封印されし魔獣⑤
魔獣にとっての災厄が、巨木へと次々に襲いかかる。先ほどまでの流星でも押し戻すことは叶わなかった侵食が、今はもう随分と下の方へと向かっていた。
「超克者の力は、すなわち神の力と同義。いかに魔獣と言えども、同格以上の力には打ち勝てまい」
「これで勝てぬのならば、もう無理だの」
もはや扱える魔法も無く、四肢も動かない故に地面の上に横たわるウィズドゥムは巨木を視界に捉えながらもそう呟いた。声には弱々しさが感じられ、大魔道士たる風格など残ってはいない。
その視界の先には、暗くなりはじめた周囲を照らすほどに輝きながら地面に突き立つ杖と、その全ての力を守りへと割いた巨木の抵抗が見えていた。
黒球を光芒へと平面状に何層にも重ねるも、その全ては貫かれる。幾層にも重ねた根は巨星を防ごうと上へと向けられるものの、時間を稼ぐことすらままならずに潰される。
土砂を含んだことで濁流となった大波は、そのまま巨木を飲み込んでは獣の影の視界を塞ぎ、白狼の絶叫ももはや意味をなさなかった。
「さらば、飢えに狂った神獣。その末路よ」
人類が誕生するより前、魔獣とは単に凶悪な姿をしたよく分からない力を扱う獣、のみを指す言葉だった。それが違う意味をも持つようになったのは、最初の神獣が現れた時。
ヒトの少数民族による依存じみた信仰が、恵みをもたらす神に対する認識を歪ませ、神自体の姿を変えた。
すなわち、恵みをもたらすヒトのような姿をした神が、与えられる恵みそのものであった獣の姿に。
神の力を扱う獣へと変えられたその神は、飢えを知り、少数民族を食い滅ぼし、人類に多大な被害を与えたあと神々とその眷属達によって封じられた。
神は人類を生み出したが、神もまた、人類によって造り直される。言葉の力を根源にした両者の関係は、とても不安定なものだった。
これが、神の力を扱う獣もまた魔獣と言われるようになった経緯である。
シール島の魔獣は、最初の神獣とはまた異なる経緯で生まれた存在だったが、その本質は神だ。
ギョロリ、と獣の影の瞳が濁流のさなかにウィズドゥムの杖を捉えた。根のうちの一本が、地中へと突き進んでいく。
記憶の奔流が、アックスを直撃する。
「残念なことを言うわ。心して聞きなさい」
アックスの目の前には、金の髪を持った妖精がいた。否、邪妖精がいた。
「ティーナはもう帰ってこないわ。人類滅亡は回避されたの」
残念そうな表情のままにそう告げるリリィの姿に、アックスは声を上げようとして失敗する。
口が動かない。ということに気がついたアックスは、同時に自分の手が意に反して動いたことを自覚した。
「そう怒らないでちょうだい。悪いことばかりじゃないわ、これでしばらくは世界の均衡が保たれる」
自分を軽く叩き潰せるであろう手を片手で受け止めたリリィは、次の瞬間には顔を歪ませてニヤついた。
「でもね」
「気に食わないわよね? ティーナの力になる為にこんなところまで来ているのだもの」
その言葉に、アックスは周囲を見渡した。倒れ伏す数多の魔物たちの死体――激しい損壊は戦闘の跡地であることを証明していた。
自分の周囲にヒトはいない。ヒトだったモノがゴロゴロと転がっている。
空の上には自分を警戒しているのか、翼の生えた半人半獣――ハーピィが飛び回り。鳴き声でなにかを伝えていた。
足元のまばゆい光を自覚する。一際輝くそれは神の死体――絶望の悪魔に与したその神には、自分の戦斧が深々と突き刺さっている。
「気に食わねぇなぁ。本当に……あぁ、気に食わねぇ……!!!」
自分から発せられた声の低さに驚く間もなく、気づくとアックスはウィズドゥムの家の前へ立っていた。
「本当にこんなところにあるってのかよ」
「ここには過去の魔獣守たちが集めた道具が眠っているわ。あんたの斧もそうね」
魔獣守、シール島に最も近い聖国から派遣される英雄の仕事。魔獣の復活を阻止し、またシール島の住人の生活を保障する為の役割。 彼らが山や森から脅威を狩り尽くしたことで、シール島には平和が訪れた。
「まぁ、今回探すのはあんたの斧みたいに大層なモノじゃないわ。ものの記録を読み取る宝玉、アレを使ってその斧の記憶を読み取ってほしいの」
「勝手に入るのはなんだかわりぃ気がするな。……ウィズドゥムさん、死んだんだっけ? じゃあいいか」
さらっと飛び出たそれが、自分から出た言葉であることにアックスは衝撃を受けた。
「随分と淡白なのね。もっとなにかあるかと思ったのに」
「別に何もねぇ、よ!」
声と同時に扉を蹴り開けては、ずんずんと中へと進んでいく。
「ティーナを最初に連れ出したのはウィズドゥムじゃないの」
「……何がいいたい?」
「いいや? ただ、良いんだと思って。あいつを助けることになるのに」
「恩が、ある。それに……」
「なに?」
「なんでもない」
「ふーん」
きっと恥ずかしいんだなと、アックスは思った。一つ言えることがあるならば、絵本の中の英雄の行動はカッコよかったのだ。
「着いたわね」
「それじゃあ後は約束通りに」
「あぁ、じゃあな」
「最後に、きっとこれを見てるあなたに言うわ。ワタシに会ったらこう言ってちょうだい」
「『お前は、誰だ』ってね」
アックスが腰に下げていたナニかにタッチした妖精は、そう囁くとパッと消えた。
「なんだそれ……ってもう行ったか」
「なんつーかへんなかんじだな。ひとりでしゃべるってぇのはよ」
自分から発せられた声に、アックスは心でうなずいた。
「まぁ、なんだ。多分、ウィズドゥムさんが魔獣と戦ってるんだろ?」
「これから、このオーブに触れて斧の記録を読む」
「同時に、こいつを使う。一定時間立つと存在が消滅する代わりに数秒後に無傷で復活するとかいう道具だ」
アックスは手に持つキューブへ目を向けた。少し手が震えている。
「お、こうしたら独り言感だいぶすくねぇな」
アックスの目には、斧の刃に反射する自分自身の姿が映った。ニッと笑いながら、しかし目だけは覚悟が決まった様子で真剣に。丸みが取れて顔中は傷だらけ。父親と母親を足して二で割ったらこんな顔になるだろう、とアックスは思った。
「お前には、こいつを使って魔獣を再封印してもらう。それだけだ。それだけやってくれりゃいい」
「方法は、今から俺を通して見ろ。記憶が残っているうちは多分お前でもこいつを使える」
キューブを置いて、斧をコンコンと叩きながら告げる自分自身。
「あ、そうだ」
「今の俺は、かっこいいかな」
「……今のダセェや。やっぱなしで」
「じゃあ、これから短い間よろしくな」
ぽりぽりと頬をかいたアックスは、オーブを持ち上げた。
刹那、アックスの視界は二つに分かれた。ひとつは斧の視点、言うまでもなく先ほどまでの自分自身が映し出していたもの。もうひとつは、正真正銘自分の視点。
「ぁ」
小さく声が響いた。一通り身体の動作を確かめると、アックスは二つの視界に翻弄されながらよろよろと斧の方へと向かい歩きはじめた。
「末恐ろしいの。あの中で根を潜らせる余裕があるとは……見誤ったか」
「Gyahahahahahahahahahahahahahhahahhahahahhahahahahhahaha」
代行者の杖はもはやなく、神の力を魔獣は完全に取り込んだ。狂笑するかのような振動はてっぺんまで黒く染まりかけた巨木から放たれている。
木の中腹には輝きが閉じ込められており、ウィズドゥムの捧げたものは今や魔獣の朝ごはんに置き換わるのみだった。
別のモノが呑まれるよりはまだましか、とウィズドゥムはここから勝つ為の算段を立てる。
「勝てはする――が、勝てるだけだの。命も賭けとくべきだったか」
「本気出すだけで、勝てると思ったワシがアホだった。これはもう勝ちとは言えんのぉ…………後継者、欲しいのう」
切実に呟く老人は光り輝きながら力を溜め始める。魔獣が顕現するその瞬間を待って、若干以上の後悔とともに。
長い間おまたせしました。
ここから週3回(土、火、木)16時前後に更新します。




