ウィズドゥム老曰く④+封印されし魔獣①
「あの斧にそんな力があったってのか」
「あぁ、そうじゃよアックス。あの斧にはね、封神の魂が込められてるんだ」
「「封神?」」
「そうかい、知らないか。仕方ない。教えてあげよう」
二人が疑問符を浮かべたのを見て、ウィズドゥムは少し残念そうな表情になってからため息をついた。
アックスは、そのことが少し気になったものの、変わらずウィズドゥムの後ろで脈打つ口が目に入って以降は口をつぐんだ。
「封神というのはね。まぁ、古い神様じゃ。封印と解放、それと抑圧も司っておったかの」
「英雄ミケは、神様達に好かれておった。だから、そのミケが無茶をするというのに放ってはおけなかったんじゃろうな」
「自分自身の存在を分かち、封印の権能をあの斧に込めてミケに手渡したんじゃ」
ウィズドゥムの語り口にはどこか悲痛な思いが伺えた。
「悪用されないように他の神の力まで借りての、ミケ本人かその系譜しかあの斧の権能は扱えん」
「当時、斧神の加護を受けていたミケはその斧でもってこの島を魔獣共から解放し、無事に英雄となったわけじゃな」
「すっげぇー」
「僕たちの住む島って昔そんなんだったんだ」
思い思いの感想を述べる二人、話を聞いたことで、奥に見える異形への恐怖も随分薄れていたようだった。
「そうだね、今では多様な神がこの島の神殿に宿っている。昔では想像もできなんだ」
いやに実感のこもった声が、閉鎖された空粥にはよく響いた。
「さて、二人とも。アレをどうにかできると思うかな?」
「……、無理だろ」
「無理だろうねえ」
アックスは、自分と比べて二十倍以上も大きい魔獣の様子を見て、チョボはなんとなくの予感から異形を見て答えた。
「フォ、フォ、そうじゃろうな」
「だがの、お前たちがかの大悪から持ちかけられた話は、お前たちの目の前にいる魔獣なぞ一撃で叩き殺せる存在同士の戦いに巻き込まれるということだよ」
「やめておきなさい。それは私たち大人がやるべきことなのだから」
ミシリ、と音がしたと同時に二人の眼の前の魔獣の歯にヒビが生じた。ヒビは徐々に大きくなって、やがて光を漏らしながら魔獣は身体を崩壊させていった。
「消えよ、魔獣よ」
「あ?」
死の間際、魔獣は眼の前の老人を見た。英雄ミケによって施された封印は、その老人から溢れ出る魔法の力によって弱まり、しかしその事が魔獣にはより残酷な事実だった。
動けず、自分の死を少しずつ実感させられる。魔獣の強靭な生命力は、身体を内側から崩壊させられて尚魔獣から意識を奪わせなかった。
声は出せない、もうその機能は無くしてしまった。
せめて眼の前の老人は道連れだと、身体中の力を目へと集める。視界は途絶えた。
ヒュン、と音を響かせながらヒトの身ほどの大きさもある眼の玉が三人へと飛んでいった。
「ひっ」
「チョボ! 下がれ!」
眼前に迫る死の化身に、チョボはその身を固くした。アックスが動けたのは、一度死んだ記憶を断片的ながらも持っていたからに他ならない。
「動けるか、アックスよ。その年齢でその勇気、まぁ見事じゃ」
パァン、という音共に、眼の玉は二人の目の前で不可視の壁にぶつかり破裂した。
その中心はチョボを押し飛ばしたアックスの身体を捉えていた。
「だが、戦いでは真っ先に死ぬの」
バクバクと、うるさいほどに鳴る自分の心臓の音よりも、チョボの心配するような声よりも、はたまた自分を守った不可視の壁のことよりも、アックスにはその言葉が深く脳へと突き刺さった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
自分のことをどこか死から遠く考えていた。アックスはそのことに、今更になって気がついていた。そういえば自分は一度、死んでいたじゃないか、と。
無力感、喪失感、恐怖、そして、安堵。それに加えて、今はほんの少しだけ、力が欲しいと願っていた。
「ねぇ、アックス君。アイツ、もう消えるよ」
「はぁ、はぁ、はぁ、あぁ、なんか、きれいだな」
二人の目には消失していく魔獣の様子が鮮明に見えた。全てを呪わんと、もうほとんどなくなってしまった身体を震わせた魔獣の身体からは光が乱舞しており、どこか幻想的な光景を醸し出していた。
「どこか、まだお前たちには危うい気配を感じたのでの、野暮用ついでにもう一度警告じゃよ」
「かの大悪と関わるのはやめよ。受けないで済む困難は受けるな。お前たちの命はお前たちだけのものではないのだ」
「「……」」
完全に魔獣が崩壊したのを確認したウィズドゥムは、この一連の行動の真意を二人へと伝えた。
警告を受けた二人は、自分たちの死の実感からだろうか、一度目の時よりも尚深くその言葉が身にしみた。
「……、さて、怖い思いをさせてしまったの。斧の話の続きをする前に、少し休憩といこうか」
先程までの表情から一転、ウィズドゥムは今度は朗々とそう告げた。
「ウィズドゥムさん! これなんてくいもんなんだ!?」
「あんなのを見たばっかりなのに、よくそんなに食べれるよね……」
「うまいもんは最高の薬だっておっかぁ言ってたぜ」
食べ物にがっつきながらウィズドゥムにそう問いかけるアックスに、チョボが呆れ顔で水を差した。
朝に二人が訪れた小部屋へとウィズドゥムが案内し、そこで二人を待っていたのは色とりどりの甘味と茶色い液体だった。
「フォ、フォ、元気が戻ったなら何より。それはラミの乳を冷やし固めた氷菓じゃな」
「げぇっ! これ乳なのかよ!」
アックスはむせながら抗議の声をあげた。アックスの知るラミの乳というのは、臭みが強くてとても飲めるものでは無かったからだ。
「気づかなかっただろう? 何のことはない、新鮮なラミの乳は臭みがないんだよ」
「へぇ、たしかに、臭くねぇな」
「本当だ! おいしい!」
自分の鼻を突き抜けるあの独特な臭みがないことを確認したアックスは、食べる手をさらに早め、アックスを動脈にして食べ始めたチョボもまた、多少なりとも元気を取り戻したようだった。
「そんなに喜んでもらえるとは、準備をしたかいがあったの」
嬉しそうに二人を見つめるウィズドゥムの視線には、どこか安心したような感情が見え隠れしていた。
「嫌われてしまうようなことをした自覚はあるからね、お詫びじゃよ」
どうにも老人には、若人に嫌われることが一番堪えるようだった。
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閑話休題
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「うぷ、もう無理ぃ」
「だから止めたのに……」
「だってよ! あんなに美味い菓子なんか食ったことないぜ」
糖分の魔力はアックスをとことんダメにしてしまったらしかった。
途中途中でチョボが止めたのにも関わらず山のような甘味を一気に食べきったアックスは、今度はパンパンに腫れたお腹に痛い目を見せられている様子だった。
「まさか、全部食べるとは思わなんだ」
ヒゲを撫でながらそう言うウィズドゥムの言葉には、ある種の畏敬すら感じられた。
作っている最中には、他の子どもたちのお土産分として半分くらいは残ることを想定していたのに、まさか全部食べられるとはウィズドゥムも考えていなかった。
三人は今、再び奥の武具が安置されている所までたどり着いた。
「さて、斧の話の続きをしようか。 どれから話したものか……そうじゃな、先ずはこの斧の来歴から語ろうかのう」
「この斧の来歴は、ヒトがまだ中央の大陸におったころ…………」
「……かくして、ドラゴンを倒したミケはこの斧を手に入れ、同時に斧神の加護を手に入れたわけじゃな」
ウィズドゥムは朗々と、思い出すかのようにしてその斧の来歴を語った。
特に、斧がヒトの手を離れ、再び英雄ミケの手によってヒトの手に戻ってきたところなどは、アックスを魅了してやまなかった。
「すっげぇー! やっぱりミケ、かっけぇよ!!」
興奮冷めやらぬといった様子ではしゃぐアックスとは打って変わって、チョボはある単語に引っかかっていたようだった。
「ウィズドゥムさん、ミケがドラゴンを倒す方法を見つけるために使ったオーブって……」
「あぁ、よく気がついたね。朝にアックスが触ろうとしていたオーブだよ」
触ってしまえば発狂したほうがまだマシ、とウィズドゥムが脅したあの光るオーブこそが、ミケがドラゴンを倒すカギとなる道具だった。
「あれは持ち主か、その持ち主の道具の歩んだ記録や来歴を、全て頭に叩き込む道具じゃ」
「ん? それじゃあ発狂なんてするか? てっきり恐ろしい化け物でもでてくるのかと思ってたぜ」
ウィズドゥムが語った説明に、アックスは両手を頭の後ろに回しながら疑問の声を挙げた。
「アックス君、それは違うよ。だって、全部だよ、全部」
「チョボは賢いのう。 アックス、わしが話したこの斧の来歴だけで一時間はかかっとるの」
「そうだよな、ウィズドゥムさんは話上手だし」
「おだててもなにも出んぞ。 わしが話したのはあくまでこの斧にとって重要だと思う瞬間のみじゃな。この斧には当然、それ以外の時間も存在しとるわけだ」
「ぁ」
そこまで言われてようやく、アックスはその恐ろしさに気づいた。
「気づいたか。そうだとも、ヒトの手を離れて数百年、時には森のどこかに突き刺さり、自分に止まる小鳥の鳴き声を聞き。時には知能ある魔物に振るわれ、木を切り拓き生命の営みを見た。そういった記録が全て叩き込まれるのじゃ」
「お主自身の記録でもそうじゃ、例えば三日前に食べた晩ごはん。例えば初めて声を出した時、何気ない日常の喧嘩や嫌なこと、嬉しかったこと全部」
「常人では正気でいられんの。もっとも、いくつか抜け道はあるし、正面からでも正気でいられることもある。じゃからミケは実際に使ったわけじゃしな」
ゆっくりと語るウィズドゥムの口からは、恐ろしいほどまでに現実味がある例えが出てきて、アックスに嫌な想像を抱かせた
「へ、へぇ、なんていうか、えらく恐ろしいもんだな」
「そんなに怖いものを、簡単に触れるところにおかないでよ!!」
「間違っても素手で触るのはやめておきなさい、自分の嫌な記憶も、消しておきたかった事も思い出す。多分本来は記憶が消えたヒトの記憶を戻すために作られたモノなんじゃないかと、思っているよ。」
顔を引きつらせて話を聞く二人に、ウィズドゥムはそう警告した。
「さて、話も終わりじゃ。そろそろ帰る時間なのではないかな?」
「「あ!」」
小部屋に現れた小窓からは、夕日に彩られた巨木が、どこか淋しげに影を作っているのが見えた。少なくともアックスは、もう帰らないと間に合わない。
長話にかこつけて、妖精のことについて聞き出そうとした二人の試みも、今もそうしようとしていているかはともかくとして実現は不可能になってしまった。
「さぁ――帰り……は?」
「「!?」」
ウィズドゥムが二人を帰らせようとしたその瞬間、ウィズドゥムの家の周囲から幾本もの光芒が放たれた。
何かがあったときの為にウィズドゥムが前持って仕込んでいた防衛用の魔法が作動した。
一本の光芒の直径は、魔獣の口と同じくらい、それが束となって一方向へと伸びる様子は幻想的ですらあった。
光芒は、そのまま村の中央の巨木へと迫っていき、消し飛んだ。
そう、消し飛んだのだ。
「二人とも、奥の扉に逃げなさい。結界を張ってある」
「アレは、本気で戦わないといけない相手だ」
そう真剣な表情で言ったウィズドゥムの顔には、汗が滲んでいた。
刹那、ウィズドゥムは高速で壁を変形させ小部屋を出ると同時に、背中からオーラを放ちぶっ飛んだ。
そのぶっ飛んだウィズドゥムを追いかけるように、巨木の根っこが次々と空を突き刺していく。
「狙いはワシ、というよりかは神性か」
自分を狙うかのような軌道の根っこに、ウィズドゥムはそう分析すると巨木を睨んだ
巨木の周囲には黒い球体がいくつも浮かび上がり、そして大木を侵食するように歪んだ姿をした黒いオオカミの口が大木の下から上へと昇っていく。
「GYAAAAAAAAAAAA!!!!!!!」
巨木の振動は、この世のものとは思えない咆哮を放ち、遠くから見た二人には、怪物に呑み込まれようとしている巨木の悲鳴のようにも思えた。
「口を失って尚蝕むか、真に恐ろしい奴め」
憎々しげに睨んだウィズドゥムは、しかし久々の高揚感を感じていた。
「フォ、フォ、ここで仕留めねば、世界が終わるのぉ!!! 大魔道士ウィズドゥムの経歴に、また一つ救世の功績を刻んでやるわい!!!」
今週はこれだけです!申し訳ない!
その分、来週は三回、火、水、土曜日の十八時に更新予定です!ぜひお読みください!!