ウィズドゥム老曰く③
ご飯を食べ終わったアックスは、再び母親に、夜ご飯までに帰ることを条件としてウィズドゥム老の家に行くことを許された。
アックスが家の前に着くと、チョボはもうその場についていた。どうやらウィズドゥム老の話は、多少なりともチョボにとって混乱を収める材料になったらしかった。
「やぁ、早かったね。二人とも」
ドアが開き、ウィズドゥムが現れた。食後すぐなのだろうか、家の中からわずかに香るおいしそうな匂いがアックスにはやけに印象的だった。
「ウィズドゥムさん、なにか食べてたのか?」
「いつも僕たちが来るのが分かってるみたいなタイミングでドアが開くけど、これも魔法?」
「「あ」」
二人の質問が重なり、二人の間に気まずい空気が流れた。
「フォ、フォ、そう緊張しないで。朝と同じように、のんびり喋ろう」
「さて、なにか聞きたいことはあるかな」
無意識の内に緊張していた二人の様子を見透かしたようなウィズドゥムの言葉に、アックス達は言葉が出なかった。
仕事を先送りにしている時にばったりと上司に会ってしまった時のような感覚、それを見透かされているというのは思考を真っ白にさせるのに十分だった。
「あ、そうだ。あの斧について詳しく教えてくれよ」
「あの斧、というのは朝に見せた斧かな?」
「うん」
「良いよ、教えてあげよう。ついてきなさい」
「なんか廊下、長くない?」
「そうか?」
ウィズドゥムのあとについて行っている最中、その異変に気づいたのはチョボだった。
朝きたときよりも周囲の品物に興味を向けていたチョボは、明らかに見覚えのない品々が並んでいることに気づいたのだ。
「……たしかに、なげぇな」
「ウィズドゥムさん、なにかしたの?」
体感でも明らかに長いとわかるほど歩いたところで、ようやくアックスもその異変に気づいた。
「魔法じゃよ」
短く、わかりやすい答えだった。しかし、その表情にはほんの少しの喜びが浮かんでいた。好きなものを褒められた子どものように。
「なんだよー! 魔法魔法って、なんでもありじゃねぇか」
「ちょっと、アックス君」
「そう思ってもらえるなら、なによりもうれしいの」
アックスの飾らない言葉に、チョボは少し焦った様子だった。しかし、そんな二人とは反対にウィズドゥムはヒゲを撫でては一言、ただ呟くのみであった。
「ついたよ、さぁ、中へ」
今回二人がたどり着いたのは、大きな扉だった。重々しい金属製の扉は圧迫感を感じさせ、室内の暗闇は二人に部屋へと入ることを躊躇させた。
「どうしたの、早く」
催促されたことで、また、ただまっすぐに部屋へと入っていったウィズドゥムの姿に安心して、二人は部屋へと足を踏み入れた。
「わっ」
「うおっ」
二人が部屋へと入ったことで、壁に掛けてあった松明が光を帯び、ぼんやりと部屋を照らした。
「さっきからなんでこんなに手が込んでるんだよ! 俺たちを驚かせたいのか?」
「さすがに多いよウィズドゥムさん!」
「驚いたかい。でも、まだまだびっくりすることはあると思うよ」
「えぇー」
「早く斧の話を聞かせてくれよ」
アックスはもう待ち切れないと言わんばかりだった。もう松明が新しくともることにも興味を向けることはなく、ただ歩き続けている。
「あぁ、そうだね」
「さぁ、ここだよ」
歩き続けた先、松明が照らすその奥でウィズドゥムは立ち止まった。
「魔獣、という言葉に聞き覚えはあるね?」
「あぁ、ミケティニウスがぶっ倒したやつだろ」
「アックス君、ほんとにその話好きだよね」
「だってかっけぇじゃん!」
ウィズドゥムの問いに、アックスは当たり前だという風な気持ちで答える。アックスが大好きな英雄譚、その敵役であり英雄ミケに倒される悪役。それが、アックスにとっての魔獣像だった。
「なら、話は早い。コレが、魔獣だよ」
その言葉と同時に暗闇が晴れて、巨大な四足の生き物、その死骸が現れた。
「でっけぇ」
「イヌみたいだね、それにしては毛がトゲトゲしてるけど。後ろ向いてるからよく分からないや」
自分の身丈に比べて明らかに巨大かつ強靭な生命の暴力、その死体を前にして尚、二人の動揺は少なかった。
「何を言ってるの、それはただの魔物だ。デッドラインの奥なら当たり前にいるさ」
「その後ろをみなさい、アレこそが魔獣だよ」
「ひっ」
「なぁっ」
ウィズドゥムが指を差したその先には、その巨大な四足獣をさらに一呑みできそうなサイズの口があった。
「なんだよ、あれ! 歯の生えかたも変だし、それになんか、動いてる?」
「ドクン、ドクンって脈打ってる。きもちわるぃ」
アックスはその現実感のない存在に発狂しそうになり、チョボは気分がわるいのかうずくまって吐きそうになっている。
「アレは魔獣。この島を開拓した英雄によって封じられた魔獣の眷属だよ」
「そして、英雄によって無力化されたんだ。あの、斧を使ってね」
「今では、ああやって呼吸するくらいしかやることがなくなってる。哀れな生き物さ」
そう言ったウィズドゥムの声には、しかし怪物を哀れむ心が無いようにアックスは思った。