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1.案内人

 人は、無意識のうちにいくつもの判断をする。

 見るもの、話すこと、向かう場所。

 だから、ひたすら打算的に最善の選択肢を選び続ける。

 それが私の生き方であり、信念であった。

 


 ワイヤレスイヤホンを耳に嵌める。起動音と共に、騒がしかった雑踏が遠くなる。

 

『十二月五日金曜日。時刻は午後十八時になりました。毎週金曜日のミュージックウェーブ』

 

 流れ出す、テンポのいい音楽とパーソナリティの小気味よいトーク。

 

『ミュージックウェーブでは、皆様からのアツいリクエストソングをご紹介しています。早速ですが、一曲。ペンネーム雪男さん。"ふたご座流星群まで、あと一週間になりました。流れ星を見ると、いつもこの曲を思い出します。遠く離れた人を思う気持ちを星になぞらえた、名曲中の名曲です。"』

 

 歌は好きだった。新鮮な音楽が、赤血球が酸素を運ぶように言葉のシャワーとなって私の体を巡る。

 信号が青に変わる。交差点へと踏み出す。

 吹き付ける冷気。控えめな冬の気配に、顔をマフラーに埋める。

 キャメルのダッフルコートの袖に、花のような結晶が浮かんで消えた。

 

「雪」

 

 夜空を見上げる。今朝の天気予報では、雪は夜明けからだと言っていたけれど。

 コートの上から、刺すような冷気を感じて身震いする。

 早く行こう。

 雪という自然現象に見とれて風邪を引くなんて、あまりにも非合理的だ。私はただ、徹底的にリスクを避けて、合理的に、最善な未来を――。

 白と黒だけの横断歩道が、突然真っ白に染まった。

 爆発するように、甲高いクラクションが鳴り響く。

 認識した瞬間に、脊髄反射で振り向いていた。

 

「うそ」

 

 視認する。目前に迫るトラック。

 運転手、居眠りしてるじゃん。居眠り運転は、危険運転致死罪で二十年以下の懲役だ。二十年?たった二十年か。

 勉強も、友達も、家族も。毎日努力してきたのに。私が十六年かけて辿り着いたレールは、これだったのか。

 こんなことなら。

 

「もっと、遊ぶんだった。」

 

 それが、唯坂レイの最後の言葉になった。享年十六歳。



* * *



 まず、目に映ったのは空。鏡のような水平線に映る、二つの青空だった。

 起き上がろうとして、それが地表を薄く覆う水のようなものだと気づく。そんな場所がこの世界にあるという事は、聞いたことがあった。

 

「……ウユニ塩湖?」

「ここ、ウユニエンコって言うんだ。」

 

 ぱちゃりと水音がして、振り向く。

 水面の上に、少女が立っていた。十歳くらいだろうか。腰まである金の髪に、殆ど裸に近い服。肌は薄く透けていて、光のような粒子が煌めいている。

 人間の形をしているが、とても人間とは思えない。それは、変な生き物だった。

 

「あなたは誰?ここは、夢……?」

 

 変な生き物に「迷子?ご両親はどこ?」なんて気を遣っている余裕はなかった。

 私は確か、居眠り運転のトラックに轢かれたはず。だとすれば、ここは死後の世界なのだろうか。

 

「夢ではないよ。天国でもない。だけど、そうだとも言える。君の思う天国なのであれば、そうなんだろう。」

 

 変な生き物からの回答は、回答ではなかった。焦燥のような苛立ちが募る。

 少女は困惑する私のことなど気にかけず、地平線まで続く鏡面を指先でじゃらす。跳ねた水が、少女の肌をすり抜けた。

 やっぱり、人間では無いらしい。

 

「ここが最近の人間界では流行っているのかい?少し前は蓮の花とか、金ピカの像とかだったけど。人間の流行はわからないな。」

「あなたは、死神?」

「まさか。そんな大層なものではないよ。強いて言えば、魂の案内人。」

 

 変な世界で、変な案内人と会話する。やっぱりこれは夢なのだろうか。

 

「死んだ人間は、魂となって理に還り、再び生となる時を待つ。それを円滑に行うのが私の役目だよ。パズルみたいなものさ。キミの世界でも、そういう事は行っているんだろう?」


 何を言っているのか、半分も理解できていない。だけど、とりあえず打ち返してみる。

 

「リサイクル、みたいな?ペットボトルを洋服にする感じ?」

「きっとそうだ。」

 

 多分違う気がする。だけど追求はしなかった。

 もっと大事なことに集中する。努めて、冷静になる。

 

「私は、死ぬの?」

 

 目を閉じると容易に思い出す。

 あの瞬間に私が抱いた、明確な後悔。

 

「唯坂レイ。十六歳と十か月。交差点を歩行中、居眠り運転のトラックにはねられて死亡。これは事実だ。」

 

 やっぱり私は、死んだんだ。

 唇を噛む。だけど、どんなに強く噛んでも痛みがない。痛みがないから、力の加減がわからなくって血が滲む。

 

「だけど正確には、まだ死んではいない。」

 

 自称案内人の少女は、「これが君の魂ね」と言って淡い光を指の先に纏った。眩しい光。

 

「まだ生きてるってこと?」

「生きているわけじゃない。死を魂の消滅と肉体の消滅で定義するのであれば、今の君は、肉体だけが滅んだ状態さ。器となる肉体を再生させれば君はまた、生き返ることができる。」

 

 いちいち話が長い。

 だけど、案内人の言う"生き返る"とはつまり、あの人生の続きができるということ。

 それは、願ってもいない話だった。だけど、そんな簡単な話のはずがない。

 

「元通りの肉体を作るのは、それなりに大変なことなんだ。心優しい私でも、無料でっていうわけにはいかない。」

 

 案内人が、銀色の地平線を辿るように歩く。そして演技がかったように、こちらを振り向いた。

 紫と紺の中間のような色をした瞳が、微笑む。

 

「交換条件だ。君には、ある世界に行ってもらいたい。魔王の手によって、悲しみが奪われた世界だ。」

「悲しみが奪われた世界……」

 

 案内人の言う魔王とは、シューベルトの曲を言っているわけではないだろう。それに、悲しみが奪ったり奪われたりするというのも、よく分からない。

 判然としなかった。当然だ、相手は人間じゃないんだから。

 魔王が悲しみを奪うなんて、普通は逆じゃないのか。

 だけど、今目の前では、普通ではないことが起こっている。私の中の十六年間の常識なんて、通じないと思った方がいい。

 

「悲しみが奪われた世界を想像できるかい?喜怒哀楽、悲歓離合。悲しみのない世界では、均衡が失われてしまっている。調和を望む私としては、看過し難い状況さ。」

 

 言葉が頭に入ってこない。

 もう少しわかりやすく表現できないのだろうか。嫌がらせとすら思えてくる。

 だけど、求められていることは単純だった。

 

「唯坂レイ。悲しみのない世界で、魔王から悲しみを取り戻してくれ。そうすれば、もう一度生き返らせてやろう。ただし、期限は七日間だ。」

 

 悲しみを、魔王から取り戻す。

 未だにイメージが湧かない。

 だけど。

 

「やるかい?」

 

 答えは決まっていた。

 

「やります。」

 

 何だって、やってやる。十六年も費やしたんだ。それなのに、こんな終わり方は到底納得できない。何も回収できていない。大赤字だ。

 ――せめて、後悔がないように。

 

「必ず、魔王に奪われた悲しみを取り戻す。」

 

 私は未来に向かって、勝利を誓った。

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