妖精は、かくかたりき。①
---人類は、これまで実に千三百余回の滅亡の危機を迎えている----
とある高名な数学者は病によって息絶える直前に、この言葉を呟いた。彼は、常から思っていたのである。
人類というあまりにも貧弱な種が、どうしてこのあまりにも残酷な世界を生き延びているのか、と。そして、疑問の果てに消えてしまった。もはや彼を覚えているモノは、世界で数えるほどしか残っていない。
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シール島の森の中、木漏れ日が乱舞する生命のすみかのただ中において、二人の少年が正座させられていた。彼らの上をパタパタと飛び回る羽虫、いや、良く見ればそれは人の形をしていた。
妖精。小さな、小さな人間の身体に不釣り合いなほどの大きな羽を持つモノ。
黒い髪を後ろでくくった絶世の美女の姿を持つソレは、少年達が手ではたけばそれだけで致命傷ともなりうるにもかかわらず彼らに対して説教を垂れていた。
「いい? まず、チョボ。あんたよ、あんた。あんたね、良くわからないものを虫だと思って捕まえてくるんじゃないのよ! そんなんだから前の虫取り大会で石ころを虫と間違えて持ってきて恥をかく羽目になったのよ! もしそれが毒虫だったりしたらどうするの? あんたのお母さんずっと心配してたのよ! だいたいね、あんた。前は余裕無かったから言ってなかったけどね!」
「なあ、さすがにそこまでにして」
「アッッックス!!!! あんたにはもっと山程言いたいことがあるんだけど。これだけは言わせてもらうわ。いつまでもお山の大将気分でいるのは勝手だけどね! 気楽に生きすぎなんじゃないの??? そんでもってどうしようも無くなったらでかい声を出すのはやめて!!! あー、収まりつかないわ! そうよ! 大体ね!!」
「はい……」
チョボのあまりの言われように、アックスが妖精を引き留めようと声を出すも、たちまち今度はアックスが標的だとばかりに洪水のように流れる言葉の濁流。小さな身体から放たれる声量とは思えんばかりの大音量。
二人は、かれこれ二時間に渡ってこの説教を受け続けていた。
一体なぜ、こんなことになってしまったのか。時は邪妖精がアックスに人類滅亡の宣告をした時にまで遡る。
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人類滅亡の予言を知らされたアックスがショックによって再び気を失ってから数分後、先に目を覚ましたのはチョボだった。
「アックスくーん! 光るちょうちょ……ってあれ?」
「だ・れ・が、光るちょうちょだって??」
「ひぇー!! ちょうちょ、ちょうちょが喋った!??? ってあれ…ちょうちょじゃない??」
「そうよ! 私が、私こそが邪妖精リ! リ! ィ! なのよ。」
起き抜けのチョボの言葉に対して真っ先に食らいついたリリィ。
彼女は自分がちょうちょうなどという虫けらとは違うと言わんばかりに胸を張って宣言した。
「あなたは、『じゃあウィズドゥムおじさんは本物の魔法使いだったのかー』と思うわ」
「え、なんでわかったの?こわ」
「ふふーん、邪妖精に隠し事は通じないわ」
「すごーい!!」
チョボの内心をビタッと当てたリリィは得意げな顔になってチョボのまわりを飛び回る。チョボもチョボで目の前の不思議に気を取られっぱなしだった。
栗色の髪の毛をゆらゆら揺らしながら、身体を傾け目でリリィを追っていた。
そんなチョボの視界の端に寝こけるアックスが目に入る。
「あれ、アックス君」
「気絶したのね。情けないわ、本当に」
「え、気絶!? あのアックス君が? 大丈夫かなあ。。そうだ!」
「待ちなさいよ! どこに行くの??」
リリィからアックスが気絶していると聞いたチョボは、何かを思いついた様子でリリィの制止を気にもとめずに駆け出した。
「あった!! クソニガ草!! きっとこれで目が覚めるはず……」
数分も経たない内にチョボの右手にあったのは何やら毒々しい見た目をした紫色の草だった。リリィは頬を引き攣らせながらチョボに問う。
「まさかソレ、アックスに飲ませるつもりじゃないわよね?」
「すごいや! なんでわかったの? やっぱり心読めるんだ!!」
「やめなさいよ!! しんじゃうでしょうが!!!」
「えぇー! でも、風邪のときはこれがいいんだって薬屋のおばちゃんが言ってたー!」
「あんたバカなの!? どの薬屋がソレ丸ごと使うのよ!! 細かくして少しずつよ!!」
「そういえばそうだったかも…?」
「そうよ! だからその葉っぱは捨てなさい」
「はーい」
チョボが握っていたクソニガ草は、正式な名前を悪魔殺しという。
その昔、大陸が分かたれる前には、病とは最も弱き悪魔だった。
あるヒトが偶然にもこの葉っぱの欠片を摂取しなければ、またそのヒトが偶然なことに大病を患っていなければ、この薬草はその効能について知られることは無かったに違いない。
ともかく、この薬草の効能を知った人類はその効果に恐れを抱いた。きっとこの葉をそのまま使えばもっと強き悪魔をも殺すに違いないとこの名前をつけるほどには。
少なくともヒトに与えて良いものではなかった。
「まったく、この島のヒトはほっとくとすぐこーいうことするんだから」
「え?」
どこか懐しむような、あるいは姉が弟に向けるような表情をチョボへと向けながら呟いた言葉は、しかしそのあまりのか細さに伝わることはなかった。
「なんでもないわよ! ほら! さっさとアックスを起こして、私がこの子にどうにかできると思う?」
「はーい!たしかにリリィ小さいもんねー」
「だまりなさい!」
どこか誤魔化すようなリリィの言葉に、チョボはすんなり納得してアックスを起こしにかかる。両肩に手を掛けて、揺さぶる。それでも無理ならと今度はアックスの耳元に顔を近づけて
「ラミ肉」
「ラミ肉」
「ラミ肉」
呪文のように唱え続けた。大人たちが言っていた、外からの物。ラミ肉。子供たちにとってそのステーキは年一あるかないかのご馳走で、特にアックスには効果覿面だった。
「ラミ肉……?」
目覚めたアックスの眼前には邪妖精がひとり腕を組んで浮遊している。懐疑的な表情を浮かべながら、目をこすりつつ放った言葉には呪文の影響が確かに表れていた。
「残念だけれど。邪妖精よ!」
「ラミ肉!??」
「だから! 邪妖精だって言ってんでしょーが!!」
「うば!?」
リリィの言葉に対するアックスの言葉は、今度は驚きの声色が混ざっていた。きっと混乱していたに違いない、夢の中ではラミ肉のステーキでも食べていたのだろうか。
そんな事はおかまいなしに怒った妖精は、アックスに対して今度は口を押さえつけ何かを飲ませた。
「かーっ、げほっ! げほっ!」
「何飲ませたの?リリィ」
「ただの薬よ。悪魔殺しなんかと比べたら麦粉と変わらないわ」
「口の中がっ! にがい!!! うっ」
「アックスくーん!!!」
アックスは死んだ。
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閑話休題
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「それで、どういうことなんだ?世界が滅びるなんて」
まだ口の中が苦いのだろうか、アックスが顔をしかめながらリリィへと尋ねた。
「まだ寝ぼけてるようだからもう一度言うけど、滅びるのは人類よ!」
「え、なにそれ!」
初耳である。チョボはびっくりした様子でリリィの方を見る。
「チョボには言ってなかったわね、アックスも良く分かっていないようだし…良いわ。最初から説明してあげる。アックス、何か夢見なかった?」
「ぁ……あ、あれのことか?」
「……その様子じゃろくでもない所が見えていたのね。」
邪妖精の問いかけにアックスはやや身を震わせながら返答した。チョボの目があるから虚勢を張っているが、誰の目も無ければ泣き出しそうな程の怯えようだった。気の毒に思いながらもリリィは語りを続ける。
「何が見えていたのかは私には分からないわ。でもね」
「それは確実に起こる未来よ」
「わたしはそれを変えに来たの」
「チョボ、あなたが鍵よ。他のヒトはダメだったの」
深刻な表情を浮かべたままに告げるリリィ。
「え、僕?」
森の中にそよ風がぴょうっとふいた。




