木こりの息子は木こり①
「こいつぁ〜れあ物ってやつですぜい! アックス親方!!」
木漏れ日の溢れる鬱蒼とした木々の下を、少年たちの声が響き渡る。今日は絶好の虫取り日和だ。
「光るちょうちょたぁ、たいそう良いもんじゃないか! 優勝はもらったなぁ!」
木こりの父親に連れられて村から程よく離れたこの森にやってきた少年たちは、親の口調を真似しているのか甲高い声には不釣り合いなべらんめえ口調だ。
親方と呼ばれた少年、ではない方の手には光る羽を持ったなにかが握られていた。
村の少年達の中で流行りの最先端である虫取り、その中でも光る蝶々なんてものを手に入れたならばきっと英雄として賞賛されるだろう、アックス少年はにやにやが止まらなかった。
虫取りバトルは俺たちの勝ちだな、とさえ思っていた。
「………な……い……よ!」
「おい、チョボ。なにか言ったかぁ?」
「いや、何も言ってないですぜぃ」
少年達ではない声―― 一段と高い声にアックスがその表情をわずかに崩す。そして、栗色の髪の毛をもつ少年チョボへと問いかけた。
チョボは光る何かを握る手をぶんぶんと振りながらそれを否定し、やや懐疑的な目を自分の親方へと向ける。
「離し……さい!」
「おいチョボ! なんだよ! はっきり言えって!!」
「いやだからなんも言ってないって!! アックス君!!」
「なんか、ごめん……」
もう一度聞こえた声に思わず素の口調でチョボへと怒鳴ってしまうものの、怒鳴り返され平謝りするアックス。
確かにチョボの声ではなかった。どちらかといえば少年達の一つ上の姉御分、いつも自分たちを叱りつけてくるあいつのほうが似ていると言ってもいい。
確かにここから村まではそれほど遠くはない、もしかしたら。
「まさか……」
そこまで思考が行き着いて、アックスはとうとうにやにやした表情から一転、わずかに絶望したような表情へと変わる。
冗談じゃない、村の外がアイツから逃げられる唯一の憩いの場であったのだ。
アックスは激怒した。後先などどうでもいいと、隠れてこちらを嘲笑っているだろうアイツに怒鳴りつけないと気がすまなかった。軽く息を吸い込んで、大きく吐き出す。
「ティーナァァ!!! おまえどこにいるんだぁあ!!!」
「「ヒィッ!」」
轟音が、森の中を駆け抜けた。音を聞いた鳥たち、人が四十人寝ても足りないくらいの距離の彼らが驚いて飛び立つ。
アックスの予備動作に気づいたチョボは、アックスがだした結論にたどり着いて危機回避を行っていた。
即ち両手で耳をふさいでいたのだ。
それでもなお貫通してきた大音量に、思わず小さい悲鳴を上げてしまった。
アックスの得意技はこの咆哮とも呼べる大声だ。あまりにも大きいその声は、身体がそこまで大きくないアックスを村の中でのガキ大将的地位にまで押し上げた。
「あれ? ティーナでてこないね」
「本当だ」
二人して目を見合わせて、キョトンとした顔である。アックスは怒りを吐き出したおかげか、どこか清々しさすら感じる。
いつもであれば怒り狂ったティーナがアックスのその大声を上回るほどの大声で怒鳴り返すまでがワンセットである。
先ほどの本気具合の怒号であればついでにつねられる位は覚悟せねばならなかった。
「あ、ちょうちょ」
「あぁぁ!! ちょぼー」
なんとも間抜けな声だった。チョボは、耳を防ぐために両手を開いてしまった。捕まえていたはずの光る蝶々はもう見える範囲にはいなかった。
アックスも、自分がやらかしたせいではあるので強くは責めれず、なんとも神妙な顔へとならざるを得ない。チーム戦とは言え、捕まえてきたのはチョボだった。
自分よりも残念な気持ちを持っているはずなのだ。
「ちょぼ、その……」
神妙な面持ちでわずかに下を向きながら何かを言おうとしたアックスの目に、光るなにかが見えた。下を向くことで見えたそのなにかは、よくよく見ればちょうちょなどでは決してなかった。
ちょうちょ並の小ささではあれども光る羽のほかにはそれぞれ二本のスラリとした手足を持っている。
体つきは女性のように起伏を持っているように見えるし、顔もよく見れば美しい女性のそれだ。
高い鼻にはっきりとした顔立ちに、輝くような青い髪は一瞬アックスを釘付けにした。問題があるとすれば、
「アックス君」
「チョボ」
「「これ、どうしよう」」
その妖精は地面の上で目を回していた。アックスの咆哮は妖精を倒せるらしい。チョボは妙な感慨を持ってその光景を眺めていた。
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閑話休題
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妖精。
子どもたちの人気者、大人達からはホラ吹きだとかひどいあだ名で呼ばれている自称魔法使いのウィズドゥムおじいさんが良く語っていた。
この島からはるか遠く、海を渡った先の大陸では良く見かけるんだと。子どもたちは男女関係無くその妖精について話し合って楽しんだ。
ある日、大陸出身だとかいう道具屋のおじちゃんがやってきてあんなのは嘘っぱちだ、と子供たちに言って以来は、誰も話題にすら挙げなくなったが。
ともかく、アックス達にしても妖精なんてものは信じていなかった。ウィズドゥムさんは作り話が上手いんだなぁ、と尊敬の念さえ持っていた。
子供の流行はあっという間に過ぎ去っていく。その中には作り話大会や釣り大会など多岐にわたる物が含まれている、作り話大会が流行の最先端であったときなどは村中の子どもたちがウィズドゥムさんの話を聞きに行っていた。
いたのか、というのがアックスの感想だった。チョボに至ってはじゃあウィズドゥムさんって本物の魔法使いなのかなぁ、と別の事に気が向いている。
「ちょ」
「ッ!」
「あだっ」
バシッと余計なことを言おうとしたアックスが額を小さな手のひらで叩かれる。アックスの頭の中は本当に幻の存在だった光る蝶々でいっぱいだった。
妖精を捕まえても何の自慢にもならない、今は虫取りをしているのだから。
妖精は、アックスの眼の前で手をワチャワチャ動かして足をジタバタしては喉からなにか声を出そうとして失敗していた。
ただ、アックスの心でも読めるのか時折アックス側が話しかけようとするたびに先ほどのような形で報復をしているのだった。
「アックス君、そろそろ時間だよぉ」
「ちょ、あだっ。ちがう、コイツゥー。あだっ」
「ッ! ッ! ッーーーー!」
「どうしよぉ……」
かれこれ一時間はこうしているだろうか、二人はそろそろ集合場所に向かわないといけない。
さもなくばばティーナなどよりもよっぽど怖いかぁちゃんの説教を受けることとなってしまうからだ。
チョボは道を覚えるのが苦手だった、アックスの案内なしでは集合場所へと向かえない。
ちょぼとちょうちょで発音が同じだからか、アックスは一言も喋らせてはもらえなかった。
結局、ジェスチャーでなんとか道案内をして三人で集合場所へと向かっていった。
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閑話休題
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ボコスカ殴る妖精に対してうんざりしてきたアックスが、そろそろ一度怒鳴ってもう一度眠らせようか検討し始めた頃。
三人の眼に巨大な木が一本映し出された。周囲が小高いが故に遠くからは見えにくかったその巨木の麓には、小さな煙が立ち上っているのが見える。
ここから巨木までは緩やかに下り道を通っていって程なくすれば森の終端へとたどり着き、村までの道へと出ることが出来る。
待ち合わせ場所はもう少し先、子供の足でも十分も歩けば確実に着くくらいには近くだ。
「ぁ、」
「あ?」
「アホ!!! バカ!!! ど・お・し・てあんなに大きな声をだしたのよおおお!!!」
「あだっ、うっ、いぎっ!」
声が出せるようになった妖精は、一通り罵倒しながら三発。額とお腹、そしてあごへと拳を突き立てた。
ともすれば星が見えるほどの衝撃にたじろぐアックスだったが、プツン、と堪忍袋の緒が切れた。もとを正せばアックスが叫んだせいなのではあるが、そんな事はもはやアックスには関係なかった。
深く息を吸い込んで、吐き出そうとして横から飛んできた風にかき消される。
アックスが見ると、その端正な顔を極限まで引き攣らせた妖精は、アックスの顔の側面から彼に向けて両手を向けていた。
そして、バタバタとその光る羽を動かしてアックスの眼の前まで来ると、ハチャメチャに両手足を動かしながら何かを言おうとしてやめて、言った。
「お願いだから、頼むから、ソレだけはやめてぇ」
「ハイ」
「良かったぁ、また生まれ直すなんて嫌だもの。私の前で叫ぶのは、もうやめてね?」
アックスの前でこてん、とその美しい顔を傾げながらいう妖精に、アックスは頷きそうになった。
「は」
「アックスー! もうそろそろ集合場所だけどソイツ、どうするのぉ?」
「あ、そうじゃん。どうしよう」
「チッ」
わかる道へと出たことが嬉しくなったのか、やや前方に先行するチョボの言葉に、そうだった。とアックスは思い直す。
前に、森で見かけた鳥を捕まえて飼おうとしたらかあちゃんにゲンコツをもらったアックスは、それ以来虫以外の生き物は村に持っていかないようにしていた。
その事を知ってか知らずか、妖精は軽く舌打ちをしてからアックスの服の中に隠れると、その背中にピッタリとくっついた。取ろうとしても取れないその姿に、アックスは諦めて集合場所へと向かうのだった。
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閑話休題
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集合場所、それは森の終端から子供の足で十五分程森の中に向かった所にある木こりの小屋だ。
木こり達は斧神の祝福を持っており、スパスパと木を切っていく。一つ一つ運んでいては時間の無駄だと次第に木こり場からこの小屋まで木を滑らせる道を作ることでその問題を解消した。
この小屋ではそうやって辿り着いた木たちが大量に転がっており、その木から枝を切り外して行くのが木こりの子供たちの仕事だった。
「「「「エッホ! ヨイショ!!」」」」
四人の子どもたちが声を揃えて枝を子ども用の手斧で切り外していく。見ると、もう枝のついた木は彼らが切っている物しか残っておらずその木に至っても残る枝はちょうど四本といったところだった。
「ヨイショオ!」「エイッ!」「いぎっ!」「ヨッ!」
最後の四本が切り落とされた。見れば、一本だけ枝がわずかに残ってしまっていた。アックスの担当していた枝だ。背中にピタッと引っ付いた妖精は時折アックスの背中をつねりあげていた。
最後につねられてから少し時間がたっていたから油断していたアックスは思わず、といった形で手を滑らせてしまったのだった。
「あーー! アックス君もう四本もミスしてるー!! セイナがとったげるね!!!」
「本当じゃねぇかよ。アックス、どうしたんだ?」
そうして声を掛けてきたのは低身長の少女と長身の少年の二人組。二人の共通点として真っ赤な髪と瞳が挙げられる、二人は兄妹だった。
歳の差は四歳程、アックスから見て二つ上の兄シグルスと二つ下の妹セイナ。この兄妹とアックス、チョボの四人が斧神の祝福を受けた木こりの卵達だった。
「おう、セイナ。ありがとうな。シグルスにぃ、なんでもないよ。ただちょっと痛くて。」
「んへへ、いいよ!」
「こけたんだっけか、らしくないな。未来の親方なんだろー気をつけろよ。」
やや心配そうなシグルスの言葉に、アックスは適当に言葉を返す。
「へーい」
「アックス君……」
集合場所に着いてすぐ、体にわずかながらも打撲痕を付けたアックスは大人達から猛烈な心配をされた。
チョボには何も付いていなかったからか、喧嘩等であるとは思われなかったものの。何か木登りなんかをして落ちてしまったのではないか、などチョボにも質問がなされた。
妖精のことについて言ってもいいものか、チョボは悩んでアックスに目配せするも、制止された。
結果として、アックスは森の中にある小石に気づかずにちょうちょを追いかけて派手に転んだ。という事になったのだった。
口からたまに上げる悲鳴も、虫取り大会で負けた悔しさによるものだと曲解された。
不憫である。チョボは、自分の親方に対する尊敬の念をより強めるのであった。
「そういえばなんだけど、なんか今日の木多いよね」
「確かにそーだな、シグルスにぃ。何か知ってるー?」
「あー、最近のおまえは虫取りばかりだから忘れてたんだな。あれだよ、祝福祭。三日後らしいぜ。俺らにはあんまり関係ないけどなぁ、いや、仕事が増えるから関係はあるのか」
素朴な疑問をこぼしたチョボ、それに同調した様子のアックスに、シグルスは呆れながら答えた。
祝福祭。通常十四回日が昇るまで開催されるそれは、島中の木を集めてシール島唯一の神殿町に届ける。神へと捧げる儀式として大規模に火を焚き上げるためだ。その目的は、シール島の住人達に神から祝福を受けさせること。
神からの祝福を受けた人間はその祝福に応じた恩恵を受けることが出来る。例えば、木こり達の受けている斧神の祝福では斧を持った時の膂力が跳ね上がり、特に木を切るときにその上昇量は大きくなる。
また、木を切るときにどこを切ればいいかが直感的に分かるなどの恩恵を得る。
「そういえばそんなのあったな! あれ、最近なんかでそれ聞いた気がする」
祝福は遺伝する。アックスやチョボ、セイナにシグルスなどはそのクチであり、この影響もあって島では木こりの子は木こり、道具屋の子は道具屋というように職業が一族で固定化されやすくなっている。
では、どういった人物がこの祭りで祝福されるのかというと。親が祝福を持っていない場合であったり、稀な場合ではあるが、祝福される余地がまだあった時などはこの祭りで祝福を受けることもある。
余談ではあるが、村の中でもアックス達の住む巨木の下の村は、山向かいが海なこともあり島外からの住人が多い。アックスの母親や、その良き友達であるティーナの両親もまた、島外からの住人だった。
「アックス君! アレだよぉ。今思い出したけどティーナが言ってた」
「ティーナ?あいつがどうしたって……あ。わ、忘れてたぁ。今日の夜にあいつの踊りを見る約束してたんだった!! あぶねー」
本当に危なかった。アックスは内心安堵した。このままでは仕事が終わるなり早々、妖精のことについてウィズドゥムおじさんに聞きに行く所だった。今は昼から夕刻までの間程、ここから村まで帰れば大体夕刻までには村に着く。
だからといって流石にそこまでする時間の余裕は無かった。なにせ、ウィズドゥムおじさんの話はいつも長かったのだから。
しかし、妖精の対応だってしっかり考えないといけない。チョボは祝福なしの状態で腕相撲大会で年上といい勝負が出来る。力尽くで引き剥がすことは望めない。だからといってさすがに背中に妖精を付けたまま踊りを集中して見ることは出来ないだろう。
「どー、すっかなー。これは」
「どーするもこーするもティーナおねぇの約束は守らなきゃだよ! アックス君また怒られたいの?? セイナもうおねぇのあんな姿見たくないよ……」
アックスの煮え切らない姿にまずいと思ったセイナが身震いする。約束を破った時のティーナはアックスのかあちゃんをも上回る程の形相だ。あの時のティーナには話に聞く魔獣でも憑いているに違いない。
うだうだと話していても埒が明かない。秘密を共有するアックスとチョボの二人は話し合いながら村へと帰っていった。背中の妖精がつねる手が更に強まったが、アックスはもう慣れてしまっていた。
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閑話休題
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夜、アックスはティーナの踊りを見ていた。
今では姉御分として村の子供たちを牛耳っているティーナにも今より更に幼い頃、両親が島の外から来たということもあり仲間はずれのようにされていた時期があった。
祝福は、村の仲間ならば生まれつき持っているものだ、という誤った認識がそうではなかったティーナを子供たちの仲間意識から外す要因となってしまっていたのだろう。
その頃から声の大きさで地位を築きあげていたアックスは、それが妙に気に食わなかった。彼の母親もまた、祝福を持っていなかったからというだけではなく。
だから、でかい声で言ったのである。「祝福祭があるじゃねぇか!!!」と。
当時、村には都合良くも祝福祭で祝福を受けた踊り子の一人が滞在していた。大陸からの出戻りで、祝福祭へと向かう道中の宿としてここの村を滞在場所として選んでいたのだった。
そんな彼女に拙い言葉ながらも、要約すればギャフンと言わせてやってほしいと頼んできたアックスに踊り子は快諾。見事な踊りを披露しては、祝福祭の意義について懇懇と子どもたちへと説いて誤解を解かせた。
「わぁ、綺麗……」
「なあ。ちょっといいか。お前、なんだ?祝福、ないんだろ」
「う、うん。そうだけど…」
踊り子の踊りに感嘆とするティーナに対し、アックスが声をかける。ティーナは少しだけ涙目になって、答えた。
「ちげぇな、ちげぇ」
「なに?」
「あれ、目指せんじゃねぇの」
「俺はさ、多分、とうちゃんの仕事やるんだ。怒られながらだけど、てつだいはじめてる」
「うん…」
急に自慢かと、ティーナは思った、祝福を持っていない自分へのあてつけかと。まわりの祝福持ちたちはみんなそうだということはティーナが一番良くわかっていた。
村において、祝福持ちたちはなんの不安も感じずに過ごせる。そのことについて、ティーナははっきりとは分からなかったが、周囲の大人たちの会話などといった村の雰囲気から察することくらいはできた。
「とうちゃんの仕事もそんけーしてる。みんなおなじで村のためにがんばってる」
「でもさ、俺はおまえのほうがうらやましいよ。その、なんとなく!」
「え」
予想外の言葉だった。ティーナはてっきり、いつものように上面だけは自分をなぐさめるような言葉が来ると思っていたのだ。
村の大人たちはいつもそうだった。違うのはウィズドゥムおじさんくらいなもので、それだってティーナには全くわからない言葉しか喋ってくれない。ここまでわかりやすくうらやましがられたのは初めてだった。
「おまえ。踊りすきなんだろ、かあちゃんから聞いたんだ。あれ目指してがんばったら、祝福とかいらねえんじゃねえか」
「そんだけ。…急にわるかったよ、泣かないでって」
「う゛ん」
アックスの本心から出た言葉に、ティーナはズビズビと鼻をすすりながら頷いた。反面、アックスは女子を泣かしたとかあちゃんに怒られる事を想像し慌てふためいていたが。
ともあれ、何故か怒られなかったアックスだったが、そこから月に一回はティーナの踊りを見る約束をするようになり、やがて力関係が完全に逆転してもそれは続いていた。
祝福祭まで後三日、ということもあってかティーナの踊りは神がかっていた。月の光に照らされながら、アックスとおなじ金色の髪で軌跡を取り、手や足は滑らかに円弧を描く。その姿はまるで体に金の衣を着ているかのようだった。
同じ曲で同じ振り付け。あの時の踊りを繰り返し続けたティーナの踊りは、そのまま成長すれば元のそれを超えてしまうのではないか、というほどだ。
踊りを止めて、ティーナがアックスに問うた。
「今のどうだったかしら!?」
「んー、まだあの踊り子には届いてねぇが、これは……」
「これは?」
「俺的にはもう祝福なんていらねぇと思うぜ」
「バカ!!」
「あぐっ! いぎっ」
「いぎっ?」
「な、なんでもねぇ、それより何で殴んだよ」
「いいわよ、ふん。忘れんぼうのアックス君?」
「だからそれは悪かったって……」
全く、なぜこうなってしまったのか。アックスは不思議でたまらなかった。ティーナは元々もっとこうおとなしかった気がした。もうその記憶すら定かではないが、アックスの中でまだティーナは意識的には子分のままだった。
「祝福祭、来てくれないんでしょ?」
「仕事が、あるって。とうちゃんがね」
「そう。……ねぇ」
「なんだ?」
「木こり以外|の仕事はどうなの?」
「……」
沈黙。アックスだって、叶うならそうしたかった。べらんめえ口調だって、最近のごっこ遊びも結局はその代替でしか無いのだから。
「おれは…」
「アックスー!! お母さんがごはんだって!」
「おー!ウリウス、ありがとうな。おなか減ってるだろ」
「ふふーん、僕偉い子だもん。ヘーキヘーキ、あ、ティーナおねえちゃん。こんばんはー!」
「こんばんは、ウリウス君はえらいわねぇ」
「へへ」
アックスの答えは、突然現れた彼の弟、ウリウスの手によってうやむやになってしまう。
この三つ下の弟は家族の中でも一番の食いしん坊だ。アックスは頬を緩めながら感謝の言葉を伝えると、ウリウスは得意げな顔で胸を張った。ティーナにも褒められたことですっかりおだてられたようだった。
「じゃあな、ティーナ。三日後の祝福祭、頑張れよ! あの人も来るらしいじゃねえか。驚かせてやろーぜ」
「……うん。アックスも頑張るのよ! せっかくの踊りを照らす火がよわっちいんじゃ、かっこもつかないもの」
「それじゃあ」
「じゃーねー! ティーナおねえちゃん!!」
互いを激励し合った二人はそれぞれの家族の元へと帰っていった。
「ティーナおねえちゃん、きれいだったねぇ」
「あぁ、そうだな。見てたのか」
「少しだけだよ。だっておねえちゃん、怒るし」
「あはは、もっと堂々と見せればいいのにな」
「ねぇー」
ティーナは恥ずかしいのか、あまり踊りを人に見せたがらなかった。きっと自信がないのだろう。
「あいつはすげぇよ。祝福なしであそこまでうまくなったんだぜ」
「しゅくふく」
「あー、ウリウスにゃまだわからんか。」
「しってるよ! あれでしょ! ミケさんごうのちから!」
ミケ三号はウリウスの手斧の名前だ。読み聞かせの絵本に出てくる英雄に憧れて付けたらしい。
英雄ミケが不思議な仲間たちと悪い魔獣をやっつける絵本は、そのシンプルさ故に村の子どもたちには大ウケした。
同じ理由で別々の道具に名前をつけた奴らがいて。ウリウスが三人目だから三号なのだそうだ、ださい。
「そうそう! それそれー!」
「「イェーイ!」」
「え、じゃあすごくない? ぼくまだミケよりかるい木の棒もうまく振れないや」
「そうだ、あいつはすげぇやつなんだよ。祝福なんてなくても踊り子としてやってくだろ」
「アックスはー?」
「んー、おれか?」
ティーナに答えようとして、ウリウスに遮られた言葉をアックスは言った。
「んな先のことは、わかんねぇよ!」
「アックス、木こりにならないの?」
「んー、たぶん。なると思うぜ、でもならないかもしれねぇ、村を出ることもあるかもしれねぇ」
「アックス、いなくなる??」
そう問うたウリウスの言葉に、まずったかもとアックスは思った。泣き出す一歩手前の様子に焦りながら背中へ手を伸ばす。
「あれ」
空を切った手に、アックスは首をかしげる。
「なに?」
「いや、そうだ! 今日の晩飯はラミ肉のステーキだってかあちゃん言ってたぞ!」
「すてーき!」
「家まで競争だ!勝ったほうが負けた方にステーキ一枚おごりな!」
「うぉー!」
なんとか気を逸らすことに成功したようだった。
アックスの脳裏に妖精のことが浮かんで、消えた。
ソレよりも今はステーキを守ることを考えなければならない。
「待てぇ!!!」
「キャハハハ!!」
村に甲高い笑い声が響く。子供の笑い声が響くこの村は、間違いなくいい村なのであった。
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閑話休題
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閑話休題
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※※※
あぁ、きてしまった。海岸線の向こう側から、悪魔の軍団がやってきた。山頂から見れば尚良くわかった。伝え聞くよりも恐ろしい、黒の軍団がやってきた。あぁ、ティーナ。君はこんなに怖いものと。
黒色の津波が迫ってくる。島まではあと少ししか、
「逃げろおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
村の方角へと叫ぶ。ウリウスは、チョボは、皆は、逃げれるだろうか。右手に握っている斧を見る。自分よりも大きく、そして祝福なしでは決して振れなかったであろう重さの大斧だ。しかし、足りない。
少しでも時間を稼がなければ、せめて村の皆が逃げれるくらいには。
これで?無理だろう。
「うおおおおおおおおお!!!」
体が動いた。蛮勇であることは分かりきっていた。俺は英雄じゃぁ無い。
足を動かしながら、なぜかあの日のことを思い出していた。特等席でティーナの踊りを見たあの日のことを。
あの妖精は、なんだったんだろうか。結局ウィズドゥムおじさんには聞けずじまいだった。
手を動かされながら道を阻む木を見据える。
もうあんなふうなミスはしないだろーな。セイナ、シグルスにぃも無事だといいな。
もう悪魔が島へと着いてしまっていた。山を、駆けてくる。
どうして、あの時かけっこで手加減したんだっけか。
大陸出身の道具屋のおじちゃん、あの人が読み聞かせてくれた絵本の英雄のように、眼前の異形を切ることを夢想した。
大きな、大きな口だ。黒色の中に、そこだけが真っ赤。
英雄にはなれなかったらしかった、ウリウス。にげてくれよ。こいつ、木、じゃねーもんなぁ。
ステーキ、美味かっ
人類は滅亡した
アックスが目を開くと、そこは黒一色だった。視界には自分の手足が無く、しかして五体の感触はあった。
夢、だったのか?アックスは心を落ち着けた。しかし、黒い。あの悪魔も黒だった。まさか、自分はあいつに食われて??
「う、うわっいだっ」
「やめなさいって言ったでしょーがぁああ!!!」
「へ?」
目の前の黒色が動いて視界が白に染まる。白色はだんだんと緑を写し出し、やがてアックスとチョボが妖精を捕まえたあの地点へと戻っていた。
「色々聞きたいことはあるだろうけど、一つだけ、言っておくわ」
「このままだと人類は、五年後に滅亡する!!!!」
アックスは、そのいかにも言ってやったというような様子で胸を張る黒い髪の妖精をみて、ホッと一息漏らすのだった。