第12話:「中間テスト、隣の席が一番うるさい」
教室には、紙のめくれる音と鉛筆の擦れる音だけが響いていた。
それは、静寂という名の拷問。
中間テスト初日、1時間目・国語。
俺、佐々木空也は、深く息を吸って問題用紙をめくる。
いつも通り──そう、できるだけ“目立たないように”。
……ただ、今日の隣の席だけは、普通じゃなかった。
霧島志乃。
例の、音フェチ転校生。
彼女はじっと問題を見つめている……と思っていた。最初は。
──違う。
彼女の意識は、“音”に全集中していた。
俺の鉛筆が紙に走る音。
ページをめくるリズム。
ため息の湿度。
……すべてを“情報”としてインプットしていた。
(こいつ……また何かやってる……)
ふと気づくと、志乃のペンが俺と完全にシンクロしていた。
書く速度、止まるタイミング、ページをめくるリズム──
“解いている”というより、“演奏している”みたいだった。
……そんな時だった。
教室に「キィィ……」とチョークの甲高い音が響いた。
教師が、黒板に訂正を書き足しているようだった。
が──
「先生」
志乃が、手を挙げた。
「……何だ、霧島?」
「そのチョーク音、非常にノイズが強く、空也くんの集中が乱されました」
「え?」
先生の手が止まる。
教室中の時が止まる。
だが志乃は真顔のまま続ける。
「ピーク7.2kHz。筆記音の帯域と干渉して、思考がブレます」
「……なんの話だ?」
「空也くんの鉛筆音、さっきから乱れてます。筆圧が不安定で、解答リズムが崩れました。これは環境要因です」
先生はしばらく固まって──困ったように言った。
「……あの、それは……その……ごめん?」
(謝るのかよ!)
でも志乃の狂気は止まらない。
「さらに先生の歩行音。靴の着地音が不規則で、無意識に威圧を生んでいます。あれでは“空也くんの音場”が崩壊します」
「……は?」
先生の口から出たのは、それだけだった。
まともな反応が思いつかないらしい。
(そりゃそうだろ……)
それでも志乃は、俺を見て真剣に言った。
「空也くんは……もっと澄んだ環境で、音を奏でるべきです」
「やめろ、俺を高級オーディオみたいに言うな!」
先生はようやく振り絞るように言った。
「……霧島。試験中なんだけどな」
「はい、でも“試験中だからこそ”音は慎重に扱うべきです」
「……もう黙っててくれ」
ようやく再び訪れた沈黙の中、俺は頭を抱えた。
(テストなのに、メンタルのテストのほうが難易度高いんだが……)
休み時間。
俺は意を決して志乃に聞いた。
「なあ、お前……ちゃんと自分で解いてるよな?」
すると志乃は、ペンを耳に当てながら、にこりと笑った。
「うん。
でも空也くんの“解くときの鉛筆音”って、すごく正直で。
迷ったときは筆圧が下がるし、思いついたときはスッて跳ねるの。
だから、つい、リズム合わせちゃった」
「“つい”のレベルじゃねぇよ」
志乃はそっと、メモ帳を開いて見せた。
そこにはびっしりと──
《09:15 鉛筆音、やや迷いあり。設問2か》
《09:17 消しゴム音の密度減→疲労?》
《09:18 鼻すすり3回(2秒間隔)=記憶検索中》
《09:19 足音。集中モード突入。筆圧上昇》
《09:21 チョーク音干渉による空也くんブレ》
(なんでそんなにログ取れてんだよ)
「今日も、いい音……たくさん聴けたよ」
彼女はふわりと微笑んだ。
その笑顔は、天使のように、無垢だった。
──無垢で、無自覚な、狂気そのもの。
中間テスト。
俺は、点数よりもずっと怖いものに出会った。
──音で、全部、見られてる。