第11話:「購買のメロディ 」
昼休み、チャイムが鳴ると同時に、教室に一斉に立ち上がる音が響く。
カツカツ、バタバタ、ガタンガタン──購買戦争の始まりだ。
俺も立ち上がった。
普段はコンビニおにぎり派だが、今日は何となくパンにしてみようと思った。
……が。すでに隣には、霧島志乃がいた。
「空也くん……今日、パン行くの? やった!」
なんでそんなテンションなんだ。
そして、なぜ俺の昼の動向を常に把握してる。
「購買、うるさいけど……音がたくさんあって、楽しいよね。
トレイのぶつかる音、袋のパリッて音、あと……お金の音も、好き」
完全に購買をライブ会場扱いしてる。
この女は一生“音”から逃げないのか。
廊下を歩きながら、志乃は耳をすませていた。
「ほら、あの先輩の走り方、今日ちょっと跳ねてる。絶対いい音出す」
「あっ、今の“パン残り3個”の声、音割れてた。あれは焦りだね」
もう全部、分析対象。
廊下を抜け、購買の前へとたどり着いた瞬間──すでに行列の気配。
「焼きそばパン、残ってるかな……」
俺が呟いたその横で、志乃がぴたりと足を止める。
「残ってるよ。あと一つ。……たぶん、だけどね」
「なんで分かるんだよ」
「音で」
「……は?」
志乃はくすっと笑った。髪が肩で揺れる。
動作の一つ一つが、整いすぎてて逆に怖い。
きれいなのに、きれいすぎると不安になるんだな。
「焼きそばパンって、包装のビニールが他と違うの。ちょっと厚くて、
開けると“パリッ”て高い音がするんだ。
……さっき、それが5回。しかも、焼きそばパンを取る位置は左端。
今の並び順から逆算して──ね、あと一個」
「お前さ、どこでそのスキル使うんだよ」
そう言いながら列に並ぶ。
数人後ろの男子が「うわ、もうないじゃん」とつぶやく声が聞こえた。
……ほんとに残ってた。
俺が最後の一個を取ろうと手を伸ばしたとき、
隣で志乃が目を細めて、声を落とす。
「……あ、今の音、好き。
空也くんの指、ちょっとだけ震えてた。
でも、掴み方がやさしかったから……袋が鳴いたね」
「鳴いた?」
「うん、“嬉しい”って音だった」
さらりと口にする志乃の目は、宝物でも見つけたみたいにきらきらしていた。
「……志乃。袋って、感情あるのか?」
「え? ないよ」
即答。
「でも、空也くんが触ると、なんか出ちゃうんだよね。音に」
「出ちゃうなよ」
「出るよ?」
「出るなよ」
志乃はその後、自分用にメロンパンを選び、レジの硬貨音をまるで宝石のように聴いていた。
そして、なぜかペットボトルのジャスミンティーを手に取った。
「これも買う。空也くん、今日ちょっと声が乾いてたから。
飲み物買って、喉を潤してもらわないと……音の鮮度が落ちるからね」
声の鮮度?俺、魚じゃないんだけど。
でもまぁ、気が向いたので「じゃあ俺はコーヒーにするか」と、缶コーヒーに手を伸ばそうとした瞬間。
「だめ!コーヒーはダメ!」
志乃の声がちょっと大きくなった。
え、カフェインに弱いとか、そういう話か?
「空也くん、コーヒーは喉に残る音が濁るの。
“あー”って言った時の倍音の響きが、ちょっとザラつく。昨日の放課後もそうだった。
聞いてて、ちょっとだけ……くすんでた」
「……ちょっと待って。倍音って何?」
さすがに聞き返した。なんかヤバい単語が出た。
“倍返し”と同じくらい謎だ。
「え?ああ、倍音っていうのはね、簡単に言うと……
声とか音の中にある“隠し味”みたいなやつだよ。
たとえば、同じ“うん”でも、倍音がきれいに出てるとすっごく柔らかくて、響きがあるの。
空也くんの“ふん”っていう短い返事、あれ、倍音すっごい良いんだよ。
透明感あるし、耳にしっとりくるの。すごい好き」
「…………」
もはや俺の返事はASMR素材だったらしい。
倍音とか知らんけど、俺の喉、志乃の耳に監視されてるのはわかった。
俺、なんか知らんけど“音質”でお茶決められた。
「……こういうのが、青春って言うんだよね?
志乃は、志乃なりに、ちゃんと楽しんでるよ?」
俺は、トレイに載せたパンと、おまけの“音響監修付き”ジャスミンティーを見つめながら、
小さく笑った。
もう“音”を共有することが、俺たちなりのコミュニケーションなんだと思った。
……たぶん、まともじゃない。でも、なんかもう、それでいい気がしてきた。