばここ──」
彼女が一つノブをひねると、声がきゅっと絞られ、悲鳴のような音が広がった。
「“やめて”って、聞こえない? でも、ちゃんと“音”としては残ってるの」
「……それ、録音の編集ってレベルじゃ……」
「“雑音キャンセリング”って、本当は“音の選別”なの。
いらない音だけ、消しちゃえばいいだけ」
淡々とした口調。
でも、目だけがどこか嬉しそうだった。
「神城くんの音って……いらないよね」
ぞわっと、寒気が背筋を這った。
(やばい。こいつ、ほんとに……)
「ねえ空也くん」
志乃がこちらを向く。
「君の声は、残したいの。……綺麗だから」
ふわりと笑った志乃の表情に、俺は何も言えなくなった。
「……これ、まだ途中なんだよ」
「もう少し編集すれば、きっと“もっと綺麗になる”と思うの」
“もっと綺麗になる”って……何が?
声が? 悲鳴が? それとも、壊れた感情が?
「雑音は、消すの。綺麗な音だけ、残したいから」
その言葉が、俺の胸の奥で──
妙に、冷たく反響していた。
ふと、志乃の視線がスピーカーから俺に戻った。
「ねえ、空也くん。次は、誰の“音”が聴きたい?」
その問いかけが、冗談なのか本気なのか分からないまま、俺は――何も答えられなかった。