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5.美しい人

 城に戻る頃には、夕方になっていた。流石に全身びしょ濡れで、少しでも服を乾かそうと、ダイニングの隅の暖炉にあたる。

 ベルガは満足したのか、私の隣でイビキをかきながら寝ていた。すっかり懐かれてしまった。

 

 お腹すいたなぁ。そう思うのを見越したように、机には朝と同じパンが置かれていた。その隣には、透明なスープも置いてある。

 またベル様が用意してくれたのだろうか。本当に、何を考えているのかわからない人だ。人じゃないけど。

「げほっ、げほっ、これスープじゃなくてお湯!?」

 ずずっと吸って、思わぬ薄口にむせ返った。だけど、固いパンをお湯につければ、朝よりは食べられるかもしれない。そういう配慮の仕方なのだろうか。益々、よくわからない。

 しばらくベルガと暖炉にあたっていると、ダイニングルームにベル様がやってきた。

 

「すっかり懐いてしまったな。」

「お陰様で……」

 

 どういう感情なのだろうか。ベル様の顔を見る。端麗なその顔には、何の色も浮かんでいない。

 私には、時間がない。だから、ベル様と過ごす時間は少しでも有意義なものにしたい。それなのに、ベル様から情報を引き出せるようなフックが何一つ見つからなかった。だから。

 

「何をしてるんだ?」

「えっ、背比べ……」

 

 私も焦っていたのだと思う。立ち上がって、明らかに私よりも背の高いベル様の正面に立つ。

 世界を統べる魔王と背比べをしたことのある人間なんて、どう考えても私くらいだろう。

 

「変なやつだ。」

 

 自然と、ベル様の顔を見上げる形になる。初めて近くで見るベル様に、その輪郭が明瞭になる。まつ毛も眉毛も、雪のように真っ白だ。赤い瞳は、やっぱり凍った花弁のように冷たい。だけれど、目尻がほんの少し垂れているせいで、何とも不思議なバランスだった。

 

「比べられたか?」

 

 自分よりも大きいものに対して、正確な大きさを掴むことは、難しい。

 

「ベル様って、身長何センチなんですか?」

「センチとはなんだ。」

「これくらいです。これで一センチ。」

 

 人差し指と親指で、だいたいこのくらいと伝達する。

 

「ほう。」

 

 赤い目が、ちらりと動いた。その事に、衝撃を覚える。初めてコミュニケーションが成立したような、そんな感覚だった。

 

「180程度だろう。」

 

 思ったよりも小さいな。とても口には出せないが、そう思った。頭が小さいと背が高く見えるという理論は、魔王にも適応されるらしい。

 

「気は済んだか?」

 

 会話終了。新たに得た情報、魔王の身長は180センチ。しょうもなさすぎる。当たり前か。高校の入学初日よりもひどい会話だった。

 

「あの、ベル様。一つお願いがあるのですが。」

「なんだ。」

 

 背比べを終えたベル様は、椅子に腰掛け、長い足を組んでいる。

 

「お風呂に入りたいのですか……」

「風呂?」

 

 流石にわがままを言い過ぎただろうか。だが、この世界に来て既に二日目。二日もお風呂に入らないのは、生理的に耐えられない。それに、お風呂場まで行く途中で、お城の構造などを知ることができるかもしれない。

 だが、ベル様の返答は想定外だった。

 

「なんだそれは。」

「まさかお風呂に一度も入ってない……?」

 

 魔王だからいいのだろうか。なんてことはないだろう。ベル様の艶々とした銀髪には汚れひとつないが、室内飼いの猫でさえ、お風呂には入るのだ。不衛生だろう。

 それに、お風呂に入っていないにも関わらずニキビ一つない肌。これが魔王なのかと、変な嫉妬を覚える。

 

「お風呂というのは、大きな容器にお湯を張って入るものです。あったまりますし、気持ちいいですし、何より体が清潔になります。」

「そんなものか。くだらない。」

「女性には大切なことなんですよ!」

 

 ベル様の眉が、不機嫌そうに歪んだ。さすがに調子に乗りすぎたか。ひりつく空気に、一瞬怯む。だが、私の勘違いだったらしい。

 

「そんなものを作るくらい、造作もない。」

 

 ベル様が手を振る。テーブルの中央部分が、白く光り輝いた。それは一瞬にして盛り上がると、木製の棺に姿を変える。

 まさか。

 

「あとは湯が必要か?」

 

 振動と共に、木棺の中が液体で満たされる。それは確かに、湯気を立てていた。風呂に、見えなくもないが。

 

「どうだ。これでいいだろう。」

「いい訳ないじゃないですか!机の上でお風呂になんて入れませんよ!」

「湯に浸かれれば、どこであろうと同じだろう。」

「同じじゃないです!服脱ぐんですから、人目につかない場所でないと!」

「人前で服は脱げないのか?」

 

 ややこしい!これが、異文化コミュニケーションなのか。私は頭を抱えた。

 

「全く、面倒なやつだ。」

 

 やれやれと、ベル様が呆れたようにため息をつく。それはこっちのセリフだ。相手が魔王でなければ、そう言っていただろう。



* * *


 

 この世界にも、星はあった。

 雪のちらつく空に、雲間から覗く微かな光を捉える。

 湯気の充満した浴室で、遠い星に感傷に浸る。

 ベル様に作ってもらった浴室は、城の隅にあった。浴室と言っても、普通の部屋をカーテンで仕切って、そこに魔法で作ったお湯入りの木棺を置いただけの空間だった。

 

「同じ空ではないだろうけど、落ち着くな……」

 

 ヘアゴムがないので、仕方なく髪ごとお湯の中に沈む。外気で冷え切った頬が、人肌以上の温もりに包まれる。温かい。

 本当は、悠長にお風呂に入っている場合ではないのかもしれない。だけど、お風呂のおかげで分かったこともある。

 ベル様は、人間が嫌いなわけではない。好きではないのだろうけど。それが、世界から"悲しみ"を奪った事に関係しているのかは、まだわからない。

 とにかく今は、怪しまれないように過ごしながら、まずは宝を隠していそうな部屋を探す。

 肺に残っていた息を、ふっと吐き出す。

 

「ぶくぶくぶく」

 

 まだ、生きている。この調子なら、あと二日もあればベル様と親交を深められるだろう。そうすれば。

 その時、部屋を仕切っていたカーテンが、軽やかな音を立てて滑っていった。

 

「へ!?」

 

 お湯から飛び上がって、開かれたカーテンの方を見る。

 銀河が、煌めいた。

 白金の髪を垂らして、深く輝く赤い瞳に、私を映して立っていたのは、魔王――ベル様だった。

 それも、外套は纏っておらず、清々しいほどの全裸だった。無防備に晒された、真っ白な肌と長い四肢。ささやかな胸と女性らしい腰の湾曲のギャップが、シャープな体を引き立てる。

 

「ベル、様…………きゃーーーー!?」

「落ち着け、ベルガの悪戯だ。」

 

 ベル様の声に、はっとする。すると変身を解いたベルガが、じゃれつくように飛びかかってきた。

 裸のベル様は、どうやらベルガの変身だったらしい。困ったやつだ。

 

「ベル様、女なんですか……?」

「男だとは言っていないだろ。何を驚いている?お前もしっかり女じゃないか」

「見るなー!!!」

 

 ばしゃりと水音を立てて、再び湯船に沈む。浴槽の底で、目を閉じる。消えない。瞼に映る、磨きあげられた宝石のような瞳。灰色と白のグラデーション。その下の、真っ白な肌。

 動悸がする。

 火照った体は、お湯に浸かりすぎたせいだろう。

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